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2007年11月 1日 (木)

歩きたい

昨日は秋晴れ。紅葉もそろそろ散っていく。水曜日は大学は午後一こましかないので、庭の紫蘇やミョウガなどを片付けたかったが、すごく歩きたい気分になって大学まで歩いて行った。1時間40分かかって大学につく。

 春や夏にも歩いたことがある。はじめはダム湖のほとりの遊歩道を歩くので気持ちがいいが、山道に入ると歩道はない。そうして交通量がとても多い。通勤時間のピークを過ぎた9時過ぎに出たが、車の多くは飛ばしている。トラックも多い道だ。私が歩いていると、カーブが多いから対向車が来ると私を抜けない。車は止まることになる。申し訳ないから道路わきのやぶに入って車に行ってもらう。中には人が歩いていてもお構いなしに怖いぐらいすれすれにスピードを緩めず走って行く車もいる。眺めはいい道だが、なんだか人間が歩くのが悪いような道なのだ。

 もちろん事故もよくある。長男が土日に大学のテニスコートで練習が時々ある。私も仕事で送って行かれないので自転車で行かせていた。でも歩道もないので自転車はもっと危ない。そしてやっぱり、息子の先輩が事故にあった。それからは、「自転車で行ける距離だ」という夫を説得して車で送迎してもらっている。

 この間経済学者、宇沢弘文の『社会的共通資本』(岩波新書)を読んだ。その中に「自動車の社会的費用」(このタイトルの岩波新書もある)に、教えていた地方の大学のまわりの自動車優先思想の道路づくりを批判しているところがある。私が通う大学も同じ。地方の大学は車使用を前提としているのだ。1年生も夏休みに免許を取って車通学が増えたようだ。私はつい「冬道は気をつけてよ」とお母さんのようなことを言ってしまう。大学生の間は、できるのならバスや電車、自転車で通えるといいなぁと思う。

 車社会の現実を考え直してみることは本当に必要なのでは、温暖化対策の面でも必要なはずなのに、車社会が見直されることはない。道路は車のものだ。

 東京から岩手の田舎に越してきてはじめに慣れなかったことがある。それは、いつも車で移動しなくてはいけないことと、スーパーでパックした肉や魚を買わないといけないことだ。田舎は移動手段が車しかない。保育園も山を越えて車で20分かかるので、自転車は使えない。東京では車なしでよく歩いたものだった。田舎は一家に一台ではなく、大人1人に一台車がある。あと、魚屋とか肉屋はなくスーパーしかないことも慣れなかった。東京では下町に住んでいたので、商店街が生きていた。田舎の商店街はスーパーに押されて、シャッター街になっている。なんだか田舎が「自然にやさしい」というのは一概に言えないなぁと思ったものだ。

 ここでは車がなければ生活が不便だ。わかっているが、なんとかならないものかと思う。「そのうちガソリンが値上がって足りなくなって、乗りたくても乗れなくなるんじゃない」というのが息子の意見だ。そうなるのかしら。燃料のことを考えれば、車も何かが変わっていかなくてはいけないのだろう。

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著者:宇沢 弘文
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コメント

>なんだか田舎が「自然にやさしい」というのは一概に言えないなぁ

同感です。車社会で歩かないし、大型店舗ばかりで買い物には対話がないし、、。

投稿: discour | 2007年11月 1日 (木) 12時07分

買い物といえば年末の買い出しを思い出します。近くに市場のように店があって、値段を交渉したり、肉屋に群がる主婦におじけつき、「豚バラ300g」となかなか注文が言えなかったという新婚の時の思い出があります。(今なら割り込めますが・・・)田舎に住むと買い出しは大型スーパーなので楽だけど、年末の気分がしませんでした。
今住む街には八百屋や魚屋がありますが、田舎のほうが便利さや贅沢を求めるところがあります。大きなテレビ、大きな自動車、たくさんの食べ物。わりとびっくりしました。都会の人はみなそうしていると思い込んでいますが、都会にはいろいろな生活があって質素にしている人も多いのです。

投稿: meme | 2007年11月 2日 (金) 04時41分

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