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2006年11月の投稿

2006年11月28日 (火)

悩む力

悩む力 Book 悩む力

著者:斉藤 道雄
販売元:みすず書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

昨日は、扁桃腺で学校を休んでいる次男とこたつでごろごろしながら『悩む力 べてるの家の人々』を読んだ。前に田口ランディ他何人かの人が「べてるの家」について書いた文書を読んだことはあったが、それがなんであるのかよくわからなかったから、図書館にあったこの本を借りてみた。

田口ランディはじめ皆が「べてるの家」に行ってみたくなるのはわかるような気がする。自分の目で確かめたいのだ。そうして彼らと付き合うことで見えてくるものがあったと、『悩む力』の著者は言う。少し佐藤初女さんの「イスキアの森」のことを思い出した。そこで人は癒されてくる。やはり、行ってみたいなと思う。でも、行かないだろう。

それよりはだ。とりあえずこの場でできることをしなくちゃ。「べてるの家」みたいのがあちこちにあればいい、という言葉が書かれていたがその通りで、癒しを求めるのではなく自分も苦しんでみなくてはと考えたりした。ごろごろしながらね。

昨日の朝、息子を病院へ連れて行ったら、へんなことをブツブツ独り言を言っている青年がいた。みな知らない顔をしているけど、明らかにどこか回路がおかしいようだった。薬局で待っているときテレビを観ていたら、その青年が息子のそばに来て座った。何か話しかけたそうだ。息子は無視している。テレビでは雫石スキー場のCMをしていた。「ああ、スキーシーズンがはじまる」と思ったら、その青年が「雫石!」と叫んだ。息子はギョとする。青年は雫石へ行ったことがあるのか。雪を見て、私のように心がきゅんとなったのか。ニコニコした顔でこちらを見ていたけど、順番が来て名を呼ばれたので話しかけられなかった。息子はかたまったまま。なんだか息子の方が嫌な奴だ。小さい子だからしかたないかもしれないが・・・。

「べてるの家」は、日本もまだまだ大丈夫と思わせる存在かもしれない。

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2006年11月27日 (月)

Weter Land

ウォーターランド Book ウォーターランド

著者:グレアム・スウィフト
販売元:新潮社
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最近小説を読まなくなった。その中でなにげなく手にした『ウォーター・ランド』は久しぶりにいいものを読んだと思えた1冊。作者のグレアム・スウィフトの名さえ知らなかった。

われわれがぐるぐると円を描いているのも無理はない。それではだ。われわれの荷物を放りだそうではないか。この荷厄介な装備一式を投げ捨てたらどうなるか、やってみようではないか。そんなふうにして時折、足手まといな歴史を廃棄すること、つねにいらだちの種であるこの思い荷物なしですますことが試みられる。そして歴史は積み重なるので、歴史は絶えず重くなりつづけ、いらだちは大きくなりつづけるので、歴史を振り捨てようとする(振り捨ててーさて、どちらだったかー進もうとする)試みもその分だけ、次第に荒々しく思いきったものになっていく。それゆえ、歴史は周期的に激動期を迎えるのであり、それゆえ、歴史が必然的に肥大してその圧力を増し、ますます支えがたいものになるにつれ、たとえ荷物を捨てても自分がどちらに向かっているのかわからない人間は、ますます大規模な破局に巻き込まれる羽目となるのである。

 破局と混乱を経てであれ、われわれが真底から望んでであれば、われわれをわれわれがかつていたところへ連れ戻すもの、それはいったい何であろう。

 それを自然誌(ナチュラル・ヒストリー)と呼んでおこう。

 子供たちよ。授業でフランス革命をやったときのことを覚えているだろうか。あの画期的大事件、あの歴史上の一大分岐点を扱ったときのことを。私が「レヴォルーション」という言葉の含意を君たちに説明したことを。すなわち回転すること、ひとめぐりすることの意であるのだと。革命の一般的イメージといえば、全面的な変化、変革―未来への前向きの跳躍―ということになるけれども、ほとんどすべての革命はその内に、一目瞭然とはいえないながらそれとは反対の傾向、すなわち回帰の観念を蔵していると話したことを。取りもどすこと。旧に復すること。純粋で基本的なことを、退廃的で見せかけにすぎないことから区別して再確認すること。はじめに戻って新規まき直し・・・。 (P196~197)

「子どもたちよ」で語られる主人公の哀愁ある口調。一家の歴史。英語で読んでみなくてはと思った。

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2006年11月26日 (日)

シートン

シートン 第3章―旅するナチュラリスト (3) Book シートン 第3章―旅するナチュラリスト (3)

著者:谷口 ジロー
販売元:双葉社
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息子が二人とも熱を出して寝込んでいる。出かけたついでにお土産にと買ったのが、谷口ジローが描く『シートン 第3章 サンドヒル・スタッグ』。大鹿の話だ。原案が今泉吉晴。子どももじっくり楽しめる。

シートン 第2章―旅するナチュラリスト (2) Book シートン 第2章―旅するナチュラリスト (2)

著者:谷口 ジロー
販売元:双葉社
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シートン 第1章―旅するナチュラリスト (1) Book シートン 第1章―旅するナチュラリスト (1)

著者:谷口 ジロー
販売元:双葉社
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それから、映画『ブレイブ・ストーリー』のDVDも借りてくる。小学校でファミリー読書という企画があって、親子で同じ本を読んで感想カードを書いて提出しなくてはいけない。長男はは小川洋子の『博士が愛した数式』で、これは読んだことあるからさらさらと感想を書いた。下の子は、宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』にした。ちょうど下巻を読んでいるところだという。「えっ、3冊もあるの」。昨日気にかかるイベントが終わったので、上巻を読んでみたけど、冒険までの導入が長くてやめた。息子にだいたいあらすじを聞く。そうしてDVDを観て、感想を書くという狡い手を使うつもりだ。『ロード・オブ・ザ・リング』のように長い物語は好きだったんだけど、今回はひき込まれなかった。

ブレイブ・ストーリー (上) Book ブレイブ・ストーリー (上)

著者:宮部 みゆき
販売元:角川書店
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のだめカンタービレ

『のだめカンタービレ』がコミックで評判になりだしたとき、何回か買おうかと思いやめた。1冊買えば、全部買うことになる。そろそろマンガは卒業と思った。

なのに、ドラマの『のだめカンタービレ』の第1回を観たら面白くて、つい本も買ってしまう。もちろん16巻も!! 毎日息子たちと争って読んでいた。ただ、私の場合は1回か2回読むだけなのに、息子たちは何回も読む。次男はお気に入りの『動物のお医者さん』を机の脇において何回も読む。そこら辺がよくわからない。

わが家は、ゲーム機はとうとう子どもに買うことなく小学生時代を終えようとしているが、マンガにはお金を使った方かもしれない。私がマンガ好きだから、マンガは許したのだ。

長男が小学校に上がる前、祖父に小遣いをもらい本屋へ行った。彼が選んだのは、相変わらず仮面ライダーか何かのテレビ絵本。「そんなもの」と思って、「小学生になったら、こういうものを読むのよ」と、『クレヨンしんちゃん』をすすめたのだ。そこからマンガ道を突き進んでいる。

そうわけで、久しぶりに連続ドラマを観ている。テレビを座って観るのも久しぶりだわ。

わが家がテレビを観ないのにも訳がある。3年前まで山の中に10年住んでいた。山の上に隣の人が立てたアンテナを借りてテレビを観ていたが、NHKもまともに映らず、まともに観れるのはTBS系の番組だけだった。ところが、そのアンテナも山仕事の人が間違ってケーブルを切断したので、観られなくなり、アンテナ自体も崩れ落ちそうだった。直すのは面倒なので、テレビはNHK・BSしか見られなくなった。

そうして3年前、町に引っ越してきて民放が観られると喜んだけど、何かが違っていた。CMに我慢できない体質になっていたのだ。親だけでなく子どもたちも。子どもたちは、学校で人気のあるバラエティを一応観ようとする。私も観てみた。しかし、バラエティ番組って何であんなに繰り返しが多いのか。いいところでCMになり、また同じ場面からはじまる。馬鹿らしくなって観るのをやめてしまう。「10年前も、テレビはこんなだった?」「なんかCM多くない?」と結局テレビはあまり観ないことになってしまったのだ。ワイドショーなんて観ると、特に繰り返し多くてイライラしてきて観ることができない。

だから『のだめ』は、家族がテレビの前に集まる懐かしい光景となった。歴史おたくの長男は『功名が辻』を必ず観ているが、私も夫も興味がないので部屋に引っこんでいる。

 霜焼けと活字中毒遺伝する   胡桃

ずいぶん前に作った句だ。CMもなくのめり込めるマンガがやっぱりいい。

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2006年11月21日 (火)

現場のきつい仕事を安い賃金で

朝からブログを書いているのは、実は逃避なのだ。やらなくちゃいけないことがあるのに、書き出せなくて本を読んだり、ブログを書いたりしている。

昨日ぱらぱら読んでいたのは、『岩波講座・現代社会学  成熟と老いの社会学』。その中で寺澤恵美子氏の「ポスト・フェミニズムの中の老い」で紹介されていたバーバラ・マクドナルドに興味を持った。介護に対するこういう見方は、やはり女性のほうが敏感だ。

マクドナルドは、高齢者が施設で介護を受けているというのは神話で、実際には家で家族が介護しており、この介護は「目に見えない無償労働」として娘と嫁に降りかかっていると指摘している。さらに施設介護にしても在宅介護にしても、高齢者の介護はこれからも、女性の仕事になるだろうから、低賃金のパート労働ではなく健康保険も有給休暇もある正規の仕事なのかどうか、よく見定めておいたほうがよいと女性たちに忠告する。男性たちはすでに、「高齢者をダーゲットにした大規模なシルバー産業の発展を見込んで、高齢者用住宅や老人ホームの建設を考えている」から、女性は「現場のきつい仕事を安い賃金」で押しつけられないようにすべしと警告している。これが書かれたのは1980年だが、皮肉なことに、この指摘通りのことが、現実に日本で起きている。

「皮肉なことに、このことが現実に起きている」なんて、これは必然なのだ。なんで声をあげている人はいるのに、女性は低賃金のきつい仕事をおしつけられてしまうのか。女性の本当の味方の政治家が少なすぎるからだ。女性の学者や運動家が何を言っても聞こえない男性政治家は多い。だって女性なんてそういうものと思っているから。彼らの意識を変えるのは100年かかっても無理なら、改革してくれる政治家を多数生み出さないといけないんだけど・・・。

今のアメリカの介護現場はどういう人種や階級の人が働いているのだろうか。賃金はどうなっているのだろうか。憧れとして北欧モデルを勉強しなくちゃと思っているけど、反面教師としてのアメリカの実情もしらなくちゃと思う。

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ボランティアでいいのか

わが町の『福祉便り』に、「運転ボランティア募集」の案内が出ていた。車椅子利用者の通院などのおでかけ送迎サービスの運転手をボランティアで募集している。

本当にボランティアなのか、少しもお金がでないのか。事故に遭ったときの保険はかけてくれるのだろうか。こういう日常の業務をボランティアに任せていいのだろうか。ボランティアが頼りないと言っているのではない、ここでも人の労働を詐取していると感じるから、「いいのか」と疑問に思っている。

災害や単発のイベントの時にボランティアの活動に意義はあると思っている。でも、毎日日々続く仕事をボランティアに頼るのはなんだか変だ。お弁当サービスでも、作る人も配達する人もボランティアだというところもある。

自治体はお金がないから、引退した人たちや暇な奥様たちの生きがいのひとつとしてボランティアでやらせているのだろうけど、まだまだ無駄なお金を役人はたくさん使っているのに、末端で働く現場の人にお金を払うことを拒んでいる。まったくせこい話である。

ダムにかける金の何パーセントでも、運転手やお弁当サービスの給料とし、保証をつけてあげ、若い人の働く場にしてもいい。高齢者だって年金だけでは暮らせない人が多いから、雇用の場を作るのにも役に立つ。お金をもらった方が生きがいになるとも思う。でも、お金は出したくないのね。

最近、自治体からまわってくるチラシ、パンフの類にめだつ文字は「地域の力」だ。地域の大切さはよくわかる。しかし、自治体がやるべきことを、工夫もしないでお金ないからと、地域の力に頼り、無償で働かせるのはどうだろうか。ボランティアとは、上から下りてくるものではなく、地域の人々がやりたくなって発生するものではないのだろうか。

役人は自分たちがきちんと給料をもらっていて、ボランティアという名目でただ働きをさせていることに疑問を持たなくなってしまったのだろうか。中央の政治も地方自治も何かが抜け落ち麻痺してしまったようだ。

私なんかがつぶやいたって何も変わらない。世の中の学者さんでもたくさんの人が、今の政治は問題だと言っているのに、何の影響力を持たないのだろうか。学者も文学者も役立たずと思うが、とりあえず声をあげることだけはしていって欲しいと願う。

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昭恵夫人に指南

(昨日11月20日の朝日新聞の記事より)

安部首相に同行してハノイに訪問中の昭恵夫人に、ブッシュ大統領のローラ夫人が、「興味を持っていることから始めるのがいいのでは」と、助言したとか。何のことかというと、ファースト・レディの慈善活動のことだ。

それに対し、昭恵夫人は、

「子どもに関する活動に関心があるが、最近はいじめや自殺問題に心を痛めている。子どもという枠組みを超えて恵まれない人々の境遇の改善に興味を持っている」

と答えたそうだ。まずはいろいろ勉強して、ご自身のパートナーの再教育から始めてもらいたい。

金持ちの慈善事業というのもため息ものだ。かわいそうに思うのなら、もっと暮らしやすい国を作ってよと言いたいが、もしかしたら本当の痛みはわからないのかもしれない。

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老いの超え方

老いの超え方 Book 老いの超え方

著者:吉本 隆明
販売元:朝日新聞社
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『老いの超え方』を読む。吉本隆明の語り書きの本は読みやすくていい。吉本隆明だから、普通の高齢者とは違うのかもしれないが、高齢者の心理としては参考になった。

「お年よりはぼんやりしているように見えても、頭の中は忙しく動いている」というようなことも、そうだなと思う。

夕方、時々夕食を作りに行く95歳過ぎの方が二人いる。この時期夕方はもう暗くなっているのに、真っ暗な家の中でソファやベットに座ってじっとしている。「電気もつけないで」と私は電気をつけるのだが・・・。その方たちは、うとうとしている訳でもなく、ぼんやりしていたわけでもなく、何かが頭の中をめぐっていた疲れが見える。過去の思い出、妄想、息子は何時に帰って来るのだという心配・・・・。少し経って、やっと我に帰り。「ああ、来てくれたんだね」と笑みが出る。

老いの超え方には、それぞれのやり方があるだろうけど、高齢者は表に出さないだけで感受性が子どものように強くなっていることを忘れてはいけないのだった。

それにしても、この本の吉本隆明の顔が吉本ばななにそっくりでかわいい。親子だものね。

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2006年11月20日 (月)

感想を述べよ

今朝も4年生のクラスで朝読書で読み聞かせをしてきた。

読み聞かせも終わり、少し雑談して帰ろうとすると、子どもが「感想があるんです」と遠慮がちに言う。「感想?」と思っていると、委員長らしい男の子が、「1班は?」と聞き、一人手をあげる。「2班は?」また一人手をあげる。合計4人が感想を述べてくれた。たぶん担任の先生からの指示なのだろう。

「ちっとかわいそうだったけど、面白かったです」

私には、子どもたちの照れた言葉を聞くのが面白かった。

でも、いちいち感想なんていいやなと思っている。

学校ってすぐ感想を言わせるよね。息子が前に通っていた少人数の学校では、何かの行事の後、必ず感想を言わせた。スキー教室のあとも、

「とても面白かったです。上達してよかったです。教えていただいたPTA、地域の方ありがとうございます」

だいたいが似たような言葉。それを何人も聞かされて少々うんざりしたこともある。

「感想を述べよ」と言われて、いつも張り切って手をあげる子もいるが、言えない子もいる。手をあげる子は積極的と評価されるだろうけど、手を上げない子の中にも何かのこっているはずだ。形にできない何かをすぐに言葉にしろというのも酷な作業だ。言葉にした段階で何かが終わってしまうかもしれない。

小学生は「感想述べよ」と言われ続けているのだ。それがクラスで話し合う話題のきっかけになればいいことかもしれないが、感想で終わってしまっていないだろうかなどと考えながら帰ってきた。

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渡辺白泉

  戦争が廊下の奥に立っていた   渡辺白泉

 昭和15年と16年に「京大俳句事件」とい新興俳句への弾圧があった。渡辺白泉は、そのとき検挙され投獄された俳人のひとり。今思えば、「なんで俳人が捕まるの」と思うのだが、反軍国主義や愛国心のない思想を治安維持法を使って反思想結社ということで検挙されたようだ。

「反思想」。なんだかこれからまた流行るような気がする。共謀罪なんかできたら、「反思想」的句会なんかもできなくなるだろう。でも、今どきの俳人で国が恐れる人が出てくるかどうかはわからない。

 鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ

 まんじゅしゃげ昔おいらん泣きました

 玉音を理解せしもの前に出よ         白泉

 現代では、戦争は廊下の奥に立っているなんてものではなく、広場に堂々と立っているようだ。

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2006年11月18日 (土)

キャンセル

昨日の午後の仕事はキャンセルとなったので、病院へ行ってきた。口角が荒れて、口が開きにくいのだ。これは時々なるもの。たいていビタミンBと塗り薬をもらってくる。

「先生、胃が悪いと口角が荒れるというけど、関係あるんですか」と聞く。関係はあるそうだ。胃が悪いと、栄養の吸収が悪くなるのだからと言う。ストレスためないように、よく寝なさいとのことだ。

ギクッである。胃癌検診で胃癌ではないけど、潰瘍の痕のようなものがあるし、「一度胃カメラで検査しよう」と薦められているのに、「暇になったら」と逃げているのだ。だいたい、胃の調子が悪いので胃癌検診をはじめて受けたのだから、胃に優しくしなくてはと思った。

という胃の話ではなく、「キャンセル」の話をするつもりだった。

ヘルパー利用者さんも、いろいろな理由でヘルパーをキャンセルする場合がある。お客や子どもが来ているから、具合が悪くて人と会わないで寝込んでいたい、どこかにお出かけす。それぞれ予定があるのだからいいと思う。

私なんか事務所から家まで5分だし、キャンセルになれば、「キャッホー」と喜んで家に帰り、机に向かう。

でもね。普通はがっかりだ。遠くから家を出てきて事務所についてキャンセルというのも嫌だ。前は、車で40分近くもかかる事業所でヘルパーをしていた。1日の3件の仕事のうち、真ん中の1件がキャンセルになると、家にいったん帰るには遠すぎるので、ドトールとかに入って読書をするとか、本屋に入って本を買ってしまうとか、お金を使ってしまうのだった。(そういう理由もあり、近くに事業所があると知って今のところにうつった。)

前にいたS事業所には、ヘルパーが休憩できる場所がなかったから、外でふらふら時間つぶしをするしかなかった。今のM事業所は、ヘルパーも座れる大きな机に、飲み物も各種用意され、お菓子もなぜかいつもあり、お昼になれば、漬け物名人のヘルパーさんが漬け物を置いてくれ、ケアマネさんがピザを焼いてきてくれたりする溜まり場がある。時間があいた人は、そこでハングルの勉強したり、おしゃべりしたりしている。外で時間つぶしをすることなく、お弁当も食べられて環境はいい。

(前のS事業所の時は、スーパーの駐車場で車の中でお昼を食べた。同じようなことをしている営業の人やタクシーの運転手さんが集まる大きな駐車場があるスーパーが私のお昼場所だった。でも、陽射しの強い日や寒い日は辛いのよ。各車が冷房や暖房をかけるためにエンジンをつけている。これももったいないことで、環境汚染なのだ。それに気持ちがみじめになるよね。「なんで私がこんなことしているんだろう」と思ったもの。だから、今のM事業所は時給安くても居心地がいいのでヘルパーさんは辞めないそうだ。)

(また、前のS事業所は、町の中心部の小さな家やマンションに住む利用者さんが多かった。駐車場はない。会社の車ではなく、自分の車で動くから路上に止めるのが怖くて、有料の駐車場に駐車する。それはもちろん自腹だ。「どこに車をとめてきた」と気遣って駐車代を払ってくれた人が一人いたが、だいたいがヘルパーがどこに車とめたか、あまり気にしない。ここは雪国だから、冬は雪におおわれ路上駐車をするスペースもない。それで駐車代がかかるならと、往復1000円かけてバスででかけた。もちろん交通費はでない。しかし、車ででかけないと、昼やキャンセルの時間を車で過ごすわけにもいかず、どこかの店に入る。たった2件のときなど、交通費と昼代をひけば収入なんて1000円にもならない。登録ヘルパーするなら、家の仕事のあいまにできる近い場所をまわらなければ損なのだった。また、今のM事業所はヘルパーの車が8台あり、自分の車を使わないですむからいい。どうせ登録ヘルパーするなら、時給だけで選ばないで、その事業所の環境と上司の人柄が大事だとつくづく思った。)

しかしね。キャンセルになれば当然その分の時給は1円もでない。今日は4000円は稼ぎたいと、月これくらいは稼ぎたいと予定している人には、キャンセルはがっかりだ。登録ヘルパーはそういう意味で収入が安定しない。とても母子家庭の人が一家を支えていく収入にはならない。片手間の仕事だ(主婦のパートです)と思わないとやっていけない。でも、母子家庭になっても自立できる収入が欲しいと思う。それだけのものがあれば、もっとがんばって私も働くぞ。

このあいだ、先輩のヘルパーさんに「介護福祉士の資格取るんでしょ」と聞かれた。

「介護福祉士の資格取っても待遇は変わらないよね。うちは夫が年寄りだし、自営業だから、私は一家を支えるぐらい稼げるようにならないといけないと思っている。だから、毎日家で夫と同じ仕事して(原稿書き)顔をつき合わせているのも嫌で外に出てみたけど、元の仕事に戻るか、違うことするか考えている」と正直に言った。

また、利用者さんのほうでもキャンセルするなら早めに言って欲しいのだが、直前にキャンセルの電話が来たりする。私は、その家を訪問したら、お嫁さんが来ていて「今日はいいから」と言われ、帰ってきたことがある。こういうのは「まったくもう」である。

すごく難しい利用者さんがキャンセルになると、「よかったじゃない」と喜び合うこともあるが、ヘルパーは軽んじられているという感じがするのだった。

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2006年11月16日 (木)

信念の外に出られない

教育基本法改正が委員会で可決されましたが、本会議でも通ってしまうのでしょうか。NHKのニュースで各党のインタビューを観ていると、話し合いなんかできないと暗くなるだけです。

いったい自民党はどういう信念を持って子供たちを管理し、国民を管理し、弱い者いじめをしていくのだろうか。そのうえ戦争だってやりたそうだ。なんでそこまでやるかと、一般人にはぜんぜんわかりません。

ずいぶん前に、アメリカの哲学者ローティのことに触れた本を読んだとき、

「私たちは自分たちが信じていることの外にはでられない」

という言葉のやりとりが記憶に残っている。

私たちは自分の信念と対応するものしか観ていない。Aの信念を持つものが「データがこうだから、我々の意見は正しい」と言うのに対して、Bの信念を持つものが「そのデータはでたらめだ。統計的におかしい」と緻密に反論したところで、Aは自分の信念に対応してしか判断できないから、他の考え方なんてできない。社会科学と科学がついたって実際は主観がいっぱい。「人は見たいものしか見ない」と言ったのはゲーテだったかしら。

相手の信念は変えられない。それだったらどうしたらいいのか。

ローティは、「自分たちが今正しいと思うものから始めるしかない」と言っているそうだ。その考えを自文化中心主義と言うらしい。

不安になる世の中だけど、諦めないで「今ここの信念で」、自分がいいと思う方向を見ていかないといけないと思った夜だった。

ローティについて書かれていた本は、冨田恭彦の『対話・心の哲学』。ローティの著作も読んでみたい。

対話・心の哲学―京都より愛をこめて Book 対話・心の哲学―京都より愛をこめて

著者:冨田 恭彦
販売元:講談社
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2006年11月14日 (火)

読み聞かせ

昨日は小学校の5年生のクラスに入って、朝読書の時間に読み聞かせをした。

今月は3回、図書ボランティアが各クラスにいっせいに入って自分の選んだ本を読むことになって人手が足りないから手伝ってくれと連絡があり、参加することになった。

小学校の図書ボランティアに一応所属している。幽霊メンバーもいるが、私は透明人間メンバー。たいていの人が、私が図書ボランティアやっているなんて知らない。この間も飲み会でばれて、「宮野さんが入っていられるなら、私もできるわ」と言われた。どういうことだ。

図書ボに入ったきっかけは、息子の仲良しのお母さんに誘われたから。最初は家で仕事しているだけだったので本の修理や読み聞かせに参加していたけど、週3日ヘルパーの仕事に出るようになってから行かなくなった。「会を抜けさせてくれ」と言ったけど、「名前だけでいいから」と残っているわけだ。

図書ボに行かなくなった理由は、もうひとつある。作業が終わってからのお茶飲み話が長くなるのだ。あまり興味のない話に付き合うのは辛いので、昨日も読み聞かせのあと、1杯コーヒーを飲んで失礼してきた。雑談は苦手だけど、妹のようにかわいいお母さんたちが何人かいるので、顔を見るのは楽しみ。

それで読み聞かせだが、昨日のテーマは昔話ということで宮澤賢治の『ざしき童子』を読む。探している暇がないので家にあったのを持っていく。子どもたちはおとなしく聞いていた。おとなし過ぎるくらいだ。先生に注意を受けていたのだろう。絵本を読み終わってから、私が知っている現代の座敷童子の話をしたら、「えっー」とか反応があってほっとする。緊張したが、楽しい時間だった。

読み聞かせ自体がいいものかどうか私にはわからない。息子たちはたしかに読んでもらうのが好きだった。でも、上の子が字が読めるようになると、読み聞かせはもっぱら彼にやらせ、私は聴いているうちに眠ってしまうことが多かったなぁ。おかげで兄は国語の音読がいいと今でも誉められるそうだ。

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2006年11月12日 (日)

「ニート」って言うな!

「ニート」って言うな! Book 「ニート」って言うな!

著者:本田 由紀,内藤 朝雄,後藤 和智
販売元:光文社
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お出かけ中に読む本がなかったので、本屋でこの本を買って今頃読む。

読みながら、「そういえば最近あまりニートという文字を見ないような」という気がしたけど、どうだろう。企業の求人率が上がっているとかで「ニート」の流行りも過ぎたのか、それよりも義務教育や高校生の問題へと下りてきているからか。

実は私もはじめは「ニート」と聞くと情けないイメージがあった。

だが、NHKの支援塾の様子を放映されているのをたまたま見て、「嫌だな」と思ったのも事実。大の青年を育て直しするとかで訓練していたけど、宿舎はボロいし、内容も?だった。

いったい、こういう塾って誰が運営しているのだろう。何か資格があるのか。いい運営者に当たればいいが、へんな支配的な人、偏った考えの人に管理されるなんてごめんだ。だいたい補助金目当てではないのかと、ついつい疑ってしまう。ずいぶん前に、マスコミに出たがる某さんが(少し地域のことで関わりがあった)、環境問題や村おこしとかいろいろやっているのだが、補助金というものを役所から引き出すのがうまかった。そうして、そのお金を公私混同で使っていた。私は抗議したけど、逆ギレされたという経験があるので、疑ぐり深い目でしかまだものが見えないのだ。

本を読むとメディアの罪は、考えていたより大きすぎるとため息。

小泉前首相に「キャーキャー」言っていたおばさんたちは、この間テレビを観ていたら安部首相に「キャーキャー」言っていた。何を考えているのだろうか。

わが家はあまりテレビを観ない。それに対して母が、「テレビも観ないと世の中のことわからないでしょう。文化的じゃない」と苦言を呈してくれた。もちろん、「あなたより教養もあるし、世の中のこと知っているよ」と心の中で言ったが、娘がワイドショー的話題に無知なので、会話するネタがなくて淋しいのはわかっているんだけど、このおばさん軍団をもっと問題意識持たせてくれるようなスターが出てくれないものかしら。母もたしか土井たか子氏は応援していたはずなのだ。今はすっかりメディア洗脳組になってしまった。

テレビや新聞だけに頼らないで、本やインターネットで多面的に物事を観るなんて、忙しい人やものぐさな人、活字嫌いな人には無理だ。だから、マスコミが飛びつくような、国民が今の世の中でいいのかと考える方向にもって行くようなスター政治家が欲しい。小沢一郎ではだめだし、福島瑞穂氏も優等生すぎてなんだかなという感じだ。共産党もマスコミ下手そうだし、無理だろうか。

そもそも「改革」を叫んでいるのが自民党で、今の制度を「守りたい」のが野党だからわからなくなる。普通逆じゃないのか。私たちは馬鹿だから「改革」って言うといいものだと思ってしまう。

希望は、やはりこれからの若者だと思う。テレビや新聞だけではない情報にアクセスできる。ネット・ワークも作れる。彼らを少し自分で考えるようにさせれば人材の宝庫なのだ。ただ、学校教育に任せていてはますます国のいいように子供を生産させてしまうから、ゲリラ的に若い人たちに政治に関心を持たせるような何らかの取り組みがあればいいなと思うこの頃だ。

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2006年11月 9日 (木)

サービス労働

あまり仕事をしない私が昨日は5件もヘルパーの訪問をした。休んでいる人が何人かいたからだった。

朝8時に事務所に着き、夕方6時半に事務所を出る。10時間30分の拘束時間。でも、支払われる賃金は、7時間30分ぶんしかない。あとの3時間は何をしていたのか。それは車での移動時間や書類を書いている時間だったり、サービス労働時間なのだ。

(私は、登録ヘルパーと言って、基本的に派遣されたお宅で仕事した時間分しか賃金は出ない。ただし、今の事業所では30分ぶんが書類整理代として加算される。)

ちなみに、お昼は10時半に20分だけ椅子に座って菓子パン1個とコーヒーですませた。その後はお昼を食べる時間がなかったからだが、10時間30分のうち、お茶を飲んだのはこのときだけ、トイレにもあまりいけないのがつらいところだ。だから、賃金のもらえない3時間を遊んで過ごしたわけではない。20分パンを食べている間も。帰ってきたヘルパーさんから「具合悪そう」「冷蔵庫に煮物残っているから」と情報交換をしている。

サービス労働とは、利用者さんの利用時間がオーバーした分の労働のこと。仕事が終わっても、話が止まらなくて帰してくれない利用者さんは多いが、これははずして、純粋に仕事が終わらなくて利用時間がオーバーする場合がある。

あるお宅では、認知症が進んで便失禁が毎日のこと。その便を部屋中にまきちらしたり、ゴミ箱やへんなところに便やおしっこをしていることがある。食事を作るために訪問しても、他の仕事に追われて時間はオーバーになる。私は週1回しかそのお宅にはいかないが、便失禁にあわなくてもいつも10分、15分はオーバーする。しかし、このあいだ便の処理ほかのもろもろあって40分以上もオーバーした。さすがに主任に訴えたが、

「ごめんね。あの方限度額いっぱいいっぱいなのよ」

と言われた。わかっていたことではあるが、おかしい。

限度額とは、介護保険でカバーできる限度額ということ。それ以上ヘルパーを利用した時間分の人件費は介護保険では出してくれない。その分は、利用者の自己負担か、会社の負担になる。でも誰も負担したくない。書類上も面倒になるのだと思う。だから、まるくおさめるにはヘルパーが我慢しなくていけない。

いったいヘルパーのそういうサービス労働をあわせたら、どれだけの金額になるだろうか。

介護保険の裏にあるシャドウ・ワークというものを平気で押付けられるのも、主婦の仕事だからではないか。2重の意味で主婦の仕事なのだ。食べるに困っていない主婦の片手間のパートであり、家事仕事は「主婦の方はベテランですし、皆さん思いやりのある方たちだから」というわけである。

これをあまり黙っていちゃいけないと思う。でも、職場で「おかしいと思う」と言ってみたら、先輩が「宮野さん、あまり余計なこと言わないほうがいいよ」とたしなめられた。上から睨まれて仕事来なくなったり、きつい仕事ばかりまわされても嫌だからだ。

食べるに困らない主婦のパートでも、人それぞれパートをしている訳がある。何万かの収入が必要なのだ。私のように勉強しているなんていうお気楽主婦とは違う事情がある。

だからこそ、賃金の安さに腹が立つ。毎日のようにフルで稼働して、難しい利用者さんに行き、お昼は車の中でおにぎりを食べているヘルパーさんたちの正当な賃金を要求しなくてはと思う。

問題はおおもとの国の考え方だ。高齢者とその家族が悪いわけではない。

例に挙げた便失禁する男性とその奥さん(彼女も病気がある)は、とても感じのいい人で、「ヘルパーさんがいるから生きていられる」とか言ってくれるし、利用者さんが難しいと言っても体や頭の老化や病気のためで本人のせいではない。だから、ヘルパーはがんばるのだが、ヘルパーに負担とボランティア精神を押付ける制度が問題なのだ。

(なんだか、そのうち病気になるのや老化で動けなくなるのも自己責任だと言われて見捨てられるのではないかと不安になる。予防につとめなかった人が悪いとね。)

前の事業所でも思ったことだが、不公平な制度の下ではいい人材が育たない。いい人材は疲れ果ててしまうし、要領のいい人は手を抜くことで不公平感をなくそうとしてしまう。介護労働者のボランティア精神だけに頼るのはもう限界があると思いながら、仕事をしている。

さて、今日も朝いちで利用者さんを病院に連れて行かなくてはいけないので、このへんでおしまい。通院介助は見た目は楽そうだが、けっこうお医者さんの間に立って話を伝え合うのも難しいし、待っている間に耳の遠い利用者さんと大声で話しているのも疲れるのだ。

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2006年11月 7日 (火)

夢は大きいほうがいい

『未来を変える80人』の中で、オスカー・ワイルドの言葉を紹介していた。

「夢は大きいほうがいい。さもないと、追いかけているうちに見失ってしまうからね」

これを読んだとき、赤い大きな風船が目の前にゆらゆら揺れて飛んでいくのがイメージされた。見えるのに、追いかけてもつかめない。でも、風船が小さかったら人ごみや草むらやらにまぎれて見失ってしまうだろう。見失うと忘れてしまうだろう。いつもチラチラ見えているのがいいんだな。

詩人というのは、シンプルにいいこと言うものだと感心した。

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2006年11月 4日 (土)

子ども会です

この夏に我が家は同じ町内の中で引っ越しをした。今までは、子どもたちは学校まで3分だったのが10分ぐらいになったというご近所だ。何も変わらないけど、子供会の班が変わる。ただ、今年度いっぱいは前の班に所属させてもらって、来年度からここの班にいれてもらうことになっている。

しかし昨日、子ども会の来年度人事を決めるという集まりがあった。「もう決めるの」と思ったが、午前中に小学校の学習発表会なので、親は仕事を休んでいるはずだから、学習発表会に行って、子ども会の打ち合わせに出られないという言い訳はできないということらしい。

でも、祝日とはいえ金曜日はヘルパーの仕事がある日だ。私も一応休暇願いは出したが、スケジュール調整ができない場合は仕事を引き受けることにした。ただ主任に、

「子どもは、お母さん仕事だからと言えばわかってくれるけど、仕事だからというのが通じない世界があるようなので、午後の訪問は休ませてください」

と、訴えた。それで午前は仕事で子どもの舞台発表は観られなかったが、午後の打ち合わせには出た。それには理由がある。引っ越してきたのに、今度入る子ども会世話人さんとかに挨拶に行っていないという批判があったらしいので、ここは「はじめまして、来年度よろしくお願いします」と、頭を下げてこないといけないと考えたからだ。

新しく入る子ども会は、ベテランの一生懸命なお母さんが多い。緊張する。

前の子ども会は、世帯も少なく、友達の集まりのようでとても楽だった。資源回収はお父さんと子どもたちの仕事で、私なんか行かないときもあった。全世帯お父さんが出てきた。なんかお父さんの仕事として定着していた。バーベキューもお父さんたちが全員出てきて焼いていた。お母さんたちは食べる係だった。

しかし昨日、まじめなお母さんたちが来年度に引き継ぐ話を聞いているうちに、不安が起きたので、初めて発言してみた。

「ちょっといいですか。資源回収とか行事とかお父さんたちも参加しているのですか」

答えは、「今まで参加なかったわね。でも、参加したかったらお父さん歓迎なのよ」と言うことだ。

えっー、まずいじゃん。お父さん歓迎って言ったって、お母さんしか来ていない状態だったら、うちの夫も手伝わなくなるだろう。

明日は前の子ども会の資源回収で、いつも夫はお年寄りの家をまわって重いものを集めてくるので、当たり前のように予定に入れている。来年度からはここはちょっと様子が違うというのは、まだ黙っておこう。

一応、来年度の役員はやらないですんだが、子ども会というのもよくわからない世界だ。

前の子ども会は、ぐーたらな母が多かったのか合言葉は「楽にやろう」だった。今回の子ども会では、「子どものために」「子どものリーダーを育てるのが目的」など、いろいろ出てきた。子どもの自主性を育てるらしいのだ。

んーなんだかな。子どもの自主性を育てるというわりには、口出しが多そうな母もいるような。それより、お父さんたちの自主性も育てていきたい。

一生懸命なお母さんたちの集まりでは、お父さんの出番はないのか。お父さんを家事・育児に参加させるためには、お母さんがグータラになるべしと思うのだった。資源回収なんて実際はたいしたことない。でも、お母さんだけの仕事でなくお父さんたちの交流の場になれたらいいのになんて思っている。

 さて、うるさい息子はスポ少の大会で東京に行ってしまったし、私はこれから職場の芋煮会だ。お天気もいいしうれしいな。

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2006年11月 2日 (木)

未来を変える80人

未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家 Book 未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家

著者:シルヴァン・ダルニル,マチュー・ルルー
販売元:日経BP社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 図書館の新刊コーナーに、朝日新聞の書評で紹介されていた『未来を変える80人』が置いてあったので借りる。先日、ノーベル賞をもらった「貧者の銀行」、グラミン銀行を創設したムハマド・ユヌスについても書いてあるから読んでみたかった。私は、ノーベル賞の記事を読むまでそんな人がいたとは知らなかった。この本の著者たちは、ムハマド・ユリスがひとつの理想として取材がはじまったと書いている。

 本を借りてから慶大教授の金子勝氏の話を聴きに行く予定だった。でも、時間があるからコーヒーを飲みながら、本を読み始めた。ここのところ将来への不安にどよーんとしていたから、ひさしぶりに明るい気持ちになれる本だったね。確かに、状況は最悪だ。でもそれを伝えるだけではなく、希望も伝えないといけないと気がついた。

 金子勝氏の話も思いっきり最悪のシナリオだった(わかっていたけどね)。最後はどう締めるのだろうと思っていたら、日本でも『未来を変える80人』に紹介されている人のような人たちがいることを紹介していた。今びりっけつな人たちも工夫と創意で前に出られる。簡単なことではないけど、暗いお話の後にそういうメッセージは救われる。

 その夜、息子が私の部屋に来て、「いま速報で『6者協議』が再開されるって言っていたよ」と言いに来る。「心配していたの」というと、「北朝鮮と戦争になるか心配。戦争嫌だよ」と言う。今、6年の社会で第二次世界大戦のときの庶民の暮らしを調べているのだ。それに、親も最近、憲法や教育基本法の改正問題を食卓の話題にしているし、子どもは自分の未来を心配している。

 あまり心配させて悪かったと反省する。「大丈夫だよ」と言ってやりたいが、代わりにこの本を渡して読んでもらおう。「子どもたちのために未来を」という言葉は好きではなかったけど、今すとんとこの言葉が使えるようになった。

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