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2007年8月の投稿

2007年8月29日 (水)

ヒロシマ・ノート

 本の中で、「勲一等旭日大授章をうけた米空軍参謀総長カーチス・E・ルメー大将は広島、長崎への原爆投下作戦に、現地で参画した人物である」という話が書かれていた。1964年のことらしい。でも、なぜ原爆を落とした責任がある人物に勲章を与えたのか訳がわからないので、ネットで調べてみる。

 ルメー大将に勲章を与えたときの防衛庁長官は小泉防衛長官だった。小泉純一郎の父だ。少し調べただけで、暗い洞窟をのぞいた気分にさせられた。(久間防衛相の「原爆投下しょうがない」発言は、突然出てきたものではないことがわかる。)

 大江健三郎が、「政治的強者が、人間はどのように最悪の泥沼に蹴落とされても、なんとかみずからを救済するものだ、というたかをくくった考え方をもっていることおど恐ろしくグロテスクなことはないのであるまいか?」(P114)という文を書いている。叫びのように頭の中をリフレインする。

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8月に読んだ本

 試験が終わってから、夏休みはたくさん本を読もうと思ったが、お盆やバイトでなかなか本が読めなかった。本は細切れの時間で読んでも、また読なおしたりして進まない。

 ・『ブラック・フェミニストの主張』 bell hooks (勁草社)

 「私はフェミニズムを支持する」という言葉はいいかもしれない。

 ・『男女共同参画が問いかけるもの』 伊藤公雄 (インパクト出版)

 「男らしさ」の呪縛。私も泣き虫の息子に「めそめそするな」と言っていた。息子はピンクの象さんの布団カバーが好きで、表面はジェンダーにとらわれないように育てていても、「男の子はもっと強くあって欲しい」という意識抜けないことに気がつく。

あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ Book あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ

著者:セヴァン カリス=スズキ
販売元:学陽書房
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 息子が夏休みの読書感想文で読んだ本。文字が少ないからと選んだらしい。

ヒロシマ・ノート (岩波新書) Book ヒロシマ・ノート (岩波新書)

著者:大江 健三郎
販売元:岩波書店
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 読んだことなかったので読んでみる。

・『アルジャーノン、チャーリー、そして私』 ダニエル・キイス (早川書房)

 心理学の先生がネズミの話をしたとき、『アルジャーノンに花束を』が面白いから読んでみろと言ったが、近くの図書館にその本はなく、この本があった。『アルジャーノン』創作秘話エッセイ。作家はとにかくあきらめずに書くことという教訓。かんじんの小説のほうはまだ読んでいない。

構築主義とは何か Book 構築主義とは何か

販売元:勁草書房
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 わかったようなわからないような構築主義である。「時間が解決する」と私は先回書いたが、「時間が解決する」というのは、自分の中で物語を再構成している時間なのだなと思いいたった。そうして納得できる物語ができて心おだやかになれる。物語がこんがらかると、ひとりで再構成するのは難しい。

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2007年8月27日 (月)

土器作り

 そうそう、医学は再試験にはならなかった。万歳!

 昨日は雫石のギャラリーが企画する野焼きのための土器作りに下の息子と参加した。マイ道具も持っていく。何の仕事をしていたのか大学や会社に書く履歴書に書かないでいたことがあったが、本当は陶芸講師をしていたのだ。だから、2年ぐらい土に触らないでいたのに、手がどんどん作ってしまいきれいな壺ができてしまった。講師の方に「けっこうやっていたでしょう」と言われ、息子に「さすがお母さん」と言われ、まだまだできるものねと気を良くして帰ってきた。

 大学の休み中に、私の焼き物道具一式預けている知り合いの陶芸家の工房へ行って作ってこよう。「いつでも作りに来て」と言われていても、なんだか土に触るのが怖かったのだ。捨ててしまったキャリアを思い出したくなかったからかもしれない。でも、なんだか楽しみとしての土いじりができるようになってきたみたいだ。いろいろなことは時間が解決してくれる、ということもある。

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2007年8月25日 (土)

ミョウガと縄文土器

 夏には霞んでよく見えなかった岩手山がはっきり見えるようになってきた。やはり秋の空気だ。

 昨日はまた草取りをする。やっていないところをビニール3袋分取る。山から町に引っ越してきて、抜いた草をビニールに詰めて燃えるゴミの日に出すというのも変な感じがした。だが、山の家のように畑わきに雑草捨て場を作って、雑草を積んでいき土に戻すなどというスペースもない。本当は、雑草が短いうちに抜いて、ビニールひとつ分にするべきだと反省する。それから、ミョウガ畑の中にもぐりこんでミョウガとりをする。ミョウガはもう花を出したものもあったが、たくさんとれた。ミョウガを摘んでいるうちからその香りでお腹が空く。夫は用があって自分の実家に行っているし、子供は学校なので、ひとりで素麵を茹でて、たくさんのミョウガを刻んで食べる。しあわせだ。ミョウガの甘酢漬けも作る。

 昼食を食べた後、近くの県立博物館でやっている企画展が今週で終りなので観に行く。「北の縄文文化回廊」という展示が我が家で評判だった。7月の暑い日々、私は試験で大学だったが、クーラーも扇風機もない家にいる夫は暑くて仕事もできないと、下の子を連れて博物館へ行ったそうだ。そこで見た縄文土器が気に入って「ぜひ観てこい」と言われていた。息子などは、博物館の入館料は子供が無料なので、暑い日にはお友達を連れて遊びに行き、かき氷を食べていたらしい。

 その縄文土器の何が面白いのかというと、細かい粘土細工がいい。いのししやシャチ、きのこなど、身の回りの物を粘土で作っている。祭儀のためとか子供のおもちゃだとかの意見があるそうだが、夫は「ぜったい遊んでいたんだよ」と言う。そかもしれない。粘土で上手に作って、「ほれ」と自慢していたのかもしれない。器用な焼き物職人がいたのかもしれない。子供たちにせがまれていろいろ作ってあげたのかもしれない。サザエなど本物のようにうまいし、巻貝や人形のような土偶もある。祭儀用の土偶もあるが、人形として遊んだかもしれないような土偶もある。縄文人の子供もそんな人形や動物でごっこ遊びをしたのかもしれない。

 それから、これも初めてみたのは「足形」「手形」だ。粘土に小さな足の形をつけている。新生児ぐらいの足だそうだ。今も記念に赤い墨で形をとったりするが、縄文人は粘土に残していた。「誕生の記念か、亡くなった子の形見かもしれない」と書かれていた。よく見る大きなつぼ型土器や土偶の展示もあったが、縄文人の生活を垣間見られる展示が成功していたと思う。土偶にしても合掌ポーズの土偶や考える人ポーズの土偶も初めて観た。また、香炉のような物の複雑な抽象的デザインなど現代でも展覧会に出せそうなものもあり、けっこうびっくりさせられた。今日出品されたのは、岩手、青森、北海道などからの出土品である。こういうのを研究するのも楽しいだろうね。歴史おたくの息子が「三内丸山に行きたい」とうるさいから、秋に連れて行くと約束する。

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2007年8月23日 (木)

今朝の秋

秋の気配を感じる。「今朝の秋」ですね。

一昨日、小学校の2学期が始まり、今日から中学も始まる。そしてお弁当作りも再開だ。

 私も一昨日から大学でのバイトに行っている。夫が車を使うのでバスを利用したが、冷房がきつくて震えるほど寒かった。外の気温は下がってきている夕方だから冷房下げればいいのにと思った。他の学部の先生なのか欧米人と思われる男性が、ニュータウンで先に降りるときに何か運転手に言っている。運転手はよくわからなくて聞き返している。それから、「あ、冷房が強すぎるってことね」と下げていた。その人がきちんと運転手に伝えたことをえらいと思った。私は何も言わず降りただろう。言わなければいけないよね。冷房より窓でも開けたほうがいい季節になってきたんだもの。それにしてもここらへんのバスはなぜあんなに冷房をかけるのか。微調整できないのだろうか。

 話は違うが、一昨日、研究室でパソコンをいじっていてトラブルが発生した。なんとか自分で解決したくて途中で帰れないので、家に「なんか買って夕食食べていて」と電話する。帰ると、夫と息子が買ってきたのは串揚げたくさん、春巻き、鶏のもも焼き、いかゲソ揚げ、豆腐で冷奴、それから枝豆だった。冷蔵庫に野菜がいっぱいあるから、肉でも買ってきて野菜炒めでも作るという発想はないようだ。

 でも、パソコンでどうしてもわからないところがあるので、昨日、バイト同僚のソフトウェア情報学部の学生に来てもらい直してもらう。簡単に直った。ありがたい。でも彼女は、「来週から3週間イギリスに行きますから、何かあったらメールくださいね」と言う。メールで何がどうなったか説明できるだろうか。

 さて、今日は追試の発表日だ。「医学」が危ないので見に行かなくては。半分は書けたのだが、これもクラスメイトの学生が過去問から出そうなところを教えてくれたからだ。みんな、サークルの先輩に聞いたりするそうだが、先生も過去問だけ出すわけではないので半分しかできなかったのは、私だけではないようだ。落として、もう一度ぶ厚い教科書を覚えるなんて私には出来そうもないので、追試も憂鬱だ。しかし、社会福祉士他の必修科目になっているので落とすわけにはいかない。ぎりぎりでいいから追試ではありませんように。

 それにしても、自分の子供のような歳の学生さんに助けられてばかりいるような。

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2007年8月20日 (月)

向学心のある高齢者

 山の家や夫の実家に行っていたが、私はひと足先に帰ってきて、お盆休みをとるヘルパーさんの代わりに仕事をしていた。

 ひさしぶりにたくさん訪問して、その合間に庭の草取りや木の剪定をして働いたので、筋肉痛になっている。まずい、すっかり運動不足だ。

 利用者さんに、私が大学に行くことは言っていなかったけど、主任が教えていた。「なんで、めめさん来ないの」と言われるから、正直に言うのがいいと思ったそうだ。だから、訪問すると大学の話を聞かれる。今の大学はどんな様子なのか、どんな勉強しているのか。95歳の方が「私も行きたい」と言われた。大学で人気者になりそうだ。

 よく年を取ると「子供にもどる」などと言うが、ぜったい子供にはもどらない。80年、90年の蓄積されたものがあることを無視したくない。

 新聞に赤線を引いていて、わからないカタカナ語を聞いてくる方もいる。マーケティングは「市場」と言い換える辞書を見ただけではわからないから、マーケティング調査の話など例を出して説明してくれるのを望んでいるので、こちらの頭も試されている。

 ある方は、「老人会で昔話を語るんだけど、あれはどうかね」という。私はてっきり、みんなで昔の話を語り合うのかと思い、「同世代の人と思い出を話すのもいいじやないですか」と言ったら、そうではなくてボランティアの人が昔話の本を読んでくれるのだそうだ。それがつまらないらしい。その方は、「夕方はBSで秋吉敏子のピアノが聴ける」と楽しみにしていて、秋吉敏子のライブに行ったこと、彼女の歴史を教えてくれた。この方は、87歳。

 そういえば、このあいだ手作り紙芝居を元教員のボランティアの方が読んでくれるのを見たが、はっきりいってつまらなかった。絵も下手だった。読み方も×。でも、一応礼儀としてみんなで誉めた。「いろいろなところでやりたい」と抱負を語っていられた。善意からだもの拒否はできない。それに30分付き合えばいいのだし、たいしたことないことだ。でも、なんだかなぁ。高齢者は子供と違って礼儀をわきまえているから、「面白くない」とは言わない。表面上同化するのは得意だ。でも、心の中では「けっ」と思うことも多いかと私は考える。

 高齢者といっても実に様々なのだ。新聞では認知症の記事が多く、高齢者といえば介護という感じで語られるけど、多くの高齢者は認知症にもならず、介護というより生活援助を受けながら自立して暮らせる。

 この夏に認知症だった男性が亡くなった。彼は、歴史や絵が好きだったようで居間には本がたくさんあった。最後は本を読むことはできなかったけど、私がなにげなく「最近忙しくて本を読めない」と言ったら、「だめじゃないか。読めるときに読まないと」と、私の目を真正面から見て怒った。そうだね。いくら失禁しようとヘルパーさんはみんな彼が好きだった。

 デイサービスで童謡を歌い、ちぎり絵をやったり、輪投げをやるのを仕方なく受け入れている人も多い。「嫌だけどね、みんながやるからね」。わがままは言えないのだ。楽しんでいるふりもできる。でも、なんかつまらないみたいだ。今、いろいろなデイサービスが出てきているけど、相変わらず幼稚園のようなサービスは多いのではないだろうか。高齢者に向学心あることを忘れないでいたい。

 

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2007年8月19日 (日)

ネジバナ

ネジバナ
携帯からの投稿を試している。
写真は大学の芝に咲くネジバナ。山の家に住んでいる時、村の人が、珍しい花だから高く売れると言っていたが、ここらへんにはよくある花だった。

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2007年8月 9日 (木)

車生活

 お盆に山の家に帰る。その前に草を刈ったり、スズメバチが巣を作っていないか見るために夫と暇な下の息子が山の家に行っていた。

 それで、車がないので大学や町にバスで行く。バスが好きだ。ただバス代が高いので車で大学へ行くことが多い。バス代が大学まで往復1,000円近くかかってしまう。しかし、大学までのバスに乗る人はいつも数人だ。赤字だろう。大学には広大な駐車場があって、車で通学する学生も多い。他の学生もバス代が高い、電車のほうがまだ安いと言っている。

 もっとみんなバスに乗るようにして、バス代が安くならないかな。

 ここら辺は1家に2台以上の車があるのが普通だ。お母さん達は、少しの距離も車で移動する。我が家は、一応ニュータウン内は歩くか自転車と決めている。歩いて会合などに行くと、「歩いて来たの!」などと言われることもある。町にもバスで行く。(駐車場にとめるのが私が下手だからという理由もあるが。)

 でも、山の家に帰るときは車がないと帰れない。荷物多いし、犬とウサギも乗せるし、山の家へのバスなどはあまりなく、電車とバスを乗り継いだら1日がかりになってしまう。あと、息子達のスポーツも遠い練習場や大会で車を出さないといけない。東京に住んでいたときは車がなくても暮らせたが、岩手では車がないのは相当不便だ。

 それでも、車を使わないようにしている。車を運転するのはストレス解消にいいのだけど、やはりガソリンも高くなってきたので、電車の旅がしたくなっている。

 だいたいが、世間では温暖化対策とか言っているし、新聞のお値段の高い1面広告に安部首相と夫人が家庭でのエコ対策なんて啓蒙しているけど、本気で取り組んでいる人は少ないような気がする。我が家もそうだ。でもね、車になるべく乗らないことは、できるからする。だって、掛け声ばかりで、誰も本気で温暖化対策なんて考えていないように見えるけど、今のようなエネルギーがいつまで使えるのか、本当のところどうなのか私はわからない。でも実際は相当まずい状態ではないのだろうか、と考えているからだ。

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糠みそと庭仕事

 冷蔵庫に入れておいた糠みそが白くなって臭くなっていて、捨てた。

 試験が終わっても机の上にはやることがたまっていくのだけど、庭を見ると草ぼうぼうだ。この庭は大家さんがいろいろな木や草を植えている。春初めにはカタクリが出て、次々いろいろな花が出てくる。柿も栗も実山椒の木もあり、ウドもウルイも馬鹿でかくなっている。キウイの蔓もどんどんのびている。アジサイは通路をふさいでいる。

 ただ、萩がなかった。我が家に萩はかかせないので、山の家から掘ってきて植える。東京八王子に住んでいたとき、赤と白の萩の鉢植えを買った。八王子の庭でそれは見事に育ち、通りがかりの人に誉められたりした。岩手の山奥に引っ越してくるとき、その萩も掘って持ってきて、山の家に植えた。毎年株わけして萩はどんどん増えていく。近所の人に我が家の萩の自慢をしたら、「そんなの山にいくらでもある」と言われた。確かに山にわんさかあるのだが、種類が違うようだ。

 去年の夏にこの家に引っ越してきたので、春から夏の庭をはじめて経験した。雑草か花なのかわからないから、ほったらかしておく。しかし、さすがに雑草は雑草と自己主張し初めてうっとうしい庭になってきたので、草取りをはじめる。大家さんが畑も作っていたので、春菊や二十日大根を蒔いたのだけど、食べる暇もなく手もかけなかったら、花が咲いていた。とくに春菊は黄色の花畑となりきれいだった。山の家で畑をしていたときは、きれいに食べつくしていたのできれいな花が咲くとは知らなかった。

 忙しいから、ご飯作り以外の家事はなるべく見ないようにしていたが、よく見ると庭は草だらけ、風呂にはカビがはえ、糠みそは腐っている。庭も家も手をかけないときれいではなくなっていく。家事をするのって本当に大変なことだとつくづく思うこの頃だ。

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2007年8月 6日 (月)

ぶす

狂言えほん ぶす Book 狂言えほん ぶす

著者:もとした いづみ
販売元:講談社
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 ほんのたまに小学校の朝読書で読み聞かせのボランティアをする。

 先日は、面白いお話がテーマだったので『狂言えほん ぶす』を2年生の教室で読む。黒板に「ぶす」とタイトルを書くと大騒ぎ。「ぶすって言ったらいけないんだ」とか、ひとしきり騒ぎが収まってから、「ぶす」の説明や狂言の説明をする。2年生に狂言はむずかしいけれど、いつか「あの「ぶす」の話だ」と思い出してくれたらと思う。お話はけっこう受けてくれた。息子に読んで練習したときは、「この話一休さんにあるよ」と言われた。一休さんにも使われているお話で有名だから、子供たちも知っているかなと思って、「似たお話を見たことない?」と聞いてみたら、誰も知らなかった。「一休さん観たことある?」と聞いたら、みんな見たことないと言う。最近はテレビで一休さんの再放送していないのかな。

おまけに、『遠野むかし話』の中の「豆腐とこんにゃく」の話をする。柳田国男の『遠野物語』に入っているお話しではなく、遠野に伝わる笑い話。お話にはふたつのバージョンがある。遠野で語り部の方からこのお話を聞いたときの印象が残っていて、図書館で本を見つけたのだが、実に短い笑い話だった。これをおもしろく聞かせるのはむずかしい。方言もうまくだせない。適当に自分でアレンジして方言もわかる程度使って話す。

息子が保育園のときよく、「むかしむかしあったずもな、いまはなかったずもな。どんとはれ」と、遠野物語最小笑い話を口にしていた。

2年生の子供たちも「どんとはれ」の言葉は知っていて、「遠野におばあちゃんいる」とか、「朝ドラ見た」とかひとしきり大騒ぎになる。先生のご苦労がわかるが、お話がはじまるとみんな真剣に聞くところがかわいい。

遠野むかしばなし (続・続) Book 遠野むかしばなし (続・続)

著者:正部家 ミヤ
販売元:熊谷印刷出版部
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2007年8月 5日 (日)

bell hooks

Book フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学 (ウイメンズブックス (2-1))

著者:ベル フックス
販売元:新水社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

朝のウォーキングに出かけようとしたら、すごい雷がなって雨が降ってきたので中止にしてパソコンに向かっている。

 ジェンダー関係に詳しいというバイト先の研究室の先生に、「フェミニズムについてわかりやすく書いてある本はないか」「難しい本が多くて、まず歴史やいろいろな理論を勉強しないとフェミニズムはわからないのか」「簡単なのを教えてくれ」などと訴えた。

 そこで考えた先生が手渡してくれた1冊が、bell hooks の『フェミニズムはみんなのもの』である。確かに読みやすい。なぜなら、bell hooks自身が「フェミニズムとはどういうものか」簡単にわかりやすく紹介できる本が欲しくて書いたものだから、学問の世界にいない人にも理解できるように平易に書かれている。

 bell hooksのフェミニズムの定義は、「フェミニズムとは、性にもとづく差別や搾取をなくす運動」だということだ。その上大事なのは、女性の中にある内面化した家父長制や性差別を自覚して対決しなくてはならないと言う。

 そうかもしれないね。まず自分の中にある家父長制を解体していかなくては。

 bell hooksが、どういう人かは知らないけれど、「同一賃金同一労働」を目指したい私には、「働くことが男性支配から解放になったのは、一部の特権階級だけで、多くの女性がとっくに外に出て働いているのに、自立できる賃金をもらっていないという話を語ってくれたのに共感を持つ。

 なぜジェンダーフリーが、伝統行事の廃止や混合名簿や男女の色分けを非難されているのかよくわからない。そんなことをフェミニズムが主張していたのか、したとしても表面的なことではないか。一般人にはよくわからないことだ。何をフェミニズムが主張してきたか、学者やインテリではない一般人には下りてこない。bell hooksのいうように、わかりやすい家父長制回帰の本、母性回帰の本は出回るのに、フェミニズムを広める一般書が出ないのはなぜなのだろう。

 ※ これを読んだ人で、「この本はわかりやすい、面白い」というものがあったら、教えてください。少々難しくてもかまいません・・・。

 フェミニズムが、学者やインテリの世界でしか通用しない言語で語られていて、一般の女性に下りてこないと言うと、地道に運動している方がいると反対されるかもしれないが、たぶんにそういう面はあるかと思う。私もフェミニズムについて知らなかったもの。そうして、大学に入って「フェミニズムって何」という言葉を口に出すことが出来た。普通の世界(職場やPTAなど)では、「それ何?」が大多数だ。

 ヘルパーをやっている職場で「大学に行く」私への反応が優しいのは主任ぐらいなものだ。「えらくなるのね」と言う人もいた。なんだか、ヘルパーから一抜けたという感じに思われているようでもある。確かにそういうところがある。自活するにはヘルパーの給料ではどうにもならないのだ。夫に頼れない事情があるから、何か考えないといけない。努力しないといけない。

 でも、2つ目の大学に行くなんて恵まれているのもいいほうで、結局そういう恵まれた人がフェミニズムなんて考えて、スキルアップする暇もなく働いて日々のお金を稼がないといけない人にフェミニズムの言葉が届かない。

 ヘルパーステーションにとどまって、どうにか労働者と知識人たちの連帯を考えたい。それから、職場の研修やPTAの講座にフェミニズムを伝える場をもうけられないだろうか。前面にフェミニズムとかジェンダーとか出すと、お役所は嫌がるからこっそり入れるのだ。卑怯な手を使ったって、女性に「このままでいいのか」と考える機会を提供できる場があって欲しい。そうしないと、いつのまにか「子守唄を歌え」や「母は偉大な職業」なんていう講座が増えそうだ。

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2007年8月 4日 (土)

試験終わる

 昨日金曜日で最後の試験が終わる。論述問題の2科目だったから、書いて書いて書きまくり手が痛くなった。

 5時間目の「社会学」がラスト。試験問題が配られて問題を見てから、隣のK君が「終わったな」とつぶやいた。私もはじめ「何に書けばいいか」迷ったけど、とにかく書いたぞ。彼は時間になると教室を出てしまったけど、「諦めるな、なにか書け」と言いたかった。

しかし論述問題の前に出た穴埋め式の問題はできなかった。細かい数字を覚えていない。それに、世界で最も人口の多いのは中国、さて2位と3位を書けときた。アメリカとブラジルと書いてしまった。家に帰ってから、息子に世界の人口の2位と3位はと聞けば、「インドとアメリカ。ブラジルは5位でしょう。ちなみに4位はアルゼンチン。ブラジルは5位だけど1億8千ぐらいでたいして多くないよ」と教えられた。母の弱点は常識的なことを知らないことだ。

さすがの東北の片隅も猛暑である。経費節減で教室に冷房はかけていない。汗だくで答案用紙に向かう。家に帰ってもへろへろだったので、近くの居酒屋に夕食を食べに行って、とりあえずはお疲れ様だ。

反省は木曜日が1日空いていたので、退屈していた息子達を連れて「ハリーポッター」を観に行き、夜は夫と合流して「さんさ」踊りのパレードを観て、ビールを飲んでいた。なんだか緊張の糸が切れて、試験なんてどうにかなると思ってきた。やはり、教科書や資料の細かいところに目を通しておくべきだったと後悔する。

「医学」以外は落とすことはないだろう。「医学」はぎりぎりなところで、追試を受けなくてはいけないかもしれない。

夏休みは計画的に大事に過ごそう。

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