« 海に帰る日 | トップページ | カレーきんぴら »

2007年12月10日 (月)

アマルティア・セン

貧困の克服―アジア発展の鍵は何か (集英社新書) Book 貧困の克服―アジア発展の鍵は何か (集英社新書)

著者:アマルティア セン
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

人間の安全保障 (集英社新書) Book 人間の安全保障 (集英社新書)

著者:アマルティア セン
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 宿題のレポートを書くために読んだ本。日曜日もレポートや発表の資料をを書くため、机に向かう。

 アマルティア・センが人間的発展のために、まず読み書き計算が万人ができるようにと訴えていて、明治時代でさえ日本の識字率の高くした日本の基礎教育の徹底を称賛しているのを読んでいたら、先日読んだ徳島市上勝町の葉っぱビジネスの高齢者の人たちを思い出した。

 葉っぱの採集は経験知でできるかもしれないが、パソコンで市場を読んだり、FAX通信や注文を読んで、送る。講習会に出る。当たり前に文字を操るけれど、この高齢者の人たちも山住まいの中で学校に行ったのだ。高齢者が文字を知らなかったら、ビジネスは成り立たなかった。

 山の家の村のお年寄りも文字が読めない人は知らない。隣のおんちゃんは日記をつけているし、ばっちゃんも椎茸の講習会に行って、自分で椎茸を扱い小遣いにしている。彼らが小さい時は村に学校がなかったので、日の出とともに歩きはじめて遠くの学校に通ったことをよく話してくれた。家の手伝いや真冬の雪で学校に行けなかったことも多かったが、それでも男も女も一緒に学校へ行って、親も学校に子供を行かせるべきだと思っていた。学校に行って文字を覚えるなんて当たり前のことだと思ったが、戦前の山の中で道らしき道もない山道を歩いて学校に通った子供たちを考えると日本の公教育が果たした役目が大きかったのだと改めて感心した。

 アジアのレポートを書きながらも、頭の中ではばっちゃんやじっちゃんが山の中をてくてく歩きながら学校へ通う映像がとまらなくて困った。家の手伝いから解放されて、それは楽しい道のりだったらしい。子守りを言いつけられていたのに、学校に行きたくて抜け出したという話も聞いた。そんな話あんな話を思い出す。しかしだんだんにその記憶をもつ高齢者も亡くなってしまう。もっときちんと話を聞いておくべきだったと後悔する。

|

« 海に帰る日 | トップページ | カレーきんぴら »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 海に帰る日 | トップページ | カレーきんぴら »