向学心のある高齢者
山の家や夫の実家に行っていたが、私はひと足先に帰ってきて、お盆休みをとるヘルパーさんの代わりに仕事をしていた。
ひさしぶりにたくさん訪問して、その合間に庭の草取りや木の剪定をして働いたので、筋肉痛になっている。まずい、すっかり運動不足だ。
利用者さんに、私が大学に行くことは言っていなかったけど、主任が教えていた。「なんで、めめさん来ないの」と言われるから、正直に言うのがいいと思ったそうだ。だから、訪問すると大学の話を聞かれる。今の大学はどんな様子なのか、どんな勉強しているのか。95歳の方が「私も行きたい」と言われた。大学で人気者になりそうだ。
よく年を取ると「子供にもどる」などと言うが、ぜったい子供にはもどらない。80年、90年の蓄積されたものがあることを無視したくない。
新聞に赤線を引いていて、わからないカタカナ語を聞いてくる方もいる。マーケティングは「市場」と言い換える辞書を見ただけではわからないから、マーケティング調査の話など例を出して説明してくれるのを望んでいるので、こちらの頭も試されている。
ある方は、「老人会で昔話を語るんだけど、あれはどうかね」という。私はてっきり、みんなで昔の話を語り合うのかと思い、「同世代の人と思い出を話すのもいいじやないですか」と言ったら、そうではなくてボランティアの人が昔話の本を読んでくれるのだそうだ。それがつまらないらしい。その方は、「夕方はBSで秋吉敏子のピアノが聴ける」と楽しみにしていて、秋吉敏子のライブに行ったこと、彼女の歴史を教えてくれた。この方は、87歳。
そういえば、このあいだ手作り紙芝居を元教員のボランティアの方が読んでくれるのを見たが、はっきりいってつまらなかった。絵も下手だった。読み方も×。でも、一応礼儀としてみんなで誉めた。「いろいろなところでやりたい」と抱負を語っていられた。善意からだもの拒否はできない。それに30分付き合えばいいのだし、たいしたことないことだ。でも、なんだかなぁ。高齢者は子供と違って礼儀をわきまえているから、「面白くない」とは言わない。表面上同化するのは得意だ。でも、心の中では「けっ」と思うことも多いかと私は考える。
高齢者といっても実に様々なのだ。新聞では認知症の記事が多く、高齢者といえば介護という感じで語られるけど、多くの高齢者は認知症にもならず、介護というより生活援助を受けながら自立して暮らせる。
この夏に認知症だった男性が亡くなった。彼は、歴史や絵が好きだったようで居間には本がたくさんあった。最後は本を読むことはできなかったけど、私がなにげなく「最近忙しくて本を読めない」と言ったら、「だめじゃないか。読めるときに読まないと」と、私の目を真正面から見て怒った。そうだね。いくら失禁しようとヘルパーさんはみんな彼が好きだった。
デイサービスで童謡を歌い、ちぎり絵をやったり、輪投げをやるのを仕方なく受け入れている人も多い。「嫌だけどね、みんながやるからね」。わがままは言えないのだ。楽しんでいるふりもできる。でも、なんかつまらないみたいだ。今、いろいろなデイサービスが出てきているけど、相変わらず幼稚園のようなサービスは多いのではないだろうか。高齢者に向学心あることを忘れないでいたい。
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