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2007年12月の投稿

2007年12月30日 (日)

パオの物語

 秋にBSでアジア映画の特集をしていたので、何本かビデオに撮った。ビデオに録画しておいても観る暇がない。昨夜は子供たちが観たいテレビもないそうなので、ベトナム映画『パオの物語』  http://www.imageforum.co.jp/pao/  を次男と二人で観る。

 モン族の女性の衣装が美しい。アジアの民族衣装は色も鮮やかでいいですよね。映画の中でも自分で刺繍をほどこしているけれど、だんだんそういう手作業はなくなっていくでしょうね。伝統工芸として残って、一般の人は私のように針を持たない安物のTシャツとジーンズになるのかしら。テレビが観られるようになり、学校へ行かれるようになったら、自分の服を作るより、やりたいことはたくさん出てくる。

 映画は、パオという少女の成長を描いたもの。事情があって生みの母と育ての母がいる。その母2人は一緒に暮らしているが、産みの母は町に働きに出かけたまにしか帰ってこないから、パオは育ての母になついている。でも、育ての母にも秘密があった・・・。

 次男は、なんで母親が二人いるのかなかなか理解できない。それでも、パオの美しさにはひかれたようだ。この映画は実話だそうで、最後に現在の本物のパオが出てくるのだけど、そのたくましいおばさん姿に次男はのけぞって、「あれがパオ」とうなだれた。

 パオが生みの母を探しに行く旅では、私は悪い男が出てきてパオをだまして売り飛ばしてしまうのではと、ハラハラした。もちろんそんなストーリーではないのだけど、12月に人身売買のレポートを発表したので、人身売買の資料ばかり読んでいたせいなのだ。

 たとえば、「私がタイで見た現実」  http://www.imageforum.co.jp/pao/  に、モン族のことが触れられている。モン族はベトナムやミャンマー、タイ北部の山岳地帯に住む人々で、映画では貧しいという印象はなかったが、貧困地帯でもあり、人身売買の供給地になっている。また、北部の少女の容姿が日本人男性に好まれるという話はよく聞く。

 そんな訳で映画を観ていてもハラハラしていた。無事に家に帰れて良かった。

 人身売買については、あまりに大きく、あまりに頭に来ていたので、ブログに書けませんでした。その昔、アジアへの売春ツァーが問題になりましたが、現在も日本は人身売買の最大の受け入れ国であり、アジアの売春産業のお得意様なのです。これについては、またあらためて書きます。

 IOM 国際移住機関  http://iomjapan.org/index.cfm

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2007年12月29日 (土)

愚痴

 高齢者と生活を共にするのは、生活様式の違いがあって難しいです。

 夫の両親は、寝るのは遅く12時を過ぎてからです。朝は起きるのが遅いです。私は早寝早起きです。12時まで話し相手をするのはつらいです。そうして遅く寝ても私は朝早く目が覚めてしまいます。でも、義母が起きてからでないと起きてはいけません。

 結婚したばかりの夏に実家に泊まった時は、朝、目が覚めてしまって外に散歩に行きました。コンビニでコーヒーを買い飲みました。しかし、帰ってきたら義母に「あなたが朝から音を立てるので起きてしまった。寝不足だ」とずっと言われ続けました。

 起きるのは義母が身支度を整え、お湯を沸かす頃に下に降りて行くのがベストです。つい諦めて二度寝してしまい遅く起きていけば、「遅いわね」と機嫌が悪くなります。夫に言わせると昔からだそうです。子供の学校のある日は、義母はどうにか起きてきますが、学校がない日は起きてこないのだそうです。だから、子供達も起きてはいけなくて、ベッドの中でお腹を空かせて義母が起きるのを待っていたそうです。10時を過ぎてやっと起きられるとか。そのあと、やっとごはんにありつけたら、家中の掃除なのだそうです。水ぶき、からぶきとしていたそうです。お友達と遊びたかったそうです。

 また、朝起きるとテレビをつけ、寝るまでテレビはついています。義父がお炬燵でうたた寝をしているので、テレビを消そうとしたら、「観ている」とむっくり起き上がりました。食事中はテレビを消そうとしたら、義母に「なんで消すのよ」と言われます。我が家はあまりテレビを観ないし、家にあるのはパソコン画面ぐらいの小さなテレビがあるだけです。夫の実家には画面の大きなテレビが狭い居間に鎮座しています。それに音も大きくしているので神経が疲れます。そうして、私がついテレビに見入ったりしていると、義母がチャンネルを変えてしまいます。テレビを観ていないで話を聞けということでしょう。そうです。1日義母の愚痴を聞かなければいけません。

 人が自分の思い通りに動かないと怒る人がいます。義母もそのタイプです。私が買い物から帰って、のどが渇きました。義母は「品物は私が片づけるから、コーヒーを飲んでいて」と言ってくれました。私はコーヒーを入れてお炬燵に座ります。義父が観ているテレビではNHKの「プロフェショナル」の再放送が流れていました。私も観ます。しかし、隣の台所で義母のイライラした音が聞こえてきます。まだ5分も立っていないのですが私の休憩は終わりのようです。でも、テレビが面白いので無視をして観ていると、「早く野菜洗ってちょうだい!」と声が飛んできます。夜はお鍋です。まだ3時です。もっとゆっくり支度してもいいのですが、仕方ありません。

 3日のがまんと私は思います。夫の実家の人たちは昔から我慢してきたそうですが、それが良くないと私は思っています。夫は、「反論すれば、泣きわめかれておしまいだ」と言いますが、話し合ってこなかったから、義母のわがままに君臨しています。義父も子供のように怒鳴られています。あれでは痴呆もひどくなります。私は「もっと、おだやかに。お父さんは認知症なのだから、忘れたからっていちいち怒れば自分がストレスをためて損だよ」とも言いますが、「フン」と鼻でさえぎられます。高齢となった義母の性格を和らげるのは今から無理なのかもしれません。

 高齢者になってわがままに暮らすのは悪くないと思います。柔軟性もなくなってきます。でも、誰かと一緒に仲良くやっていくという技術も必要だなと最近思います。高齢者世帯でも子供たちが寄り付く家と、子供が近くに住んでいても寄り付かない家があります。私は冷たい子供達だなと初めの頃には思いましたが、どうも高齢者自身にも問題があるようです。子供のほうは小さいときに虐待されていたと思っていても、親のほうは苦労して子供を育てたのに子が冷たいという記憶のすれ違いはよくみられます。家庭の数だけ様々な事情があるようです。それらの感情を乗り越えて高齢者と付き合っていくには技術が必要だとつくづく思ったのでした。

 ほとんど義母への愚痴でした。義母のことで昔は頭に来ていましたが、今はあきれていると言ったほうがいいかもしれません。義母とは思わず、いち高齢者としての反面教師だと思っています。

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2007年12月28日 (金)

介護

 「介護」がいよいよ家庭生活に入ってきました。

 大学の冬休み前に、夫が実家に電話しました。「かみさんも冬休みになるから、大掃除にでも行ってあげる」と。

 そうして冬休みになった22日の朝、義母から「動けない」との電話。夫は締め切り前で行けない。私もヘルパーのバイトが入っていましたが、代わりを見つけて夫の実家のある沿岸の町に電車で行きました。

 結論として、義母はたいしたことありませんでした。大騒ぎしたけれど、検査結果は何も出ず、元気です。一番の訴えは、「おじいちゃんを盛岡に連れて行ってくれ」「もうご飯作るの嫌だ」「ゆっくりしたい」というので、その夜の電車で、義父を盛岡に連れて帰りました。

 それから25日に、家族みんなで義父を連れて実家に行き、ケア・マネージャーさんと契約をし、デイ・サービスに行くようにしてもらい、義母の認定も申請し、週に1回ヘルパーさんに来てもらうよう手配をお願いしました。

 夏休みに義父の認定は取っていたのですが、夫の妹さんや義母が「おじいちゃんはプライドの高い人だから、そんなところに行かない」と言われました。それならいいと、ほっといていたら、義父の認知症がすごく進んでいることがわかりました。そのため、義母のストレスもたまっています。義母もプライド高い人だから、「ヘルパーなんていらない」と妹さんに言われていましたが、膝が痛くて外を歩くのは大変そうです。重い物の買い物や布団の干すのやお風呂掃除を手伝ってもらいたいと義母も弱音を吐いてヘルパーさんを頼むことにしました。そして義父が、デイサービスに行っている間は一人で休めます。

 私が夫の実家に行けない間、夫や妹さんが顔を出していたはずなのに、なぜ「まだ大丈夫だ」と思っていたのか。自分の親の老いは認めたくないのでしょうか。他人の私のほうが弱味を訴えられるのかしら。夫は、私が冬休みに入るのを狙って義母が電話してきたと言います。義母は「R子(東京にいる夫の妹)が、なんでもめめさんにやってもらいなさい」と言っていた、と言います。おいおいですよね。妹さんは、専業主婦で子供は社会人で社長夫人でお金持ちです。私はヘルパーのバイトを休んで実家に行っています。その他、やることもいっぱいあります。でも、なぜか自営業の我が家は暇だと思われてしまいます。大学へ行っていることも言ったけど、理解はしていません。何かパートに行っているのかと思っているようです。一老人への援助だと思えば、一生懸命になれるけれど、嫁は介護して当たり前という態度を取られると、引いてしまいますね。

 義母は夫たちの継母で、親子の間ではっきりものを言えない雰囲気があります。義母が家を取りしきって怒鳴りまくって、子供たちは波風を立てないように過ごしてきたようです。盛岡に来ないかというのももちろん駄目です。自分の家にいたいというのが希望です。義母は義父が死んだら、九州の実家か神戸の妹のところに帰るそうです。もし、岩手で死んでも骨は一片たりとも岩手に残さずに九州のお墓に入れて欲しいとのことです。「それなら、おやじの面倒はみるから、早く九州に帰れ。お金を全部持って行っていいから」と優しい夫が言いましたが、世間体があるから今は帰れないそうです? たぶん、帰るところなどないのです。言ってみたいだけではないかと思います。淋しい人なのです。ただ、一筋縄ではいかない夫の実家なので、これからどうなることやらです。

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2007年12月20日 (木)

satisfaction

寝坊した。今日は1コマめの英語が休講だからと気が緩んだのかもしれない。1コマ目からの英語はつらい。講義形式ではなく、どんどん発言しないといけないから。それも英語で。日本語は禁止。若い学生さんも眠そうに「だるー」とやってくるが、少人数だから居眠りもできない。でも、最後は先生が「Good Job!」と言う通り、よくやったよという充実感がある。その分次の授業ですぐにお腹が空いてくるのが困るのだが。

 つらいけれど楽しい英語の授業をするのはアメリカ出身の30代の男性で、私から見たら育ちのいいハンサムボーイ。先日、英語の本に「satisfaction」というタイトルが出てきたとき、先生はギターを弾く真似をして歌いだした。ローリングストーンズの「satisufaction」だ。しかし、クラスの学生はシーンと静まり返る。先生も戸惑って、「ローリングストーン知っていないか。ミック・ジャガーは?」と聞くが、みんな首を傾げる。そこで先生は私を見る。「もちろん、知っていますとも」 ファンでなくてもサビの部分は歌えますよ。

 若い学生さんたちは、遠慮したわけではなく本当に知らないようだ。私は、レッド・ツェペリンのファンだったが、レッド・ツェペリンも知らないだろう。復活コンサートに喜んでるのは中年なのだ。いったい、どこの年齢層までが「satisfaction」やミック・ジャガーを知っているのだろうか。

 しかし、大学でこういう場面はよくある。この間は、資料の文書に伊丹十三の名が出てきた。みんな知らないそうだ。私は隣の子に「『マルサの女』とか『お葬式』という映画知らない? 朝ドラの『どんと晴れ』の女将役の宮本信子のだんなよ」と言っても、首を振られる。本当に知らないのね。今年度入学の子には平成元年生まれもいる。うちの息子だってミック・ジャガー知らないし、あたり前のことなんだ。

 私が昔学生の頃どうだったか。先生たちの話が世代断絶していただろうか。わからない言葉はあったかもしれないが、先生が口に出すからには知っていたほうがいいと思って、その作家を読んでみたり、映画を観たりして知ろうとしたような気がする。でも、今の学生さんは課題と出されれば調べるけれど、先生の雑談ごときに出てきたものは「知らないものは知らない」。興味はわかない。東北の大学で文学部でもないから仕方がないのかもしれないが、村上春樹や吉本ばななも読まない。一度皆が何を読んでいるのか調査しようと思っている。

 それにしても、そんな自分の子供のような学生さんと日々過ごしている。昨日、ある授業のグループ発表が終わった。私は男の子3人と発表した。「グループに好きに分かれなさい」と先生が言ったとき、男の子達が「一緒にやりましょう」と声をかけてくれた。優しい子達だ。でもね。発表が終わってから客観的に観たら、保護者と子ども3人という感じだなと思う。最近まわりの学生さんは私に慣れたようだが、おかしいかも。本当に自分でもよくやるなとは思うが、冬休み前の発表や課題を終えて取りあえずは満足だ。しかし冬休みは2週間しかないのに、レポート2つもある他、試験に向けて復習しておかないとね。心配したが、結構楽しい大学生活である。せっかくだから無邪気に楽しもうと思っている。

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2007年12月16日 (日)

誤植

 先週、夫が近くの飲み屋で同業者のKさんと仕事話のついでに忘年会をしているので、私も子供にごはんを食べさせてから参加する。夫はたまに会っている人でも私は6年ぶりぐらい。その男性のところに勤務している編集者の女性とも私は会ったことがあるのだが、その時私は赤ん坊だった長男を抱っこしていたと言うので13年ぶりぐらいの再会ということになる。なんと時が過ぎるのは早いことか。子供たちは大きくなって自分たちが変わらないようでも年を取ったことをつくづく感じた。

 そこでKさんが昔話をする。前にKさんに頼まれて私が原稿を書いたことがあった。だけど、雑誌に出たとき誤植があって、Kさんが私に謝ったら私が「そんなことよくあることですから」と言ってくれて、優しい人だなと思ったそうだ。よく覚えていない。

 それを聞いて夫が大笑いする。「この人が誤植のプロですから、人にとやかく言えない」。そうなのだ、なぜかよく見たはずなのに誤植があるのだ。私の一番の顔が青くなったのは、ある有名ブランドのロゴを間違えて他のブランドのものにしてしまったこと。校正の人もそこまで気がつかなかった。ただただ謝った覚えがある。誤植はなくならない。校正者さんを入れてもいいが、それはそれでお金がかかったり、律儀に直さなくていいことまで直されて迷うこともある。

 そこで、いちばん誤植をなくすには二人で読み合わせするといいという話になった。黙読というのは、どうも自分の都合のいいように読んでしまうようだ。このブログも誤植が多いかもしれない。書いたまま読みかえさないからだが、もう謝って許してくれる歳でもなくなったので、誤植に気をつけなくてはと思った夜だった。

 しかし、話の合う人たちと話しているとなんて時間が過ぎるのが早いのだろう。会わなかった時間を埋めるように話していたら、真夜中も過ぎていた。帰ったら長男がまだ心配して起きていて、「次郎が、お母さん10時に帰ってくると言ったのに帰って来ない」と怒って寝たと報告される。まだ、かわいいねぇ。ただ、次の日の講義は辛かった。休んでしまおうかとも思ったが、なるべく休まないのがモットーなので行ってみるが、途中意識を失う。聞いているふりをして一生懸命だったのに、ふと周りを見たら、前も横も学生さんが机に突っ伏して寝ているではないか。いやーそこまではできない。みんな忘年会疲れなのかしら。夫は「俺なんか、目を開けたまま寝ていられる」と言うが、突っ伏して寝るのは失礼だと思うのだが・・・。これは余談。

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手前味噌

 今、土鍋で大根を煮ている。風呂吹き大根用の練り味噌も作る。練り味噌に使った味噌は、自家製味噌の最後の残りを使った。

 山の家に住んでいた10年の間、毎年3月にになり、少し寒さがゆるんだ頃に味噌づくりをする。右隣のばっちゃんに教えられてはじめた。45ℓぐらいの大きな樽いっぱいに作るのは1週間ぐらいかかる。前の日に大豆をうるかし、次の日は薪ストーブの上に大きな鉄鍋を置き、朝から夕方まで煮る。その間は、水を足したり、吹きこぼれないように見張っている。ここまでは私の仕事。大豆が十分柔らかくなったら、木の臼の中に大豆と塩と麹を入れてよくすり合わせる。これは夫の仕事。大豆を煮るのはストーブのそばでいいが、大豆を潰す仕事は車庫でやる。屋根はあるが寒いので大変な仕事。臼は、左隣のおんちゃんの手作りで、引越祝いにくれた。しかし、この臼が重いので洗うのが大変なのだ。

 味噌は2年か3年置いてから食べるから、小屋には何樽も味噌が鎮座している。友人にも配り好評だった。そうして、この間最後の樽からすくった最後の味噌を持ってきたのだが、とうとうおしまい。これから、どこの味噌を買おうかと悩む。しばらく、あちこちの味噌を試して気に入った味噌を見つけるしかない。

 しかし、手前味噌とはよく言ったもので、自分の家の味噌が一番おいしい。ときたま、つぶれていない大豆の粒が入っているのもいい。夫と春には山の家で味噌づくりをしようかと、話すのだけど、なかなかまとめた日数をとって一緒に帰れない。ばっちゃんはいつも一人でもくもくと味噌を作っているが、私たちは一人だとやる気がしないというか、一人だと大変な作業となり面倒になる。それに無農薬の大豆を大量に手に入れるのが難しい。いつもは無農薬で作っている農家の人に頼んでいた。あまりたくさん作っていないので、予約しないと手に入らない。

 でも、味噌は田舎でないとできないわけではない。東京で働いていた時の会社の経理部長の素敵な女性は田園調布に住んでいる。そうして味噌は自家製を作っている。ところがいつも大豆を頼んでいた農家が大豆をやめたので、「岩手で手に入らないか」と連絡が来て、知りあいを紹介した。きれいな台所で何日もかかって味噌を作りためるのだ。それならニュータウンの台所でもできそうなものだが、どうもね、薪で煮ること、臼でつぶすのがうちの味噌だと思っているので、やり方を変えられない。

 昨日バイト先の忘年会で食べた牡蠣に味噌をぬって焼いたものが美味しかった。それも今夜作ろう。というわけで、大根も煮えたころなので牡蠣を買いに行ってこよう。それとごまたっぷりの大根の皮のきんぴら、サラダ、焼き餅というのが今夜のメニュー。メニューが決まるとこころ穏やかに午後が過ごせる。

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2007年12月12日 (水)

カレーきんぴら

 ずいぶん前に、「藤原美妃子’s Blog」http://blog.so-net.ne.jp/mikikofujiwara/の藤原さんにお昼を食べに連れて行ってもらったのが、「スローキュア・ナチュラルハウス」という自然食のお店。藤原さんのブログで紹介しています。http://blog.so-net.ne.jp/mikikofujiwara/2007-10-25

 玄米ごはんに具だくさんの汁物におかずが何品か。その後、ある勉強会へ行ったのだが、お腹が満腹で眠くなってつらかった。その時のランチメニューにカレー味のきんぴらがあって美味しかった。私は胡麻をたくさんかけたきんぴらを作るのだが、長男がごま味が嫌い。胡麻ドレシッング、胡麻だれも「やめてくれ」という。こんなに美味しいものをと思うのだが、ふとカレー味のきんぴらにしてみたら、「ごはんにあう」とたくさんきんぴらを食べてくれた。カレー味にするなんて子供向けだと思ってはみたが、カレーきんぴら美味しいです。

 我が家は、蕎麦屋めぐりをする以外は外食というものをほとんどしない。でも、たまに外で食べると料理のヒントになり、モチベーションが上がる。あと他人の家でごちそうになるのも勉強になる。ついつい料理がマンネリになるから、他人の作った物を食べるのは大事なことかもしれない。奥さま方がランチに行くのは、料理の刺激を受け、日々のモチベーションを上げるためと理解してください。

「スローキュア・ナチュラルハウス」http://www.pref.iwate.jp/~hp0360/airfresh/MAP/naturalhouse.htm

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2007年12月10日 (月)

アマルティア・セン

貧困の克服―アジア発展の鍵は何か (集英社新書) Book 貧困の克服―アジア発展の鍵は何か (集英社新書)

著者:アマルティア セン
販売元:集英社
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人間の安全保障 (集英社新書) Book 人間の安全保障 (集英社新書)

著者:アマルティア セン
販売元:集英社
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 宿題のレポートを書くために読んだ本。日曜日もレポートや発表の資料をを書くため、机に向かう。

 アマルティア・センが人間的発展のために、まず読み書き計算が万人ができるようにと訴えていて、明治時代でさえ日本の識字率の高くした日本の基礎教育の徹底を称賛しているのを読んでいたら、先日読んだ徳島市上勝町の葉っぱビジネスの高齢者の人たちを思い出した。

 葉っぱの採集は経験知でできるかもしれないが、パソコンで市場を読んだり、FAX通信や注文を読んで、送る。講習会に出る。当たり前に文字を操るけれど、この高齢者の人たちも山住まいの中で学校に行ったのだ。高齢者が文字を知らなかったら、ビジネスは成り立たなかった。

 山の家の村のお年寄りも文字が読めない人は知らない。隣のおんちゃんは日記をつけているし、ばっちゃんも椎茸の講習会に行って、自分で椎茸を扱い小遣いにしている。彼らが小さい時は村に学校がなかったので、日の出とともに歩きはじめて遠くの学校に通ったことをよく話してくれた。家の手伝いや真冬の雪で学校に行けなかったことも多かったが、それでも男も女も一緒に学校へ行って、親も学校に子供を行かせるべきだと思っていた。学校に行って文字を覚えるなんて当たり前のことだと思ったが、戦前の山の中で道らしき道もない山道を歩いて学校に通った子供たちを考えると日本の公教育が果たした役目が大きかったのだと改めて感心した。

 アジアのレポートを書きながらも、頭の中ではばっちゃんやじっちゃんが山の中をてくてく歩きながら学校へ通う映像がとまらなくて困った。家の手伝いから解放されて、それは楽しい道のりだったらしい。子守りを言いつけられていたのに、学校に行きたくて抜け出したという話も聞いた。そんな話あんな話を思い出す。しかしだんだんにその記憶をもつ高齢者も亡くなってしまう。もっときちんと話を聞いておくべきだったと後悔する。

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2007年12月 8日 (土)

海に帰る日

海に帰る日 (Shinchosha CREST BOOKS) Book 海に帰る日 (Shinchosha CREST BOOKS)

著者:ジョン・バンヴィル
販売元:新潮社
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 久しぶりに読んだ小説。邦訳タイトルが少し気に入らない。原題は『The Sea』なのだが、どうつけるかと悩んだりする。原文で読むべき小説なんだろう。

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憂鬱な年末

 クリスマスは子どもと若い人のためのイベントだ。年を取ってくると興味がなくなってくる。子供が小さいときは、近所のお友達を呼んでパーティらしきものをしたり、プレゼントのラッピングを考えたりしたものだが、今は面倒なだけだ。そうして去年、我が家ではサンタさんからのプレゼントはなかった。

 息子たちだって、プレゼントは親が買っているとは知っている。「なんで、友達の家にはゲームとかが来て、うちには本しか来ないの」と不思議がっていた。本だけではない。レゴ、人生ゲーム、野球ゲーム、顕微鏡など毎年頭を悩ませているのだ。でも基本は本とお菓子だった。それも去年のクリスマスになかったので、親もとうとう面倒くさくなったと息子は納得したようだ。「今年は好きな本を買ってあげるから」ということになった。

 ちなみに、息子たちはこの夏までゲーム機を持っていなかった。いや1台ある。夫の友達がプレステ2を買ったからと、プレステ1をくれたのだが、その時についていた3枚のソフトに飽きるとほとんど触らなかった。そのゲームはおもてなし用なのだ。息子の友達が来ると「ゲームないのかよ」と言えば、それを出す。そんな古いゲームでも案外はまりこんでやっている。

 しかし、最近のDSとかいうゲームは、皆で通信して遊ぶそうだ。小学4年の息子は、仲間に入れないので「自分のお金でゲームを買いたい」と申し出た。でもね兄もゲームなしで小学生時代を乗り切ったのだ。弟に甘いと思われないかと思ったが、兄は別にいいよ、自分がソフトを買うからと言う。(兄はケチなので、貯金はたくさんあるが自分でゲームを買うとは考えなかった。でも、自分もやらせてもらいたいからソフトは買うということにした。)そういうわけで初めて手にもってピコピコする玩具が手に入った。サンタさんより、自分でお金を貯めて買ったほうが確実だとよくわかったようだ。

 プレゼント問題は片付いたとしても、クリスマスの夜はケーキを食べるのだろうか。何か特別な夜にしないといけないのだろうか。昨晩、家族で年末年始の予定を話し合う。こんなボロ家でクリスマスをしてもつまらない。ボウリングでも行く? 人ごみ嫌だとかで、結局クリスマスは山の家に年末の大掃除に帰って、薪ストーブを囲んでケーキでも食べようということになった。それなら、ムード出るね。

 それではお正月は、山の家に帰るかともめる。いつもなら直利庵でそばを食べてから大量の食糧を買い込んで山の家へ行くのだが、中学生の息子が抵抗する。お正月は盛岡にいたい。中学生ともなると友達との付き合いもあるのだろう。でも一番の理由はテレビ。山の家ではテレビが見られない。実は、私も「のだめカンタービレ」の正月特別版はぜひ観たい。それに盛岡にいたほうが買い出しもいっきにしなくてもいいので楽だ。そういう訳でお正月は盛岡にいて、正月明けに帰ることにする。そのうち息子は山の家について来なくなるだろう。

 掃除に料理、そうしてイベントらしく年末年始の行事を盛り上げるのは、ズボラな主婦には憂鬱だ。早く子供たちが家から出て行って、夫と二人になればお節料理も高いのを買ってゆっくりするのだ。今は高いものは買えない。質より量だから。そんなことを話したら、「でも正月には家に帰ってくるよ」と息子。「帰らなくていいわ。お母さんなんかたいてい旅行していて、3年に1回しか、お正月は帰らなかった」「お父さんなんか10年音信不通だった」と説得する。たぶん子供たちに会えないのは淋しいのだろうけど、出て行ってくれるのも楽しみなのが正直な気持ちだ。夫とふたりでポルトガルに住んでみたいと話す。こういう一カ所に住んでいられない体質なので、村の再生に興味はあるが傍観者でしかない自分をひしひしと感じている。

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葉っぱを売ろう

そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生 Book そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生

著者:横石 知二
販売元:ソフトバンククリエイティブ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 なんだかすごい村があるとは聞いていて気になっていたが、図書館に本が飾られていたので一気に読む。すべては一人の人から起こったこと。人なのだと感心する。「ぺてるの家」でも「上勝町」でも、たくさんの視察が訪れ真似をしようとしても成功しないのは、深いところで人と人の関係ができていないのだということに納得させられた。

 それにしても著者が初めて訪れた村の様子は山の家の村の生活を思い出させる。雨だと某所に集まって男たちは昼から飲み、国や人の悪口ばかり言う。誰か得をすればたたかれる。ねたみ、そねみ、陰口がいっぱい。補助金の話ばかりするのもびっくりした。都会に住んでいた一般庶民にはわからない補助金の世界がそこにはあった。たぶん今も変わらないと思う。パチンコばかりする男たち、嫁さんは来ないのも仕方ない状態。それは村の体質で変わらないかと思っていたが、そうではないのだなと気がついた。

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