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2007年9月10日 (月)

いいお産

 年に1回の子宮がん検診に行ってきた。行った産婦人科は古い建物で、医者もお歳である。去年はメルヘンチックなN産婦人科に検診へ行ったら、混んでいたので、古そうなY産婦人科に行ったのだが、思ったとおり空いていて病院にいた時間は30分だった。ちょうど若いお母さんが赤ちゃんを連れて退院するところだった。若いお父さんが迎えに来ていて、院長先生が声をかけていた。こちらも微笑みたくなる風景だ。

 新聞に「いいお産」という本の広告があった。「いいお産」という言葉が嫌いだ。なぜかというと、たぶん私は「悪いお産」の見本のようなお産しかしていないからだと思う。(二人とも帝王切開だから、正確には手術でお産ではないかもしれない。)

 2回の流産の後、3回目の妊娠も切迫流産で入院。私の自慢は受精したことがわかることだ。受精してしばらくすると、お腹に違和感があり、心配すると不正出血がある。病院へ行くとまだ胎児など確認もできないが、妊娠反応がある。すぐに入院となる。そうして、寝たきり生活で持ちこたえて、出産の日を待った。夜中に破水して病院へ。陣痛が来ないので、陣痛促進剤を打つ。その陣痛が痛い。でも薬が切れるとなんの反応もなくなる。そんなことをしていて2日目に胎児が危ないからと帝王切開する。看護婦さんが「危ないところだった。早く帝王切開すればよかったのに」ともらしていた。先生はどうにか下から産ませてあげたいと思っていたのだろう。とにかく長男はしばらく保育器に入っていたが元気だった。

 次男を妊娠したときも、お決まりの切迫流産で入院し、後期は切迫早産で入院。胎児が下がってきているので、日取りを決めて帝王切開する。そのとき、私は先生に「もう痛いのはいいですから、さっさと出してください」と言っているのだから、悪い妊婦かもしれない。

 そのころ私のまわりはエコな人たち(もしくは自然主義の人と呼んでいた)がいて助産院や自宅出産していた。もちろん母乳主義だ。私は、母乳があまりでなかった。そのうえ、第2子を産んだあと高熱が出て、また1か月以上入院していたので母乳をあげるどころではなかった。元気になった頃、赤ちゃんを夫が連れてきたのだが、次男はパンパンに太ってかわいくなかった。夫と義母がとにかくいっぱいミルクを飲ませていたらしい。

 エコな人は、「ミルクだと、ぶよぶよになるわよ」と私に言った。あと、切迫流産をとめる薬を使った子供には犯罪が多いというアメリカの研究があるのだとか。そんなこといわれても、息子はすでにデブデブだし、将来犯罪者になるかもしれないからと言われてもどうしたらいいだろう。

 あれから10年以上経ち、息子はデブデブではない痩せている。今のところ犯罪者のほうはわからないが・・・。

 しかし、エコな人たちの思いやりのない言葉に少し傷ついた。年をとった母だから、心の中で「この馬鹿」と思っていられたが、若い帝王切開のお母さん余計なことを言ったら、落ち込むだろう。なんだか、自然分娩をしている人たちは優越感を持っているようで嫌だった。きっと、自然食で育てて、自然と触れ合って「いい子」になっていくのだろう。もちろん私のひがみだ。

 自然分娩といえば、入院している時にタクシーの中で生まれてしまった、というお産があった。これこそ自然だ。また、隣のベットに3人目を産む看護士さんがいた。一人でベットに座って呼吸をしていたと思ったら、歩いてどこかに行った。しばらくして歩いて戻ってきた。「今、産んできた」ということだった。夫も親も誰も付き添っていなかった。それからお腹が空いたと、饅頭を猛然と食べてから熟睡していた。夜になって家族が訪ねてきた。これには憧れた。あんなふうに産めたらいいなと。

 昔のお産は自然だったというのは、こういうことだと思う。ドタバタと自然に産んでしまったり、あっさり産んでしまう。「いいお産」というイベントではない日常茶飯事だ。

「地球交響曲 第5番」(竜村仁監督)だったか、ある助産院での分娩シーンがあった。そこは白く清潔で純粋なもので包まれていた。その清潔さにたじろいてしまった。しかし、こういう「いいお産」は、イベントとしての楽しみ方のひとつだと思えばいいと最近は考えるようになった。

 デブデブと言われてもかわいかった赤ちゃんは、足は夫より大きくなり、背ももうすぐ親を超すだろう。過ぎてしまえばお産はただのお産である。自宅出産でもなくあまり凝りに凝った医療機関でもなく、今日検診を受けたような町医者が私の好みだなと思うのだった。

 

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コメント

いつも読ませていただいています。(書き込むのは久しぶりですが、、)どれも気になる記事ばかりですが、これに反応しました。

>「いいお産」という言葉が嫌いだ。なぜかというと、たぶん私は「悪いお産」の見本のようなお産しかしていないからだと思う。

わたしも「お産」にはこだわっていなかった。最初のは、大学病院で陣痛促進剤を打たれてのお産でひどかった。次のは里帰り出産で途中から病院が変わったなど、、と。
この記事を読んで、「いいお産」を目指して励むのに違和感を持っていたことに気づいた。

これからも記事を楽しみにしています。

投稿: disour | 2007年9月12日 (水) 10時02分

disourさんおひさしぶりです。「いい」の反対には「悪い」があるわけです。お産まで優劣をつけられたくないなどと思いました。
 私もよく読ませて頂いています。先日も「女性センター」の話題に長くコメントを書いたのですが、送信されずにいじっていたら、消してしまいました。また、試みてみますね。

投稿: meme | 2007年9月13日 (木) 05時19分

生まれてくる子どもの優劣は選べないけど、お産はいいのを選べるから、せめてと思って頑張るのかしらね。それとも自分の快適さのためなのか?

コメント欄は書きづらいし、一度消えるとほんといやになってしまいますが、、。でも、memeさんのコメント、とても楽しみにしています。

投稿: discour | 2007年9月13日 (木) 09時57分

ありがとうございます。

投稿: meme | 2007年9月14日 (金) 05時11分

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