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2007年11月 3日 (土)

ボランティアの活用?

「女性の活用」という言葉にひっかかるが、「ボランティアの活用」という言葉もひっかかる。

 この間、ある施設の人たちが話しているのをつい聞いてしまった。内容は、職員の手が足りないところを「ボランティアを使えばいいのでは」という提案と、「まだまだボランティアを活用がされていない」ということだった。私は遊びに行っていたお客さんだったので、立ち聞きしたという訳だ。また、昨日ある人に介護の人手不足、予算不足の話をしていたら、「ボランティアは活用しているの」と言われた。

「ボランティア」は活用するものだろうか? やりたい人が勝手にやるぶんにはいいが、何かひっかかる。確かにたくさん年金をもらって、まだ元気で、人のために何かしたいと思う人もいるだろう。でも、「活用」という言葉は失礼な気がする。

 そんなとき、昨日『講座 障害をもつ人の人権』第1巻の中の大熊由紀子さんの「ノーマライゼーションの理念と政策」という文書の中にボランティアのことが触れられていた。

たとえば、文部科学省はじめ多くの日本人は、ボランティアを「無料で奉仕する親切な人」と思っているフシがありますが、これはボランティアの本家の国々では通じない解釈です。

「ボランタリーな殺人」は、奉仕の精神で親切に殺してあげるのではなく「故意殺人」という意味ですし、「ボランタリーな筋肉」は随意筋のことです。ボランティアのヴォルはヴォルケイノ(火山)のヴォル、内側からほとばしり出るという意味なのです。大阪ボランティア協会事務局長の早瀬昇・阪大客員教授は、「ほっとかれへん、と現実をかえようとするのがボランティアの本質」と述べています。

 これは著者が、カタカナの言葉が日本に定着するときに元の意味とはニュアンスが違ってくるという文の中にあげた例のひとつだ。 

「ほっとかれへん」という我から行動するボランティアなら、これから団塊の世代の方々がボランティアで現場に入り、「こんなことでは駄目じゃないか」と外部からの問題提議をしてくれるといいかも。願わくはボランティアといって日本人の美徳を発揮して言いなりになって働いて(活用されて)しまわないことを願う。私もそうだけど「いい人にみられたい」ためにやりすぎてしまうところが特に女性にはあると思っているから、気をつけたい。

 さて昼を食べたら、お仕事に行かなければ。友達の個展の最終日だったが行かれなかった。掃除機かけて、風呂掃除して、アイロンかけて、買い物して、帰りが遅くなるので夕食におでんを作り、これ書いて時間切れ。千葉の母に我が家にボランティアに来ないかと誘ったら、「やることいっぱいあるし、友達やボーイフレンドと離れるのは嫌だから、盛岡なんか行かない」と言われた。ボランティアの活用に失敗したのでした。

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