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2007年9月17日 (月)

福田か麻生か

 仙台へ行って来た。高速バスで往復5000円。句会では、私の俳句はほとんど沈没したが、気持のいい人たちばかりで、楽しい時間を過ごした。そうして帰りは飲んで、おじさまたちと少し政治の話になる。

 なんだか、福田だろうが麻生だろうが表看板が代わっただけで何か変わるという幻想は持てないと思うのだけど、持ってしまうのかしら。小沢になったところでどうなるだろう。安倍で失敗したから、地方が大事、格差に取り組むとはいうが、年金問題にしても少子高齢化にしても小手先の対策ではすまなくなってきたと思う。なぜなら、嫌でも企業も個人も多様化してしまって、ひとつのモデルに収まりきれなくなっている。

 仙台のバスの中で大江健三郎の『沖縄ノート』(岩波新書)を読む。以下はそこからの引用。

「日本人は、多様性を生きいきと維持する点において有能でない属性をそなえている国民ではないか、という疑いがあることをいわねばならない。多様性にたいする漠然たる嫌悪の感情が、あるいはそれを排除したいという、なかばは暗闇のうちなる衝動がわれわれのうちに生きのびているあいだ、現になお天皇制が実在しているところの、この国家で、民主主義なるものの根本的な逆転が、思いがけない方向からやすやすと達成される可能性は大きいだろう。」(P61)

 首相が代われば何かが代わるような気もしてしまうが、底の底で何が起きているのかよく見ていないとだめだ。多様性を包み込む政治は政策は面倒くさい。政治家も国民も同じだ。型にはめ込んだほうが楽なんだ。そこから一歩出て、大きなビジョンとコミュニケーション能力の持った政治家が欲しいが、政治家は国民の鏡でもあるのかもしれない。

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