Weter Land
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ウォーターランド 著者:グレアム・スウィフト |
最近小説を読まなくなった。その中でなにげなく手にした『ウォーター・ランド』は久しぶりにいいものを読んだと思えた1冊。作者のグレアム・スウィフトの名さえ知らなかった。
われわれがぐるぐると円を描いているのも無理はない。それではだ。われわれの荷物を放りだそうではないか。この荷厄介な装備一式を投げ捨てたらどうなるか、やってみようではないか。そんなふうにして時折、足手まといな歴史を廃棄すること、つねにいらだちの種であるこの思い荷物なしですますことが試みられる。そして歴史は積み重なるので、歴史は絶えず重くなりつづけ、いらだちは大きくなりつづけるので、歴史を振り捨てようとする(振り捨ててーさて、どちらだったかー進もうとする)試みもその分だけ、次第に荒々しく思いきったものになっていく。それゆえ、歴史は周期的に激動期を迎えるのであり、それゆえ、歴史が必然的に肥大してその圧力を増し、ますます支えがたいものになるにつれ、たとえ荷物を捨てても自分がどちらに向かっているのかわからない人間は、ますます大規模な破局に巻き込まれる羽目となるのである。
破局と混乱を経てであれ、われわれが真底から望んでであれば、われわれをわれわれがかつていたところへ連れ戻すもの、それはいったい何であろう。
それを自然誌(ナチュラル・ヒストリー)と呼んでおこう。
子供たちよ。授業でフランス革命をやったときのことを覚えているだろうか。あの画期的大事件、あの歴史上の一大分岐点を扱ったときのことを。私が「レヴォルーション」という言葉の含意を君たちに説明したことを。すなわち回転すること、ひとめぐりすることの意であるのだと。革命の一般的イメージといえば、全面的な変化、変革―未来への前向きの跳躍―ということになるけれども、ほとんどすべての革命はその内に、一目瞭然とはいえないながらそれとは反対の傾向、すなわち回帰の観念を蔵していると話したことを。取りもどすこと。旧に復すること。純粋で基本的なことを、退廃的で見せかけにすぎないことから区別して再確認すること。はじめに戻って新規まき直し・・・。 (P196~197)
「子どもたちよ」で語られる主人公の哀愁ある口調。一家の歴史。英語で読んでみなくてはと思った。
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