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2007年9月の投稿

2007年9月28日 (金)

介護人材確保のための緊急提言

 先日、朝のラジオで樋口恵子氏が介護の現場の問題点を話していた。大いにうなずくことが多かった。舛添厚生大臣に「高齢社会をよくする女性の会」 http://www7.ocn.ne.jp/~wabas/ が提言書を渡したとのことで、下記に長いがその提言書を写させていただきます(長いので提言のⅠだけです)。介護保険が、当初の理念(行政に本当にあったのか疑わしいが)から遠ざかっているようだ。いろいろ声をあげていかなければと思う。

介護人材確保のための緊急提言

世界に先駆け超高齢化がすすむわが国において、人生のライフライン

である介護保険が、担い手の側から崩壊の危機に瀕しています。

四半世紀前の結成当初から私たち 「高齢社会をよくする女

性の会」は、介護の社会化を提唱、当時嫁に一極集申してい

た介護を、大切なものとして位置付け社会全体で支え合う活

をすすめてきました。介護保険の成立は大きな成果でした

が、介護労働に従事する人たちの労働条件の現状は、まるで

護が 「社会の""」によって担われている感があります。

護者が幸せでなければ、要介護の高齢者が幸せになれるは

ずがありません。

私たち女性は介護従事者の8割を占め、家族介護者の4分の3を占め、ま

た要介護者の72%一人暮らし高齢者の4分の3を占め、介護についてき

わめて高い当事者性を持っています。その視点からみて介護従事者の置

かれた状況を看過することはできません。

私たちはこの989日に開催された第26回全国大会・静岡

(3千人)の全体集会において、本件に関して緊急提言するこ

とを満場一致で決議いたしました。以下にその要望を記します。

1 介護にかかわる人材確保のための緊急、・確実な待遇改善

1・介護従事者の賃金に1人月額3万円を上乗せする「3万円法」

                        ()の制定

① 介護従事者の賃金は平均を下回り、かつ確実な昇給の期待が

持てません。人間の生活の最終期を支える労働として報われると

ころが少な過ぎます。今すぐ介護に働く人々に月額3万円の上乗

せができるよう、たとえば 「介護人材確保緊急措置法」 ()

(通称3万円法)を時限立法で策定して当面の危機を乗り越え、長

期的には介護労働について適切な評価基準を明確に設定し、昇給

昇進の見通しを立てる必要があります。

② 財源については、本来税金で行なわれてきた地域支援事業費

回すほか、事業経営の効率化などの工夫をし、安易に介護保険

や利用者負担の増加に直結させないよう望みます。

③ 地域密着型事業所等の事務費の削減と可視化簡素化をめざし

て、地域全体の事業所事務のネットワーク整備を、厚生労働省

の責任で支援・推進してください。

④ 事業所は経営に関する情報公表をすすめるとともに、

介護報酬の一定比率を介護従事者の賃金として確保するよ

う基準を定め遵守し、公表することを望みます。

2・労働基準法等法令を遵守した経営

介護に従事するすべての労働者に対して、労働基準法はじ

め、男女雇用機会均等法、改正パート労働法の法規を経営

者は遵守してください。とくに、時間外賃金、深夜業の賃

金に浅する法令の遵守を求めます。

3・年金加入、福利厚生に関する特別の配慮

① 介護に従事する非正規労働者に対して、年金制度に緊急な特例

を設け、一定限度(20時間以ア )の従事著にほ就労期間を年金に算

入すること。第3号被保険者でなくても、国民年金保険料の免除、

半減などの減額を行い、支給時には満額支給するなどの優遇措置

を求めます。

② 介護従事者の4割が健康に不安を感じています。介護に働

く人の健康の保持は、要介護者にとっても必須要件です。正

規・非正規を問わず介護従事者の公休による定期的無料健診

の確実な実施を求めます。

4・研修の代替要員派遣と専門介護職への道

研修に参加する介護従事者のために、潜在有資格者、ボランティア

経験者等による代替要員を確保し、一定の研修は無料とします。

た意欲ある介護従事者の個性と能力を生かして、要介護者の生活を

より豊かに支えるために専門介護従事者への道を開いてください。

また介護従事者として出発した有能な人材が管理職、責任者として

活躍する道をひらくよう望みます。介護保険に関連して働く事務・

理部門の職員は、必ず介護現場の体験を持つよう望みます。

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2007年9月27日 (木)

バカ息子で対抗

 9月26日の朝日新聞に下記のような「個性豊かな手紙をかかせて」という投書があった。

小1の次男が「学校の授業で敬老の日のために手紙を書くんだ」と張り切っていた。(略)

 ところが、孫の手紙を受け取った母は困惑し、不満そうに電話をかけてきた。「あの子らしさがまったく出てない」。父も「あんなに冷たい手紙ならいらなかった」と酷評した。

 その手紙には4月の入学式のことを「こうちょうせんせいのおはなしをききました。いいおはなしをきけてよかったです」とつづり、次に「あいさつをせんせいやともだちにいえるようになりました。これからもあいさつをやくだてたいです」と書いてあった。

 帰宅してた次男に事情を聴いた。当初、「じっちゃん、おかあちゃん、ぼくは学校が好きなんだよ」などと書いたら、「もっとちゃんとした立派なことを書きなさい」と担任が添削。祖父母の呼び方も含め書き直させられたそうだ。

 今の教育はどうなっているのだろう。何か寂しく、むなしさを感じずにいられなかった出来事でした。

 この投書を息子に読ませ、「添削されたことある?」と聞くと、「いつもだよ」と答える。そうでしょうね。たぶん、内容というより文になっていないから、直されるのも当然だろう。(うちの場合は)

 そういえば、次男が「2年生になって頑張りたいこと」という作文で、「給食をがんばりたい」という作文を書き、担任の先生に受けていた。でも、「次郎君の作文が一番面白かったけど、始業式で読む作文は別の子のになりました」と言われた。公の場で読まれる作文は型のようなものはあるのはわかる。でもね。なにもかも建前の大人からのお仕着せ文書を書かせられたら、子供はますます書くことも嫌いになっていくだろう。

 道徳やら、型通りの作文などに子供は洗脳されていくだろうか。わが息子を見れば、表面は従っていてもバカ息子にはあまり効果はないようだ。なんたって3歩歩けば忘れるのだから。「すばらしいと思いました」と書いたって、へのかっぱだ。なんの実にもなっていない。バカは大切だ。画一的な学校教育にはバカで対抗するしかないと思ったのだった。

 でも、勉強は面白いものなんだよ、と教えたい。

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『毎日かあさん』とばか息子

毎日かあさん4 出戻り編 Book 毎日かあさん4 出戻り編

著者:西原理恵子
販売元:毎日新聞社
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 泣きました。

 泣いたが、ばか息子は相変わらずのバカぶりを発揮してくれてうれしい。うちもバカ息子二人だからわかるよ。仲良しお母さんたちの会話もわかる。この間も次男のサッカークラブの迎えに行っていて、ついバカ比べになっていた。「半年前の大会のときに作ったサンドイッチがカビの塊になってバックから出てきた」「サッカーボール蹴って、隣の家の車のドアミラー壊した」など、バカさ加減を披露しているとコーチが来て、「今、次郎に月謝袋手渡したのにグランドに落ちていたぞ」と渡される。「すみません。3歩歩くと忘れるもので」とあやまる。息子に「何やっているの」と言うと、「手にもったはずだけど」と不思議そう。そうやって忘れた物数知れず。「ものを大事にしなさい」と怒るが、物を粗末にしているわけではなく、ただ3歩歩くと記憶がなくなるだけなのかもしれない。

 長男は、近所の人や友達の親に評判がいい。なぜかと言うと、挨拶と返事がいいからだ。しかし、それだけかもしれない。返事は確かにいい。「このキャベツ、うさぎにあげておいて」と漫画を読んでいる息子に言う。「はい」と返事は返ってくる。しかし、再び台所に戻るとキャベツはおいたまま。「キャベツあげてないじゃない」と言うと、「今やるから」と漫画を見ている。「もういい、お母さんやるから」と言うと、慌てて立ち上がる。つまり、返事だけ男なのだ。そうして、すごくだらしない。息子の部屋に行くと頭に血がのぼるから、なるべく入らないようにしている。それでもって人形遊びをまだする。きもい。

 しかし中学になっても、まわりのバカ息子もなおっていないようで、食事中に学校や友達の話を聞くと、わたしの相槌は「相変わらずバカだね」の一言。そうして、なぜか仲良くなるお母さんには息子が3人だとかが多い。やはり話が合うからだろうか。「女の子って、違うのだろうね」「きちんとしているのだろうね」と話すが、4人目にして女の子を産んで、花のように育て、バレエを習わせて髪を長くしていたのに、「バレエ嫌い、お兄ちゃん達みたいにサッカーしたい」とサッカークラブに入ってきて活躍している女の子がいる。お母さんは泣いている。3人目、4人目女の子は、どうやら兄より強くなるみたいだ。女の子のバカさ加減は自分がバカ娘だったので知っているが、女の子はあまりバカが表に出ないが、男の子はバカ丸出しなのだ。

 そういうわけで、西原家のバカ息子をみて「どこも同じね」と安心するのだった。

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2007年9月25日 (火)

グランドゴルフ

 はじめてグランドゴルフなるものをやった。高齢者から「ゲートボールよりグランドゴルフが面白い」とは聞いていたが、やりたいとは思はなかった。でも、面白かったのよ。

 連休の中日にお年寄りと子どものふれあいイベントを手伝う仕事があって、朝から豚汁用白菜を切ったり、準備に追われたが、鍋の前に立てば、料理上手な鍋奉行がそろっていて、私の出番はないようだ。お昼をふるまうまでは暇だとふらふら歩いてグランドゴルフを見に行った。4人でコースをまわるのだけど、一人足りないというのでふらふら参加してしまう。8コースまわるのだが、やっているうちに真剣になる。坂のコースをうまくクリアしたり、木立の中のコースも面白い、「もしかしたら、ゴルフって面白いのかもね」とはじめて会った人としゃべりながら回る。しかし、グループの中でびりだった。高齢者をあなどれない。なかなか器用だ。次はもっと上手に回ろうと、来年も手伝うつもりになっている。

 今日は久しぶりに1日家にいる。机に向ってやるべきことをやらなくちゃならないのに、ブログ書いて逃避している。勉強に集中できない息子を叱れません。

 

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社会保障費がなぜ削られるの?

格差社会―何が問題なのか (岩波新書) を読んでみて、いつも不思議に思っていることがあるので、ばか丸出しかもしれないけれど書いておく。

 本にも書かれていたが、OECDの調査で日本の社会保障給付費は、世界の先進国の中で最低水準だそうだ。ついでに、日本の公的教育支出は世界最低レベルだそうだ。

 それなのに、財政難だからと社会保障の縮小ばかりがマスコミに取り上げられている。他に縮小するべき部門はないのだろうか。たとえば、テロ対策のためにインド洋での給油に220億円などという数字や米軍住宅建設にん!億円のお金がかかると報道されているのを聞いて、日本国は他人に優しくて自国に厳しいのかと思う。そんな億単位のお金がぼんぼん出て行くのに、社会保障費は1億でも出すのは惜しいようだ。

 地元の話だが、盛岡市にある競馬場を存続させるために、岩手県、盛岡市、水沢市が330億円のお金を出した。すごく気前がいいのだ。それだけのお金があれば、競馬場を辞めた後の雇用対策もできるのにと素人は考える。なぜなら、競馬場がこの先流行るとは誰も考えていないからだ。

 福祉の予算は削られ、教育のほうも予算が足りない。学校はプールに入れる塩素が買えなくてプールの日数を増やせない。中学校はトイレが臭くて子供たちが入りたがらない。大人は、そんなのはぜいたくだ。「汚いプール、トイレをがまんする根性がなくてどうする」というのだろうか。競馬場は立派で、子供たちにギャンブルして儲けろと教えるのだろうか。

 ずいぶん前に、フィンランドの小学校が紹介されているBSの番組を息子たちと見た。息子たちは「ずるい」と言った。あんなにきれいな環境で勉強できる。内容はともかく、その環境の良さ、デザインや配色に憧れた。

 環境って大事だと思う。日本の子供たちの学力を伸ばしたいなら、人材と環境にお金をかけるべきだし、国民が明るく働くためには老後の安心感が大きいほうがいい。

 それにしても財政難のときに削るのは社会保障費や教育だけなのだろうか。他も論議されているのなら、もっと普通にニュースに出して欲しい。

 追記: 元岩手県知事の増田氏が総務相になった。地方格差をなくすためだとか。その次の日病院へ行ったら、ひとりのお年寄りが窓口の人に大きな声で話していた。「何が地方をよくするだ。岩手県に大きな負債を置いて行って、結局地域の暮らしは苦しくなる。俺たちは競馬場で遊ぶ金もないわ」。待合室にいたお年寄りがみなうなずいていた。

 9月25日の岩手日報トップニュースで「財源不足年200-300億円 県財政危機的に」という報道があった。http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20070906_3 原因は競馬場の融資だとある。わかっていたことじゃないのだろうか。記事の最後に、「あらゆる方策をとって財源不足を解消しなくてはならない」と書いてあるが、「あらゆる方策」とは、また福祉の削減でないでしょうね。

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格差社会はないらしい

 9月はじめだったか、あるサークルで某大学教授が「格差社会」をテーマに話すというので、出かけて行った。テーマも講師の人選も公民館からおりてきたもので、サークルが企画したものではなかった。

 講師の大学教授から出た言葉は、「格差社会はない」。あれは、選挙のためにマスコミが騒いでいるだけのことで、格差が広がっている証拠(データ)はないということだった。お話の前に配られたコピーは、玄田有史著『働く過剰』(2005年 NTT出版)から引用された資料だった。それを見てお話を聞く前から嫌な予感はしていたのだが、資料の厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を見ながら、時給も年間所得も上がっているという説明をしていた。それはそうだけど、これは企業規模10人以上の民営企業に勤務する一般労働者(パートタイムは除く)と書かれている。この調査にも載らない人たちが問題ではないのだろうか、と思った。

 でも、講師の先生は「私は経済の専門ではないので・・・」と弱気に自信なさげにしゃべるので、あまり突っ込んだ質問をする気が起きない。誰かが、「ジニ係数があるけれど」と質問したが、それには答えなかった。(もしかして、知らないということはないよね。) この企画はなんだろう。講師の人は話しずらそうで、聴きに来た人は現実の格差はどんなものがあるのか知りたくて来たのに、「格差はない」では話は終わりだった。もしかして、役所から「格差、格差」って庶民がうるさから、それを鎮めるために派遣されているのかしら。

 講師の先生が帰ってから、その場にいた人は「まあ、学者さんだからね」「データにないことは言えないんでしょう」「確かに、格差の何が問題なのか考えなくてはね」と聴衆は優しかった。民生委員の方もいたが、講師の先生の話に納得できないようだった。庶民レベルの感覚では、データがなくたって「なんだかへんだ」と思っているのだ。それにしても、へんな企画だった。「格差がない」というなら、そのデータをきちんとあげて説得にかかって欲しかったが、あまりにおそまつで論議にもならない。たんに役所の企画ミスなのか、陰謀なのかと考えてしまった。

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読書メモ

 先週一人で山の家に行くときに、借りたのに読まずにいた新書を持って行った。家事をしないと本が読める読める。1日2冊は読めた。時間が分断されないのはありがたい。

 読んだ本は以下のもの。

沖縄ノート (岩波新書) Book 沖縄ノート (岩波新書)

著者:大江 健三郎
販売元:岩波書店
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新しい家族のための経済学―変わりゆく企業社会のなかの女性 (中公新書) Book 新しい家族のための経済学―変わりゆく企業社会のなかの女性 (中公新書)

著者:大沢 真知子
販売元:中央公論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

格差社会―何が問題なのか (岩波新書) Book 格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

著者:橘木 俊詔
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

介護保険―地域格差を考える (岩波新書) Book 介護保険―地域格差を考える (岩波新書)

著者:中井 清美
販売元:岩波書店
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老いはこうしてつくられる―こころとからだの加齢変化 (中公新書) Book 老いはこうしてつくられる―こころとからだの加齢変化 (中公新書)

著者:正高 信男
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年9月23日 (日)

胡桃の実

Img_1189_3 先週は、久しぶりに山の家で一人で過ごした。

 息子が生まれた年に庭に植えたクルミの実がずんずん成長して、今年はたくさんの実をつけている。13年で森ができるのだと感心。

 下は、近所の人が作っている蓮。

Img_1319  

隣のばっちゃんと、畑の中に座り込み枝豆とりをした。たくさんの枝豆をもらってくる。昔はふたりでいつも畑に立っていたのだ。そうして毎年、「豆はもう蒔いてもいいか」「白菜がうまくできない」などと同じ話を繰り返していた。もう少し帰る時間を増やそうと思った。

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2007年9月21日 (金)

新聞の見出し

 「岩手日報」9月18日版を大学でちらっと見た。目を引いた大きな記事に「女性管理職わずか5人 県知事局」 http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20070918_13 というのがあった。新聞では、副タイトルに「結婚や育児で退職」と太字で目立つように掲げられ、その文字がまず目に入ってきた。バスの時間が迫っていたので、パラパラ新聞を見ていたのだ。そういうとき、内容までよく読まないで見出しだけ拾って行く人は多いと思う。新聞を見て見出しタイトルと副見出しの太字を見て、「そうそう、女性が管理職になれないのは結婚や育児で辞めるからだよ」と岩手県民は納得してしまうような書き方、紙面のレイアウトが気になるのだった。「結婚や育児で退職」が管理職登用の妨げになっている本当の要因なのかな。他の県、他の国の女性は結婚も育児もしないのか。いろいろ疑問はでてくるというか、それだけではないに決まっているだろうがとは思うが、まったくマスコミって行政の言葉を伝えるだけのものなのだと、あらためてがっかりする。こうやって、岩手県民の意識を変えることのないように操作されていては、岩手県は女性管理職を増やすつもりはあまりないのかもしれない。

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2007年9月18日 (火)

後期高齢者医療制度

「後期高齢者医療制度」というのが気になる。公民館などにポスターが貼ってあり、2008年から導入されること、75歳以上は国保から抜けて、老人だけの保険に入る。保険料は年金から天引きされる。・・・・・つまり、今まで子供の扶養になっていた人も毎月保険料を払うことになるらしい。ポスターからは話がよくわからない。ただ、この制度が老人医療を手厚くするための制度でないことはポスターからもわかる。

 詳しいことは、「なるほど♪ママダイアリー」を参照にしてください。http://blog.livedoor.jp/naru153/archives/51054584.html

 

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2007年9月17日 (月)

福田か麻生か

 仙台へ行って来た。高速バスで往復5000円。句会では、私の俳句はほとんど沈没したが、気持のいい人たちばかりで、楽しい時間を過ごした。そうして帰りは飲んで、おじさまたちと少し政治の話になる。

 なんだか、福田だろうが麻生だろうが表看板が代わっただけで何か変わるという幻想は持てないと思うのだけど、持ってしまうのかしら。小沢になったところでどうなるだろう。安倍で失敗したから、地方が大事、格差に取り組むとはいうが、年金問題にしても少子高齢化にしても小手先の対策ではすまなくなってきたと思う。なぜなら、嫌でも企業も個人も多様化してしまって、ひとつのモデルに収まりきれなくなっている。

 仙台のバスの中で大江健三郎の『沖縄ノート』(岩波新書)を読む。以下はそこからの引用。

「日本人は、多様性を生きいきと維持する点において有能でない属性をそなえている国民ではないか、という疑いがあることをいわねばならない。多様性にたいする漠然たる嫌悪の感情が、あるいはそれを排除したいという、なかばは暗闇のうちなる衝動がわれわれのうちに生きのびているあいだ、現になお天皇制が実在しているところの、この国家で、民主主義なるものの根本的な逆転が、思いがけない方向からやすやすと達成される可能性は大きいだろう。」(P61)

 首相が代われば何かが代わるような気もしてしまうが、底の底で何が起きているのかよく見ていないとだめだ。多様性を包み込む政治は政策は面倒くさい。政治家も国民も同じだ。型にはめ込んだほうが楽なんだ。そこから一歩出て、大きなビジョンとコミュニケーション能力の持った政治家が欲しいが、政治家は国民の鏡でもあるのかもしれない。

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2007年9月14日 (金)

俳句ができない

 怖い夢を見て冷汗をかいて起きた。なんの夢かというと、句会に出て、ぜんぜん句ができない、集中できないというものだ。そんなことが怖いかと思うだろうが、前にどっしり金子兜太先生が座ってにらんでいた。

 こんな夢を見るのは、明日、句会に出るため仙台に行くからだ。起きてから、「仙台の句会に金子兜太先生いないじゃない」とほっとしたが、久しぶりの知らない人ばかりの中での句会が楽しみより、不安がまさっている。

『海程』という俳句結社がある。そこに俳句を投句している。主宰者は金子兜太氏だ。俳句界の巨匠と言っても、俳句に興味のない人は知らない。その昔、俳句したいなと思った時、夫の本棚に金子兜太の本があって、読んだら面白かったので『海程』に投句するようになった。

 初めのころは、東京の句会に行ってみたりした。秋田の「海程」全国大会で金子兜太氏に初めてお会いした。「新人賞とれ」と言われた。金子氏が岩手に来た時、中尊寺にお供したこともある。それに現代俳句協会の会員でもある。

 ところが山の家から盛岡へ来てから、あまり俳句が書けなくなった。ヘルパーの仕事と勉強をはじめたので忙しくなったせいもあるし、今まで書いていた山の動物たちのことが書けなくなったせいかもしれない。半年以上投句しなかったこともあった。それでも「老後の楽しみのためにも、俳句は続けていこう」と投句を再開した。この春、1年間の句を対象に新人賞を選ぶのだが、新人賞候補10位に入っていることを知った。そのときは、うれしいも不安もあまりなかったのだが、この夏の『海程』の紙面に選考した俳人の方々の批評を読み青くなった。私の名がいっぱい書かれていた。金子兜太氏には、「覚悟がいる」と書かれた。

 実際、去年の句に対しての評価だが、去年が山の家にいた時ほどいい句ができたとは思っていなかった。そうしてまずいことに、この4月に大学に入ってからは、頭が俳句モードにならない。締め切り前に5句をひねり出して投句していた。見たくもないまずい句だ。それは金子先生にもわかるので、とってはくれない。しかし、いろいろな人が「期待する」と書いてくれた以上、あまり下手くそな句ばかり作ってもいられない。自分の俳句思考を少しでも取り戻すために、仙台での「海程」の句会に出ることにした。「海程」には、各県に支部があって、句会や勉強会が行われているが、岩手にはない。「海程」に入っている人がほんの4人で、遠く離れて住んでいたり、高齢だったりするため、顔を合わせることもない。俳句なんて、どこの町でもグループや結社があり、句会も行われているのだが、「海程」は、現代俳句というジャンルで、普通は伝統的俳句をやっている方が多い。千葉にいる母が、俳句サークルに入ったら、そこの先生が金子兜太氏の批判をしていた、と言っていた。伝統的俳句をしている人は、金子兜太のグループが嫌いなのである。

 それはともかく、俳句である。ただ五七五と言葉を並べるだけでできる。それが明日持って行く俳句もできなくて苦しんでいる。それで夢まで見たから、そうとうのプレッシャーだな。俳句に興味ない人は、何が怖いのかわからないと思うが・・・。

 <2006年4月~2007年3月の俳句から>

    真冬日に命こんなに晴れるとは

    深き闇ふくろう飛ばず鳴くばかり

    イルカ鳴く深くもぐれば泣けるかな

    梨花の家テーブルクロスは白がいい

    牛蛙飢えた子だった老博士

    山椒魚無口な自分に慣れている

    胃が痛む毛虫一心に葉を食べる

    オニヤンマ森の時間は濯ぎやすい

    米を食う熊のせつなさ雲となる

    グミ食べるこれは記憶の種火です

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2007年9月11日 (火)

NHKスペシャル「コムスン撤退の衝撃」

 昨夜、NHKスペシャルの「コムスン撤退の衝撃 全国に介護難民」を観た。http://www.nhk.or.jp/special/onair/070910.html

 コムスンの夜間介護を担っている20代の男性が紹介されていた。夜間に11件か12件まわるということだった。驚きだ。昼間だって5件もまわれば疲れ切ってしまう。彼も「30代、40代になってもできるかどうかわからない」と言っていた。彼は正社員らしい。月収は22万と言っていた(21万だったか)。ボーナスはない。夜間を担当してくれるヘルパーさんが見つからないとのことだが、夜間やるために見合う金額でもないし、やはり中高年の主婦には体力的に無理だ。

 夜間働く仕事はパン工場やお弁当工場などいろいろあるかもしれないが、ヘルパーはそれらと違う重労働だ。夜間の介護を頼む人は介護度が高い人であるし、介護が30分と短くても内容は盛りだくさん。人間相手なので、何かあって怪我でもさせたら新聞に載る。もちろんおしゃべりも仕事のうち。ヘルパーさんとぐらいしか会話がないので、仕事をこなしながら声かけを一生懸命し、まだいてもらいたいと思う利用者さんに明るく挨拶して振り切って、次の利用者さんのところに移動する。「11件!」 ただただ感心するばかりだ。それにしては給料が安い。

 私も前にいた事業所で夜9時から30分の介護を引き受けたことがある。夜は道が空いているので20分で行けるが、交通費も移動時間の時給はでない。身体介護なので30分800円ぐらいでたが、往復時間も入れると1時間以上になる。雪の日など行きたくなかった。その利用者さんは街の中に住み、近くに住むヘルパーさんも多くいたのだが。誰も30分のために仕事を引き受けなかった。私は、自分が担当したことのない障害の方だったので、失礼だが興味があって引き受けた。もうひとり一緒にやっていた人は人のいい、断れない人だった。でも、その30分だって大変だった。ソファから車椅子に移乗する時、私は腰を痛めてしまった。それからどうも腰は持病として残っている。自分の腰が痛かろうが、利用者さんを落とすわけにはいかない。毎回ふんばって耐えていた。それでも、ベットに利用者さんを入れてお布団をかけてあげて、「おやすみなさい」というと、手を合わせて「ありがとう、また来てね。気をつけて帰ってね」と言われると、疲れも忘れて来てよかったと思うのだ。

 しかし、給料が安いだけでなく、労働がきついので体を壊す人も多い。特に腰痛に悩まされる。私と一緒に入った30代のヘルパーさんも腰をやられ、毎日病院へ通っていた。でも、稼ぎより病院代が高くつくと、ヘルパーをやめた。今は腰は良くなっているそうだが、ヘルパーにもどるつもりはないようだ。体を壊しても、ヘルパーは自己責任だ。雇用保険も入っていないので、ただやめるしかない。

 国は、主婦にヘルパーの資格をたくさんとらせて増やせば、ヘルパーなんて使い捨てでいくらでも確保できると思ったのだろう。しかし、現実は資格を持っていても仕事をしない人は多い。なぜか賃金が安いからだ。コムスンが賃金を安く抑えていたというが、どこでも同じだ。事業所を維持する為には人件費を抑える。コムスンは、それに加え架空請求などの不正がまかり通っていたのだ。

「介護の仕事は意義がある」と言われ、やってみると面白さはあるのだが、賃金の安さと身分の不安定さ、使い捨て、それが現場にいるとよくわかってくるので、なかなか長続きがしない。

 介護職の地位の低さが問題だ。重労働に見合う賃金がなければ仕事にプライドなんて持てない。番組の中でも事業所の管理者のひとりが、「きれいな言葉だけではやっていられない」と言っていた。

 会社で『ホームヘルプ』という雑誌を読んでいたら、コムスンのヘルパーさんたちが関係のない市民から罵声を浴びせられていることが書いていた。なんで日本人ってこうなのだ。ヘルパーさんは不正と関係ないじゃないか。実際にヘルパーがいなければ、高齢化社会が立ちいかなくなる。もっと真剣に考えなくてはいけないのに、国は家族に介護させ、安くても文句を言わない外国人を参入させようとする。家族愛だとか出稼ぎに来る外国人の美談のもとにだ。実際、政治家も行政も、介護は嫁や娘がやるものだと思っているのが本音ではないだろうか。だんだん厳しくなっていく介護保険の利用を見ているヘルパーさんたちと、「介護保険を払っていても、私たちのときはよほどのことがないと使えないんじゃない」かと不安の声も出ている。国は財源がない、保険料が足りないと騒ぐが、無駄遣いしたり、見当違いなものにお金を使ってきたのは国や行政じゃないか。その責任を公務員はとりもしないで、つけを国民にまわす。と怒ってテレビを見ていた。

 

 

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2007年9月10日 (月)

いいお産

 年に1回の子宮がん検診に行ってきた。行った産婦人科は古い建物で、医者もお歳である。去年はメルヘンチックなN産婦人科に検診へ行ったら、混んでいたので、古そうなY産婦人科に行ったのだが、思ったとおり空いていて病院にいた時間は30分だった。ちょうど若いお母さんが赤ちゃんを連れて退院するところだった。若いお父さんが迎えに来ていて、院長先生が声をかけていた。こちらも微笑みたくなる風景だ。

 新聞に「いいお産」という本の広告があった。「いいお産」という言葉が嫌いだ。なぜかというと、たぶん私は「悪いお産」の見本のようなお産しかしていないからだと思う。(二人とも帝王切開だから、正確には手術でお産ではないかもしれない。)

 2回の流産の後、3回目の妊娠も切迫流産で入院。私の自慢は受精したことがわかることだ。受精してしばらくすると、お腹に違和感があり、心配すると不正出血がある。病院へ行くとまだ胎児など確認もできないが、妊娠反応がある。すぐに入院となる。そうして、寝たきり生活で持ちこたえて、出産の日を待った。夜中に破水して病院へ。陣痛が来ないので、陣痛促進剤を打つ。その陣痛が痛い。でも薬が切れるとなんの反応もなくなる。そんなことをしていて2日目に胎児が危ないからと帝王切開する。看護婦さんが「危ないところだった。早く帝王切開すればよかったのに」ともらしていた。先生はどうにか下から産ませてあげたいと思っていたのだろう。とにかく長男はしばらく保育器に入っていたが元気だった。

 次男を妊娠したときも、お決まりの切迫流産で入院し、後期は切迫早産で入院。胎児が下がってきているので、日取りを決めて帝王切開する。そのとき、私は先生に「もう痛いのはいいですから、さっさと出してください」と言っているのだから、悪い妊婦かもしれない。

 そのころ私のまわりはエコな人たち(もしくは自然主義の人と呼んでいた)がいて助産院や自宅出産していた。もちろん母乳主義だ。私は、母乳があまりでなかった。そのうえ、第2子を産んだあと高熱が出て、また1か月以上入院していたので母乳をあげるどころではなかった。元気になった頃、赤ちゃんを夫が連れてきたのだが、次男はパンパンに太ってかわいくなかった。夫と義母がとにかくいっぱいミルクを飲ませていたらしい。

 エコな人は、「ミルクだと、ぶよぶよになるわよ」と私に言った。あと、切迫流産をとめる薬を使った子供には犯罪が多いというアメリカの研究があるのだとか。そんなこといわれても、息子はすでにデブデブだし、将来犯罪者になるかもしれないからと言われてもどうしたらいいだろう。

 あれから10年以上経ち、息子はデブデブではない痩せている。今のところ犯罪者のほうはわからないが・・・。

 しかし、エコな人たちの思いやりのない言葉に少し傷ついた。年をとった母だから、心の中で「この馬鹿」と思っていられたが、若い帝王切開のお母さん余計なことを言ったら、落ち込むだろう。なんだか、自然分娩をしている人たちは優越感を持っているようで嫌だった。きっと、自然食で育てて、自然と触れ合って「いい子」になっていくのだろう。もちろん私のひがみだ。

 自然分娩といえば、入院している時にタクシーの中で生まれてしまった、というお産があった。これこそ自然だ。また、隣のベットに3人目を産む看護士さんがいた。一人でベットに座って呼吸をしていたと思ったら、歩いてどこかに行った。しばらくして歩いて戻ってきた。「今、産んできた」ということだった。夫も親も誰も付き添っていなかった。それからお腹が空いたと、饅頭を猛然と食べてから熟睡していた。夜になって家族が訪ねてきた。これには憧れた。あんなふうに産めたらいいなと。

 昔のお産は自然だったというのは、こういうことだと思う。ドタバタと自然に産んでしまったり、あっさり産んでしまう。「いいお産」というイベントではない日常茶飯事だ。

「地球交響曲 第5番」(竜村仁監督)だったか、ある助産院での分娩シーンがあった。そこは白く清潔で純粋なもので包まれていた。その清潔さにたじろいてしまった。しかし、こういう「いいお産」は、イベントとしての楽しみ方のひとつだと思えばいいと最近は考えるようになった。

 デブデブと言われてもかわいかった赤ちゃんは、足は夫より大きくなり、背ももうすぐ親を超すだろう。過ぎてしまえばお産はただのお産である。自宅出産でもなくあまり凝りに凝った医療機関でもなく、今日検診を受けたような町医者が私の好みだなと思うのだった。

 

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2007年9月 6日 (木)

アルジャーノンに花束を

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫) Book アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

著者:ダニエル キイス
販売元:早川書房
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 そういえば去年だったか日本版のドラマが放映されていたのですね。DVDあるかしら。観たくなった。

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海辺のレッスン 

 

海辺のレッスン Book 海辺のレッスン

著者:ジョーン アンダーソン
販売元:ソフトバンククリエイティブ
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 近くの公民館の図書室から頼んでいた『アルジャーノンに花束を』が本館から届いたとの連絡があり、取りに行く。

 図書室で他にも借りようかとブラブラしていたら、『海辺のレッスン -92歳の彼女がくれたものー』という本が目に入った。高齢者に弱い私は借りることにする。『アルジャーノン』を読んだあと、『海辺のレッスン』を手に取ると92歳の女性とはジョーン・エリクソンという名前だ。ライフサイクル理論やアイデンティティ理論で有名なErikson・E・Hのパートナーだった。ずいぶん前にエリクソンの『老齢期』を読んだ時に妻との共著だったので、夫婦ともに研究者かと思っていたが、研究者だけではない面白い経歴を持っている人たちらしい。

 本の中で、その小さな町の介護施設で心理学の本にはどこにでも名前を見るエリクソンが妻に看取られて静かに死んで行くのが書かれていた。あんなに有名な人がひっそり死んで行く。そうして最後のために家を処分し介護施設に入ることなどに感心していた。

 本はひとりの中年女性の自立物語だ。著者はもともとジャーナリストで海辺に家を持ち、1年も仕事をせずに暮らせるということをどうとか言ってはいけない。意味あることは、素直に見ることだという場合もある。

 ※ここのところ思ったこと。自分が人より恵まれた環境にあることに後ろめたい感情を持つことはないし、自分より恵まれた人と比べる必要もない。もうあと残された時間は多くないのだから、自分のやることをやっていくだけだ。

 本に載っているジョーン・エリクソンの顔は皺とシミだらけだが、美しいのがわかる。

 著者は、アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈り物』に影響されたらしい。メイ・サートンの『海辺の家』も思い出させる。なんだか海を見たくなった。三陸の海ではなく、広い水平線が見られる海を見たい。

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2007年9月 5日 (水)

結婚の条件

結婚の条件 Book 結婚の条件

著者:小倉 千加子
販売元:朝日新聞社出版局
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 知り合った人が読んでみたらと勧めてくれた本が大学の図書館にあったので、昨日読んでしまう。

 なんというか、女性だけでなく男性も含めて意識改革ができないと少子化はとまらない。もう諦めて充実した少子高齢化の道を探したほうがいいのではないだろうか、などと考えた。

 私もどちらかというと、経済を夫に依存して自己実現の仕事を目指している奥さまの1人なのだろう。

 ただ、先日あるサークルの集まりに顔を出して感じたのは、まさに夫がきちんと収入があり、自分はNPOを立ち上げ活躍し、でも「専業主婦が基本です」と胸をはって言える人が、地域の中でがんばっているのを、うらやましいと思った。

 厳密にいえば、私は専業主婦であったことはないかもしれない。仕事をしていないのは病気の時ぐらいかな。家事も苦手なので「専業主婦です」と胸をはれない。

 それに正直言って夫は自営業で金持ちではない。収入は不安定、定年はないが年金も保障もなにもない。それでもって年が離れていて60歳ちかい。本当に何もないのである。山の家ぐらいが財産かな(しかし、山の中なので値段などつかない代物)。夫の実家も金持だったけど没落したというもので、当てにできないどころか、今援助をしている。私はのんきに勉強なんかしないで、汗水たらして働かないといけないのだけど、勉強しているのはやはりもう少しまともな賃金が欲しいからである。もとの仕事に戻るにしても、もっとできるようになって戻りたい。しょうがないんだ。やるしかないという感じで動いている。だから、福祉現場の労働条件が気になる。もし夫が倒れたら、大学をやめて現場でフルタイムで働かないといけない。そのとき、福祉の仕事で家族を支える収入が確保されるだろか。だから、福祉現場に行きたくても、生活のために夫のようにパソコンに向かう仕事を選ぶかもしれない。

 見かけは大学へ行っている優雅な奥様だけど、実情は違うかもしれない。大学に行けるのは、我が家の楽天主義と勉強が好きだからかな。「だんなに理解ある」と言われるが、その「理解」の中身が違うような気がする。「奥さんが勉強するのを許す」ではなく、「勉強しろ」だから。

 正直なところ、経済を将来思い煩わなくていい身分というのは本当にうらやましい。私はいずれ経済の柱にならないといけない身なのである。でも私の中にも依存体質は大きく居座っている。もしかしたら、娘がいたら「苦労しない結婚」を望んだのかもしれない。そうして私の母が気に病んでいることも私が「お金で苦労する結婚」をしているからだ。今現在お金がない訳ではないけれど(出版社が倒産してお金がなく、私が教科書の仕事をして稼いだこともあった。)、ライターの夫なんて心底信用されていないのだ。夫は文書を書くことだけで妻子を養っていて忙しい。だが、近所の人からはリストラされたお父さんで、暇だと思われている。私のほうが外で動き回っているので稼いでいると思われている。

 女性が労働から逃げ出したくても、経済的に無理がきている現在、プチ上流志向は消して、家族みんなで働いて生活を楽しむという方向に意識をかえていかないと、結婚に男性も踏み切れないのではないか。一生妻子を扶養するなんて大変で、それならひとりで好きなことしたいと思う男性も多いと思う。私が若い男ならそう思う。自分の楽しみ方を知っていたら、家事なんて一人でこなし、悠々と生きていける。

 この本を読んで、私は何か覚悟ができたな。フリーでとにかく仕事して稼ぐのだ、ということを。依存体質を抜かなくては、もう依存できる相手はいなくなっていくのだから。

 

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2007年9月 2日 (日)

ハンディ・キャップ体験

 昨日、下の子の学年行事でハンディキャップ体験というのを近くの「国立青少年の家」で行った。バスで行くのだが、私は昼からヘルパーの仕事が入ったので車で行き、一足先に帰ってくる。本当は行かないつもりだったのだけど、たまには学校行事に顔をだそうと考えて行くことにする。

(小学校は2年続けて役員をやっていたので、先生や父兄の顔もわかるが、兄の中学校は足を踏み入れたことがない。入学式にも行けなかった。運動会も昼食のときだけ顔を出しただけだ。参観日、三者面談は夫が行っているので、担任の先生の顔というか誰の顔も知らない。このごろ少し学校にも行かなくてはと反省しているところなのだ。)

 目隠しして、目の見えない人の体験をした後、講師の人が子供たちに感想を聞く。皆「面白かった」と言う。講師の人は「面白かったの?」と感想に不満そうだった。一人だけ「階段でドキドキした」と言って、「そうだよね、どきどきしたよね」と少し感想に安心した。それから息子の番になり、「目が見えないと困るので、目が見えない人にはなりたくない」と言った。あらら。講師の人は困ってコメントしなかった。

 子供たちの「面白かった」は正直な感想なのかもしれない。キャアキャアやっていたもの。息子には普段「面白かった」「ためになった」ばかりの感想はつまらない、と言っているので、違う言葉を探して「目が見えないのは困る」と出てきたのだろう。講師の方は、「目が見えないと大変だなと思いました」とかの優等生的答えが欲しかったのかもしれないけれど、今日の「面白かった」の子供たちの感想は、正直なことで○と思ったのだった。

 そのあと、車椅子体験がある。私も乗って自分で動かす。「G君のお母さん上手」とグループの子供たちが喜ぶ。息子は「お母さんは福祉の大学に行っているんだよ」と自慢する。いえいえ福祉の大学とは違うんだけど、お母さんは足を悪くして車椅子に乗っていたことがあっただけなのさ。

 子供って親がいなくてもいいけれど、来てくれればうれしいようだ。たまには学校行事に参加するようにしよう。

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武田山荘

 今出ている「婦人公論」(9月7日号)に武田花さんが「泰淳・百合子の「武田山荘」を富士に還して」という記事を書いている。

 武田山荘を見に行ったことがある。その頃東京のはずれの八王子に住んでいて、体を壊して寝たり起きたりの生活の時、なにげなく図書館から借りた『富士日記』を毎日毎日読んでいた。夫に話したら、夫も読んで『富士日記』ファンとなる。ある秋晴れの日、河口湖のほうへドライブにいくことにした。そして、武田山荘のある別荘地に足を延ばす。別荘がたくさん建っていて、どれが「武田山荘」かわからない。『富士日記』によく出てくる管理棟があったので、入って行って聞いてみる。「百合子さん、いるかな。電話してみますね」と言われて慌てる。知り合いと勘違いしたみたいだ。でもいなくて、別荘の位置だけ教えてくれて、私たちは門の前で写真を撮って帰ってくる。

 花さんの文に「武田山荘」の周りの木が大きくなり、富士山も見えなくなったと書いてあった。百合子さんがせっせと苗を植える姿が目に浮かぶ。深沢七郎さんにもらった梅を植えている。

 わたしたちの「山の家」という山荘も、百合子さんの影響で建てたのかもしれない。私の身体を治すための転地療養でもあったが、その家の周りに私も苗を植え続け、10年以上経つと、森になってしまった。道路から見えていた家が見えない。村の人に「誰も来させないためか」と言われた。あの家もいずれ朽ち果てていくのかもしれない。

富士日記〈上〉 (中公文庫) Book 富士日記〈上〉 (中公文庫)

著者:武田 百合子
販売元:中央公論社
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2007年9月 1日 (土)

粗住感覚

粗住感覚―女はラクに暮らす Book 粗住感覚―女はラクに暮らす

著者:稲田 深智子
販売元:レヴェール編集室
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 昨日は1日雨。急にセーターを着込みたくなるくらい寒かった。今朝も寒い。

 この本の目次を読んだ時に、たぶん私と感覚が同じ人だなとわかって、つい買ってしまった。特にキッチン・ドリンカーのところはまったく同じなのだ。いっぱいひっかけないと料理ができない。お酒の勢いで料理をしている。 それをなにげなく友達に話すと、夕食を作りながら飲む人はいるようだ。仕事から帰ってきて、荷物を置けば台所に立って手を動かす。ビールでも飲まないとやってられません。(寒くなってきたので、ワインがいいかも。そのあと食卓では夫につきあって日本酒を飲む。お酒に強いわけではないので、もう動くのが嫌になって、後片付けは夫と息子がやってくれているので、ソファでゴロゴロテレビを観ている。親が見たら嘆く光景なのだ。)

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