格差社会はないらしい
9月はじめだったか、あるサークルで某大学教授が「格差社会」をテーマに話すというので、出かけて行った。テーマも講師の人選も公民館からおりてきたもので、サークルが企画したものではなかった。
講師の大学教授から出た言葉は、「格差社会はない」。あれは、選挙のためにマスコミが騒いでいるだけのことで、格差が広がっている証拠(データ)はないということだった。お話の前に配られたコピーは、玄田有史著『働く過剰』(2005年 NTT出版)から引用された資料だった。それを見てお話を聞く前から嫌な予感はしていたのだが、資料の厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を見ながら、時給も年間所得も上がっているという説明をしていた。それはそうだけど、これは企業規模10人以上の民営企業に勤務する一般労働者(パートタイムは除く)と書かれている。この調査にも載らない人たちが問題ではないのだろうか、と思った。
でも、講師の先生は「私は経済の専門ではないので・・・」と弱気に自信なさげにしゃべるので、あまり突っ込んだ質問をする気が起きない。誰かが、「ジニ係数があるけれど」と質問したが、それには答えなかった。(もしかして、知らないということはないよね。) この企画はなんだろう。講師の人は話しずらそうで、聴きに来た人は現実の格差はどんなものがあるのか知りたくて来たのに、「格差はない」では話は終わりだった。もしかして、役所から「格差、格差」って庶民がうるさから、それを鎮めるために派遣されているのかしら。
講師の先生が帰ってから、その場にいた人は「まあ、学者さんだからね」「データにないことは言えないんでしょう」「確かに、格差の何が問題なのか考えなくてはね」と聴衆は優しかった。民生委員の方もいたが、講師の先生の話に納得できないようだった。庶民レベルの感覚では、データがなくたって「なんだかへんだ」と思っているのだ。それにしても、へんな企画だった。「格差がない」というなら、そのデータをきちんとあげて説得にかかって欲しかったが、あまりにおそまつで論議にもならない。たんに役所の企画ミスなのか、陰謀なのかと考えてしまった。
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