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2006年10月の投稿

2006年10月30日 (月)

主婦が美化されても・・・

Book 主婦論争を読む 2 (2)

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昨日、パタパタと上記の本を読む。主婦という生活は変わっていないなぁと思うところと、変わっているところを考える。本の感想というより今時主婦は何を感じているのだろうと考える。

家事の嫌いな私のようなものには、主婦労働が負担で不公平とブツブツ言うのだけど、世の中の主婦も同じようなものだろうか。

だって、本屋に行けば、主婦賛歌の本が並んでいるではないか。主婦という言葉は出てこないが・・・、家事賛歌のようでもある。

昔からある『LEE』のような雑誌に加えて、最近では『クウネル』『自然生活』という生活雑誌と私が呼んでいる雑誌が次々と出ている。

その雑誌で紹介されるのは、ちょい自然派のわたしの生活を大事にする人。女性も専業主婦ではなく、たいていは染色家とかの肩書きがあったりする。すごく優しい世界が繰り広げられる。そうしてこだわりの家や物や布や食べ物がある。なんとなく母性にあふれているような気がする。

それに栗原はるみさんだ。彼女が何かで「仕事人としてより、主婦であることに誇りを持つ」ようなことを書いていた。たとえば家事だって、朝は玄関を掃く、洗面所を掃除する。やることをきちんとやって仕事に行く。

んー。うちは玄関は夫が掃除するし、洗面所は1週間に1回しか掃除しない。

本屋に行くと素晴らしい主婦が多い。本屋だけではなく、ブログでもお弁当日記をつけたり、料理のブログが人気らしい。そういうのを覗くと、自分の情けなさが身にしみる。

『主婦論争』の中で出てきたような、主婦の自由時間は運動や勉強会という話があったが、運動なんていうと今の主婦はエクササイズと勘違いするかもしれない。でもないか、エコロジー主婦という問題意識の高い主婦もいる。

まあ、いろいろあっていいわけだが、問題なのは主婦のパート労働が相変わらず地方では安すぎるということ。あいた時間働かせてやっているのだという感じの安さだ。主婦を美化されても世間の風は相変わらず冷たいということだ。

生活雑誌系が気に入らないのは、ささやかな収入でささやかな生活を気持ちよく暮らす指南書のようで気に入らない。栗原はるみのようなBigじゃなくても楽しめる生活。ささやかな生活いいんだけど、何が気に入らないんだろう。我が家だってほんのささやかな生活を守っている口だ。その守りの姿勢が気に入らないのかも。

今また、主婦論争なんて野暮で起こらないのだろうか。

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2006年10月29日 (日)

妄想話

朝から鍋いっぱいのカレーを今作り終わったところ。今日もいろいろ予定があるので、昼夜はカレーでOK。

カレーをぐつぐつ煮ながら頭の中もぐつぐつ妄想が沸騰する。

胡桃 「高校の必修科目漏れが大騒ぎだね」

熊さん 「近くの高校でもあったと」

胡桃 「高校も何やっているのかね」

熊さん 「でも、何かおかしいぞ。なんでこの時期にこんな話がでてくるんだ。ある程度わかっていたことじゃないか。ぜんぜん知らなかったなどというのは信用できんぞ」

胡桃 「そうだよね。何か意図を感じるなあ」

熊さん 「これで政府は『文部科学省はけしからん』『教育委員会は腐敗している』と教育の大改革をしなくてはいけないんだという意識を国民に植え付けるにはもってこいの材料ってわけだ。いじめ問題もあるし」

胡桃 「でも、文部科学省や教育委員会の体質良くないのは確かじゃないの」

熊さん 「そうさ。でもだからって政府がやろうとしていることをよく調べてみな。改悪のなにものでもないさ」

胡桃 「そういえば、新聞もテレビもこの高校のニュース一色だね。今、国会で審議されている教育基本法改正はどうなったんだろう」

熊さん 「なんだか国民の目をそらさせている気がしてきたな。よく使う手だがね」

胡桃 「いやだぁ。気がついたら教育基本法改正が可決していたりして・・・」

熊さん 「そうして子どもたちががんじがらめになって初めて、自分たちが反対しなかったことがどういうものかわかるんだよ」

胡桃 「おどさないでよ。それでなくてもこの国はひどくなるのか不安なのだから」

妄想話はまだまだ続くが、妄想であって欲しいと祈るばかりだ。

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2006年10月27日 (金)

知らない人が多すぎる

昨日の昼、ヘルパーの仕事中、利用者さんが国会中継を観ていた。(ちなみに、お年よりはNHKだけを流しっぱなしにしていている人が多いので、よく国会中継を観ている。私たちより政治や議員の名に詳しい。)

辻本清美議員が、確か国民投票のことか、ある世論調査では6割ぐらいの人が知らないと答えているようなことを話していた。(仕事中だったのに、耳がダンボになってしまった。)

正直いって、私も詳しいことを知らない。憲法改正の詳しい中身、教育基本法、国民投票、防衛庁が防衛省に昇格する? それに共謀法、 どれもよく知らない。インターネットで調べれば国会の様子もいろいろな意見も知ることができる。でも、そんなの学者でもない、運動家でもない私たちが調べようとすることはあまりない。

実際毎日の日常は仕事があったりすると、ラジオでニュースを聞くくらいだ。テレビはあまり観ない。新聞も読めなかったりする。それに、マスコミと違ってインターネットは自分で検索しなければ目の前にニュースは表れない。息子のクラスで先生が聞いてみたら、パソコンを持っていない家も多いらしい。

ニュースやワイドショーでは、今進行中の国会審議にあまり触れない。触れるのは、「多数決で可決されました」というときだけ騒ぎ、いろいろな識者の話などを流す。

老人の医療費や介護保険、デイサービスの利用料などこの春からいろいろなものが値上げして、びっくりしている老人も多い。そういうとき私もよく知らなくて質問に答えてあげられなかった。もっと勉強しなければと思った。(そういうのはケアマネージャーの仕事なんだけどね。利用者さんって、ヘルパーに親しみを持ってしまうから、疑問を聞きやすいようだ。)

人は、問題意識が生まれないと必要な情報が入ってこない。お偉い人たちは、国民に問題意識なんか持たないで、何も知らないままでいてくれればいいと願っていることだろう。

だから、インターネットでいろいろな意見を知ることができるのはいいのだけど、もっと一般に反対運動ができるようにするための手段ってないだろうか。

口コミ作戦かしら。

いろいろな運動が衰退したと聞き、無関心層がますます増えたというけど、インターネットのせいもあるような気がしてきた。同じ興味のある人だけでつながり、隣の人に口コミで情報を教えることをためらう。

いきなり政治の話をしたら、「変な人」と思われるという恐れが私にもある。でも、ネットだけではなく、大衆にもっと問題意識をもってもらえる方策を考えないといけないとつくづく考えるこの頃だ。

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2006年10月26日 (木)

共謀罪って何?

「共謀罪」という法律が10月にも可決されそうなので、反対しましょう。

というブログの記事を読み、

「共謀罪」というものをインターネットで調べてみる。

名前からして怪しいけど、怪しい法律だ。

昔の治安維持法とかみたい。

そうなれば、「九条を守る会」みたいな集まりでも、

国家を転覆させるための陰謀とかいちゃもんつけて、

逮捕されてしまうのだろか。

「それは大変だ」とテレビニュースや新聞を見ても、

「共謀罪」に触れていない。

お流れになったの?

まだ進行しているの?

正直よくわからない。

国民がよくわからないうちに大事なことが決まってしまうのかな。

マスコミなんて本当に信じられない。

そのうえ、インターネットを取り締まる法律も進行しているとか聞く。

日本にはまだまだ妖怪がうようよいる。

「美しい国」が好きな人は、自分の目に美しいようにゴミと思えるものは排除していくのだな。

国民はもっともっと怒っていいのに、

小泉さんに「キャーキャー」言っていたおばちゃんたちは、まだ「キャーキャー」している。

私たちは、自分だけよければという気持ちと諦めの中にいないだろうか。

まさか、この現代で時代錯誤的なことが起こるとは思ってもいなかったりしている。

どん底に突き落とされないと気がつかないのかな。

そなんことを思いながら、何もできない日々を過ごしている。

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2006年10月25日 (水)

福祉って・・・。

前回、「自分のことは自分で始末しなくちゃいけない」と書いたが、

それは健康な人間でそれができる人に基本的な生活のルールということだ。

乳児、幼児、病人、障害者、体が思うように動かない老人とかは

当てはまらない。

そういう人のためには皆で助けてあげる。

そうか、それが福祉ってことなのね。

よくわからないけど。

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トイレ掃除

『主婦論争を読む』を読んでも、家庭内の細々した雑用をどうしたらいいのか提案はあまりない。保育や介護は社会化できても、できないこともある。お金持ちは家政婦をやとえばいいのだが・・・。

つまりは、人間自分の始末は自分ですればいいのだ。

前に、何かの読者の投書で、「息子たちが2人とも家を出たけど、トイレが相変わらず汚れている。ずっと息子たちのせいかと思ったら、汚していたのは夫だったと気がついたわ」という話を読んだ。

わかるわかる。うちも私以外男だから、便器や便器のまわりが汚れる。子どものせいかと思ったが、子どもたちが合宿やなんやらでいないときにトイレが汚れていたから、夫のせいもあると判明した。

でも、夫に直接注意するのもためらわれる。なぜかな。嫌な顔するもの。だから代わりに子どもたちに「自分が汚したら、自分で拭き取ってよ」とどなる。夫に聞こえるように。だって今の時代トイレクイックルとかいう使い捨てのペーパーもある。自分が汚したな、汚いな、と思ったら各自でやればいいのだ。そうすれば週に1回の集中掃除でトイレはいつもきれいだ。自然環境のためには雑巾でやるべきだが、男たちは面倒くさいとやらないだろうから、ペーパーでごかんべん。

そういえば、母やおばたちは私に

「トイレ掃除を一生懸命する子はきれいになるのよ」

と言って、私にトイレ掃除をさせていた。他の男兄弟には「やれ」とはもちろん言わない。あの言葉も女にトイレ掃除を押しつける呪文だったのだ。

トイレ掃除は、家族全員でするべしだ。

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2006年10月24日 (火)

雑用は誰がする

ずいぶん前に読んだ吉本隆明の『ひきこもり』(大和書房)に、こんなことが書いてあった。

自分の時間をこま切れにされていたら、ひとは何ものにもなることができません。

女の子が育っていく時に一番大きいハンディは「時間を分断されやすい」、つまり「まとまった時間をもちにくい」ということなのではないかと思うのです。

昔、女の子だったときはだいたいがすべて自分の時間だったので、時間をこま切れにされているという感覚はなかったが、主婦になり子どもを持つと、時間はこま切れもいいところだ。

一番の悩みは集中して机に向かうことができないということだ。今だって、これを書いたらミートソースを作るつもりでいる。昼から出かけ、もしかしたら遅くなるかもしれないので、何か作っておくと気持ちが楽なのだ。

心優しいうちの夫は、「何か買ってくればいい」と言う。でもね。はっきりいってうちの経済では、頻繁に買ったもので済ませるわけにはいかないのだよ。家計のやりくりをするために作る。また、帰りの疲れた頭でスーパーに行っても、「何を買ったらいいか」呆然とする。それよりも、家に帰れば夕飯があると思うと、人の話も落ち着いて聞いていられる。仕事が伸びても笑って処理できる。

「主婦の時間はこま切れ」だとつくづく思う。

それでもって「主婦ってなんだろう」と思うのだ。そこで、『主婦論争を読む Ⅰ』(上野千鶴子編)というのを読んでみた。第一次主婦論争で発言した人たちの文書が載せてあるのだが、時代は電気、水道、ガスが普及し、便利な電化製品がでてきた時代で、主婦が昔より時間ができたために出てきた論争のようだ。

確かに、主婦だけやっていたら暇で時間がある。でも、第一論争の頃と主婦の状況はどのくらい変わったのだろうか。時間があるからと働きに出るのはいいが、家事負担はそのまま主婦の仕事として残されている。仕事や勉強をしようにも、時間はいつもこま切れだ。

『主婦論争を読む Ⅰ』で一番笑えた話は、関根久雄の「経営者として自信をもて」だ。つっこみどころ満載で、あの時代でさえ笑えたのではないかと思う。それにしても、現代の男性が物分りのいい顔をしていても、この本の男性著者たちの本音と同じものが脈々と流れているじゃないか疑っている。

男性著者の中では、梅棹忠夫の「妻無用論」と「母という名の切り札」は共感するが、妻が要らないのなら、家族の中で誰が雑用を担ってくれるのか。平等に男女で担うのか。自分はやっているとは書いていなかった。

確かに家事は、水道も電化製品もなかったときに比べ楽になった。今では、全自動洗濯機も、予約炊飯器もあるし、食材も生協から届けてもらっている。それにしてもだ。洗濯は干してたたんでしまうのは人間がやる。生協に注文するのも1週間のメニューを考え記入する。昔の主婦より楽になったが、雑用っていうのは終わりがない。

家事を最小限におさえようとしている私だって、時間はこま切れにされる。家事は機械化されてもなくなるものではない。

専業主婦になり楽をしたくても、お金がなければ働きに出る。自分に目的があれば働きに出る。専業主婦になれない人は確実に多くなっている。

今の若い女性は専業主婦志望が多いという話も聞く。楽な専業主婦になりたかったら相手を選ばないといけない。そうなるとなかなか結婚しない。

「誤まれる女性解放論」で、福田氏は、「女性の不幸や不満を社会問題として解決を求めるのは虚為だ」という。不幸や不平は社会が悪いのではない、あなたの夫選びが悪かったのだ、個人の問題だということだ。

現代の女性はそれがわかってきたから結婚しないのだ。社会や男性の価値観も制度も変わらない。その中で結婚しても不平・不満で毎日暮らすぐらいなら、今より楽な生活をさせてくれるいい相手を探して結婚するか、いなければ一人のほうがいいのだ。夫選びは重要だ。

私も人生やり直しできたら、結婚しないかもしれない。うちの家族はいい人たちだけど、主婦は時間がないということが身にしみているので、私の子孫を残さなくたって人類に何も影響はしないと思っている。でも、考えなしに子どもを作ってしまい。それも男だけしか生まれなかったので、息子たちには女の時間を奪わないように教育していこうと、こき使っている。

人間生きていると雑用がある。それを女性だけに押付けないためには、男も雑用して当たり前という意識を植え付けることなのだ。分担しないといけない。しかし、偉い人たちはそれがすごく嫌だ。このケアの問題はなかなか解決できそうもない。難しい問題だから、「つべこべいわず女性がやるのが伝統だ」と押付けたいのが男性の本音ではないだろうか。

Book 主婦論争を読む 1 (1)

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2006年10月22日 (日)

お世話係は女子

息子が通う小学校で就学児検診があった。6年生からお世話係を募集するというので、息子は張り切って手を上げたが、「お世話係は女子だけ」と先生に言われたとか。手を上げた男子は「えーなんでだよ」と声をあげたらしいが、聞いてはくれなかったそうだ。

「ジェンダーフリー」をバッシングする人たちの言説を聞いていると、それほど男女平等が進んでいるのかと感心するが、実際はあまり変わっていないようだ。男女混合名簿さえなっていない。

息子の将来の夢は、保父さんか先生か子どもの施設で働くこと。小さい子のお世話をするのが好きなのだ。でも、こういう夢を聞くと、がっかりする人も多い。孫の夢を聞いた夫の父は「もっと大志を抱け」と言う。いいじゃないですか。

クラスでお世話係に選ばれたのは、クラスの優秀な女の子たち。息子も男の子の中では上位にいるらしいが、その上にひと塊の優秀な女子グループがいて、男子はなかなか追い越せない。

そんな優秀な子達も、女のお世話係という呪縛に絡まれ、優秀な頭脳を伸ばしきれない将来が待っているのではと人事ながら心配する。児童会も代々女子が児童会長で男子は補佐役である。それが大人になると、いつか逆転する。

そうそう今日はサッカークラブの芋煮会&バーベキューがある。作るのはお母さんたち。お父さんは炭おこしとか火の管理。私も炭番のほうが楽でいいなぁと思うけど、付き合いだから包丁握るしかない。それに炭番しながらお父さんたちはビール飲み始めているのに、お母さんたちはなかなか飲めない。家ではワインをひっかけないと夕食作りができないので、「私も飲みたいよー」といつも思うのだった。こういう風景を子どもたちは見て育っているんだもの。なかなか意識変えるのはむずかしい。

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2006年10月21日 (土)

コンプリート?

小学生の息子が、

「○○君がサイダーのペットボトルについてくるおまけをコンプリートしたんだよ」

と言う。

「コンプリート?」

それって、もしかしてCompleteのことで、全部集めたという意味なのかいな。

息子は首を傾げるが、「皆そう言う」という。彼はスポーツクラブで忙しくて、今はゲームもカード遊びもしていないが、そちら方面から伝わった言葉なのかもしれない。「ポケモンゲットだぜ」から、「ゲット」も流行ったものね。

それはいいとしても、最近新聞を読んでいてカタカナ語が気になる。

たとえば、「戦後レジームからの脱却」とある。regimeは体制という意味だ。別に日本語への置き換えが難しい言葉でもない。「戦後政治体制からの脱却」でいいのではないかな。

子どもは、新しい言葉を吸収していくが、年を取っていくとそういう意欲も薄れていく。カタカナ語が並んだ文書や演説は、耳や目に入っても吟味されずに素通りしてしまうだろう。

マスコミも政治家も、各世代がわかるような言葉で語りかけてもらいたい。でも、わかりづらく話すのも、国民の頭を働かせないための手なのかしら。

なんとなくわかったつもりになっているカタカナ語というのも恐い。

「グローバリズム」がそれ。グローバルはなんとなく耳に障らない言葉だ。世界全体、地球規模で、いいことのような響きがある。でもね、グローバリズムで本当に世界が良くなるか、自分の頭で考えてみないといけないんだ。

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2006年10月20日 (金)

変な新聞記事

10月17日(火)に、図書館で「岩手日報」の一面をたまたま目にしたら、「日本介護力世界最低に」という見出しが目についた。読んでみると、介護を担う中年女性が減るということらしい。

家庭で中年女性が介護にあたるケースが多いことを勘案して、65-84歳の総人口を100とした場合の40-59歳の女性の人口の割合を「家族介護力」として示した。

これだけ読んでも「おいおい」と思う。  思わない人もいるのかしら。

「介護力」が中年女性の人口割合だけで示されるのはおかしいではないか。なんのために介護保険があるのか。

詳しいことは、ちょうどジェンダーとメディア・ブログ(マイリスト)の「今朝のとんでも記事」に書いてある。「北日本新聞」の一面にも載ったようだ。朝日、読売、毎日は一面どころか、どこにも載せていないみたい。

なぜ地方新聞に、それも一面に載せるのか。何か意図を感じる。

「介護力世界最低」というフレーズにのせられて、国民は「やはり女は家庭に入って育児や介護にいそしむべきだ」という声が聞こえてきそうだ。まず洗脳するのは、素朴な地方人からというわけかしらと想像する。

また、ホームヘルパー(中年主婦の安い賃金で成り立っている)も足りなくなると、その記事は報告していた。

今、フィリッピンなどからの介護職を受け入れを進めようとしているが、私は非常に心配している。

日本の女性さえ詐取されているのに、アジアの女性をもっと詐取する材料にしそうだ。つまり日本女性より低賃金で働かせるのだ。ヘルパーは2級の資格が廃止され、全員が介護福祉の国家資格を持つように指導されている。これも海外からの労働者との賃金格差をつけるためだと言われている。

それに加えてもっと心配なのは、ヘルパー利用者の意識の低さだ。ヘルパーの一番の不満は、いくら勉強して国家資格をとったところで、家政婦扱いする利用者がまだまだ多いということだ。昨日も事務所で、先輩が「私たちって家政婦以下だね」とつぶやいた。

「お客様は神様だ」というふうに介護もサービス業であるのだけど、あまりにプライドを傷つけられると落ち込む。その上セクハラもある。人の目につかない家庭の中に入っての仕事なので、対応も難しいのだ。

フィリッピンなどのアジアの女性が家庭に入ったら、いくら彼女たちが大学で勉強してきても、出稼ぎのメイド扱いされるのが目に見えている。それが一番の心配だ。(もちろん、制度をよく理解し、来てくれるだけでも「ありがたい」と感謝してくれる利用者さんもたくさんいるから、どうにか仕事していけるのだが、問題は多い。)

とにかく「日本の介護力世界最低に」という記事は、女性やヘルパーに安く介護を押し付けようとする魂胆が見え見えで、不快だった。こんな記事をよく書くな。最近福祉は男性学生も多く、ヘルパーの研修も若い男の子が来ている。料理も上手だったりする。男性がきてくれて喜ぶ利用者さんもいる。身体介助で私は腰を痛めたが、中年女性は腰を痛めやすい。だから、若い男性のヘルパーが手伝ってくれると大いに助かる。介護で女性や家族だけの力を当てにできないことは、介護保険がはじまる理由だったのだから、とっくにわかっていることではないのかな。

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2006年10月15日 (日)

憲法9条はもうかる

昨日は、憲法9条の勉強会というものに行った。

誘ってくれたのは前に住んでいた家のお隣さんのおじいさん。集まりは年寄りばかりだった。

なんだか、「平和を守ろう。子どもたちのために」なんていう掛け声ばかりだと嫌だなと、思っていたが、講師の先生が話し続けたのは世界経済の話。ヨーロッパに留学し、毎年ヨーロッパに行かれているので、イスラムの話、EUがなぜできたか、今、アジアは東アジア共同体を作ろうとしている、南米はアメリカから離れ始めた。日本の貿易は今アジアが主で、中国単独でアメリカを超え始めている。阿部さんが首相になってさっそく中国に出向いたのは、財界の圧力があったから。日本は正直な話、アジアなしにはやっていけない。修正資本主義、新自由主義、ヨーロッパの労働運動の話。わかりやすく話してくれたので、会場にいたお年寄りは、「東アジア共同体はEUみたいに共通通貨になるのか」と質問していた。

で、予定の時間を大幅に過ぎたので、最後に憲法9条はアジアの仲間入り、仲良くするための条件だ。日本はもうあんなひどいことはしませんよ、とあやまっていないが、9条があるからまだいい、これをはずせばアジアは怒る。そりゃそうだな。

そうしてなぜ九条を変えたいか。9条はアメリカのお仕着せだから、という論もあるが、九条を変えたいのはアメリカだ。中国が巨大化するのを恐れて、日本を前線にして中国に軍事的圧力をかけたいからなどと話し始め、また時間はオーバー。

希望は、ブッシュ政権もあと2年。世界の国はあと2年の辛抱だと思っている。次の有力大統領候補はヒラリー・クリントンである。大統領が変われば、アメリカ自身の方針も変わってくるだろうということだった。

さて、私の素朴な疑問。ブッシュとアメリカが今世界の嫌われ者だということは私でも知っている。「失礼にならないようにアメリカから遠ざかろう」と言った大統領もいた。なのになぜ日本はここまでアメリカべったりなのだろう。なにかあったときにアジアで孤立して生きていけるのだろうか。絶対、アメリカとつき合って得する何かがトップにあるのではないか。それとアジア蔑視が抜けない人たち。なぜなのかを知りたい。アメリカのおかげでもうけている人たちがいるのだ。政治の裏には経済があるということ。

面白い勉強会だった。もっと勉強しないといけないわい。若い人にも聞いてもらいたい。若い人向けに講座をもうけたいな。

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2006年10月13日 (金)

バックラッシュ

ここのマイリストに入っている「ジェンダーとメディア・ブログ」で紹介されていた『バックラシュ!』がアマゾンから届いたので読んでいる。

いろいろな書き手が、ジェンだフリーのたたかれ方を分析し、反論し、馬鹿にしているが、こういう本を読むのはジェンダーに興味を持った人ぐらいだろうな。宮台真司が言う「田吾作」たちが手に取っても読まないか、読んでも批判する材料を探すぐらいだろう。でも、たぶん読まないね。

まわりに田吾作が多いときに、どうやって相手にこちらの言葉を届かせたらいいのだろう。相手を言い負かせても、後の復讐が怖いことも知っている。ストレスになるから相手にしないのが一番だが、田吾作に負けない戦略を立てないと、田吾作のいいようにされる。でも、なかなか田吾作のように卑怯な手が使えないから困るね。

しかし、「フェミニストが青少年を堕落させ、家庭を破壊し、国家の転覆を狙っている」なんて誰が信じる話なのだろう。まして共産主義(共産党)なんて、いまどんな力があるのか。でもね。「なんでなんで、いつもこうなるの」とジェンダーに興味がなかった私まで、あまりにもいまだ馬鹿が多いのはなんでなんだろうと、逆に興味を持ってしまったではないか。

バックラッシュ!  なぜジェンダーフリーは叩かれたのか? Book バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?

著者:上野 千鶴子,宮台 真司,斎藤 環,小谷 真理
販売元:双風舎
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2006年10月10日 (火)

それは個人の問題なのか

私の住む北東北は自殺者が多いらしい。青森、岩手、秋田で1位から3位を毎年争っているようだ。そのため、自殺予防講座なるものが開催されて、効果が上がっているなどというニュースを見た。

たしかに、同じように不幸な状況で「死にたくなる」東北人特有の性格ってあるのかもしれない。暖かい所に住んでいたら、もう少し楽観的に考えられるのかもしれない。

自殺予防講座、悪いことではない。前向きに生きようと教えてくれるのだろう。

でも、自殺予防やニート対策、フリーター対策にそれぞれ予算がついたりすると、そんなふうにお金をばらまいてもたいした効果がないのではと、いつも思うのだ。国や社会が変わらないと、いくら「やる気のある」人間を作ったとしても長続きするかどうかあやしい。

そんなことを考えていたら、上野千鶴子の『生き延びるための思想』で次のようなことが書いてあった。

私は長いあいだ、「暴力をふるう夫」が「暴力をふるわれる妻」にくらべて、なぜ社会的にも個人的にも病理化されないのか疑問を持ってきた。心理学やカウンセリングのなかでは暴力をふるわれながらその状況から抜けだせない妻が、「共依存」の名のもとに病理化」されてきた。もしかしたらそれは「心理の病」ではなく、たんに「離婚したくてもできない」という「制度の欠陥」にすぎないかもしれないというのに。【注】

【注】システム欠陥の「心理学化」や「病理学化」は、カウンセリングブームの大きな問題である。それは社会に帰責するべき問題を個人に帰責することで、社会の変革よりは個人の適応を図るという保守的効果をもたらす。(「プライバシーの解体」より)

自殺者が3万人超えたまま減らない。だからメンタルヘルスだ、前向き志向だと心の専門家を増やし、予防に努めても社会が変わらないと大した効果が上がらないような気がする。なぜなら自殺者の多くが経済的理由を抱えているからだ。リストラされた、老後の生活苦、介護疲れ、子どもの障害。お金にさえ困っていなければ、なんとかクリアできるかもしれない。でも、ほんとうに困っている人は、講座やカウンセリングへ出かけられないだろう。講座に出かけるのは、だいたいがまだ元気さが残っている人なのだ。

ただ、お金のないことも今の時代「自己責任」だとか言って、だんだん国は見向きもしなくなるかもしれないという恐れが大きい。はっきり言ってこの国に希望が持てないから死んでいく人が多いのだということを政治家は恥ずかしく思って欲しいくらいなのだ。

いじめの問題でも同じだな。カウンセリングを受けるのは、いじめられている子。いじめられる子の適応が問題にされる。

息子の学年に、近くの学校でいじめられて登校拒否の子が転校してきた。その子は今はいじめもなく普通に学校生活を送っている。そんな話を息子から聞くと、いじめられるほうに問題があったのではなく、たぶんその学校、またはクラスという社会のあり方に問題があったのではと部外者は思うのだ。

もちろん、個人への心理的援助は必要だ。しかしそれだけでは片手落ちで、社会のあり方だって変わらないと自殺者は減らないだろうな。

生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠 Book 生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠

著者:上野 千鶴子
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年10月 6日 (金)

憲法九条を世界遺産に

憲法九条を世界遺産に Book 憲法九条を世界遺産に

著者:太田 光,中沢 新一
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

新聞の広告を見て久しぶりに買った本。

憲法を変えたい人には、説得力持つかな。

九条を変えたくないと私は思っている。

立派な理由はないけど、憲法を変えて日本が「普通の国」になったとき、私たち庶民の生活は確実に悪くなっていくなという不安感が大きいのだ。

この美しい国への不安感。これが日本人を欝にしたり、無気力にしていく根本原因だと思っている。国と将来に期待が持てない。

負けるのは自己責任だ。「再チャレンジ」だってさせてあげるよと言ったのに、のし上がらない人が悪い。変わりに目標を作ってあげよう。日本人は本来優秀なんだ。それを邪魔しているのは隣の国。戦って勝てば、仕事もお金もあげよう。人間、ひとつのことを目標にするって素晴らしいじゃないか。

またまた日本人は泥沼に陥っていく妄想が離れない。

いったい誰が国民をもう一度不幸にさせようとしているのか。まさかそんなことはもうないよ、と楽観したいのだが。テレビのニュースを観て、あの顔この顔を観るとどうも信用できない。

せめてせめて九条を守らないと、悲劇がくるよという予感だけあるのだ。

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2006年10月 5日 (木)

夜と霧

夜と霧 新版 Book 夜と霧 新版

著者:ヴィクトール・E・フランクル
販売元:みすず書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 有名なフランクルの『夜と霧』を池田香代子訳の新版で読んだ。読みやすかった。

 こういう状況で私は生きられるだろうか。たぶん「死んだほうがましだ」と投げやりになってしまうのではないか。

 ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることから何かをきたいするかでなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。(P129)

 フランクルといえば、「生きる意味」とロゴセラピーで有名で、書いてあることはとても共感する(少し宗教的にも感じるのだけど)。でも、実践は難しい。使命ある仕事を持っている人ならいいが、なかなか人生から自分が何かを求められているなんて考えられない。そこまで行き着くのは難しい。

 

意味による癒し ロゴセラピー Book 意味による癒し ロゴセラピー

著者:V.E.フランクル
販売元:春秋社
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2006年10月 4日 (水)

物は言いよう

物は言いよう Book 物は言いよう

著者:斎藤 美奈子
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

行事ごとも片付いて、やっと読書もできる。

昨日は胃癌検診へも行ってきた。その病院で読んでいた本がこれ。

ジェンダーフリーがなぜ、鯉幟や雛祭りの否定につながることのか、わけのわからないことを言っている原因がわかった。原因になったパンフレットは稚拙なものだったようだが、思い込みで読んでしまう人たちの考え方を変えるのは難しいとつくづく思う。

「フェミコード」略して「FC]。「それってFC的にどうよ」というのは、もっと流行らしたい。

しかし、本を読むと私自身深く考えなかったことも多くて、ジェンダーバイアスが自分にあることを知る。これからは、自分の中で「FC的にどうよ」と考え遊んでみよう。

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2006年10月 3日 (火)

ジェンダーの社会学

『ジェンダーの社会学』(岩波講座・現代社会学11)を読んでいる。

力と権力にはジェンダーが絡んでいる。ジェンダーを女子どもに知られたくないのは、単に性役割を守りたいだけではなく、もっと不快な権力への抵抗を生む土壌になりそうだからなのかな。なんかそこまでは、おじさん達は勉強していないと思うが・・・。

読んで面白いと思いつつも、いろんな人の名が出てくるので整理できない。ノートを作る暇もなく、インプットできなければアウトプットもできないとアホが身にしみる。

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誰よりもママを愛す

9月で終わった田村正和主演の日曜劇場『誰よりもママを愛す』。長男が好きで毎回観ていた。私はお風呂に入る時間なので、少し覗いただけ。

男の主夫物語は珍しくないけど、おかまと結ばれる長男にうちの息子たちは、少々びっくりしたようだ。「男同士結婚できるの?」と聞いてきた。

「できるんじゃないの。愛があれば」と、答えておいた。

でも、パパさんのほうは気に食わない。何も新しくない。性役割が入れ替わっただけだ。

私は、息子たちに、

「なんで、子どもが社会人と小学高学年なのに、働きに出ないんだ」「ママは、帰ってからビールぐらい自分でそそいで飲め」

などと、文句を言っていた。そうしたら、長男が「だってパパはママを愛しているから、家事をがんばっているんだよ」と言う。

母は、「けっ」と思ったのだった。

特に気に入らなかったのが、パパさんが、「ママに美味しい物を食べさせたいから圧力鍋を買いたいので、パートに出ようかな」と話している場面。弁護士していたら圧力鍋ぐらい買えるだろうが。それとも渡された生活費以上のものを買うときは主婦はパートに出ないといけないという現実的な場面なのか。

新しいようで、とても古臭いドラマだった。

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