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2008年1月の投稿

2008年1月27日 (日)

新しい仕事

 前に主任から「土曜日にデイ・サービスを手伝ってみないか」と聞かれた。「でも、私音痴なんです」と答えたら、「歌わなくていいから」と言われて、やってみることにした。

 昨日が初デイ・サービス。10時から13時までの忙しい時間に手伝って、その後いつものヘルパー訪問の仕事だった。最近ヘルパー訪問している方々は、うつ病だったり難病だったり、暗くてくせのある人たちだから私と話があった。でも、デイ・サービスは明るいというイメージがあったので、私につとまるかしらと緊張する。でも、やってみると面白かった。いろいろなタイプの高齢者の方がいて、それぞれ介助の違いがあって勉強になる。何人かヘルパー訪問で知っている高齢者さんが「次は何をするんだよ」と助け船を出してくれたりする。20人の高齢者の人たちの見守りというのは気が抜けない。面白いけど、疲れた。

 去年、会社の健康診断で病院へ行くと、デイ・サービスで働く人、特養で働く人と一緒になった。「どの仕事が一番大変か」という話になり、「やっぱりヘルパーがやったことあるけど、大変」と1人の人が言った。なにが大変かというと、「いつも一人で考えやらないといけないから」ということだ。デイ・サービスなら便失禁しても二人で対応できるし、何かあったらすぐ誰かに相談できる。一人は怖いということだった。昨日のデイ・サービスでも車いすの方のトイレ介助に行こうとしたら、若い男性の職員さんがついてきてくれ、ふたりで介助する。「この方は、危ないですから二人で介助します」と言われた。なるほど、いいなあ。ヘルパーだったら、ひとりで介助しないといけない。動かせなくて泣きたくなることもある。誰かいるというのはすごい安心感だと思った。

 本当は春ぐらいでヘルパーをやめないといけないかなと、思っていた。他にやるべき仕事ができてしまった。ただ、やはりまだまだ高齢者の奥深い世界があるようで、土曜日だけのバイトは続けいこうかと考えなおす。そうだ、主任も私に刺激を与えるためにデイ・サービスに行かせたのかもしれない。

 今日は新しくかかわることになる仕事の打ち合わせに二戸までドライブだ。雪が降りませんように。

 などと言っていて、昨日もぜんぜん勉強していないではないか。まわりの学生さんはバイト休んで勉強しているらしい。「今夜は徹夜だよ」とも言っていた。ブログなど書いている場合ではないのかもしれない。諦めないでベストはつくそうと自分に言い聞かせているのだが・・・。さて、家族が起きてくるまで勉強しましょう。禁インターネット!!!

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2008年1月24日 (木)

大雪

 大雪です。バスで大学へ行き哲学の試験を受けたら、さっさと帰って来ました。公園横のバス停で下りて公園を突き抜けて、木の階段を下りると我が家なのです(徒歩3分)が、公園は膝までの雪が積もり、誰も歩いたあともありません。一瞬、歩道を遠回りをして帰ろうかと思いましたが、お腹が空いていたので公園を突っ切ることにしました。でも、だんだん雪が深くなります。ブーツに雪が入ってきます。我が家に下りる階段が見えません。ここだと思ったところで雪の中に転びました。下りる時も2度転び雪まみれです。玄関にちょうど夫がいました。雪かきしようかのぞいていたそうです。「公園で遭難しそうになったよ」と言いました。こんな日は買い物にも行きたくありませんね。木曜日は大学は午前だけなので八百屋に買い出しの日なのですが、どこにも行きたくありません。早めに帰って来た次男と一緒におこたつで勉強しましょう。哲学の試験? 一応書きまくって来ましたが、見当違いかもしれません。帰ってくるとすぐ、デカルトの本は、本棚奥に鎮座させました。

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2008年1月22日 (火)

気になる人

 何だか身辺忙しくしていたら、今週から試験がはじまります。もう諦めたい気分です。今回はやる気が出ない。困ったことだ。暗記しなくてはいけないことが多すぎて中年にはつらい。

 土日は久しぶりに子どもサービス。といっても、土曜日は長男のテニスの送迎。冬場は遠い所にある屋内テニス場を借りて部活をする。いつもはコーチやお友達の車で行っていたのだが、私が息子と友達を連れて行くことにした。体育館がある施設には暖かいラウンジがあるというので、そこで待っている3時間勉強することにした。デカルトの『方法序説』をまとめないといけないのに逃げまくっていた。家だと逃げる口実が多いので、そういうときはなぜか喫茶店など、コーヒーとざわめきがあるところのほうが集中できる。

 コーヒーとお菓子を置いて集中して書きまくっていたら、隣に初老の男性がテーブルについた。テーブルに買ってきた牛丼弁当とお惣菜を置く。もう一つのビニールにカップ酒が何本か入っている。嫌な予感がした。ところがその男性おもむろにズボンを下げる。そうして腹に注射のようなものをする。インシュリンの注射かしら。糖尿病なのかしら。ズボンをあげ、溜息をつくとカップ酒を手に取る。でも、手が震えている。手の震えで口までカップ酒を持って行くのが大変だ。唇にカップが触れたとき、カップからお酒が滴り落ちる。そんなふうにつらそうに飲んで、まず1本空けてしまった。それから弁当を食べる。手が震えて箸がよく持てない。次に2本目のカップ酒。よほど、「あまり飲まないほうがいのでは」と止めたかったけれど、こういう場合、他人がどうのこうの言えない。アル中でもあるかも。家で飲めないので、こんなところでお酒を飲み、糖尿病に悪そうなものを食べているのかも。しかし、こんなにもつらそうにお酒を飲む人、まずそうに物を食べる人をはじめて見た。3本目もいくかと見守っていたら、息子が練習が終わり「腹減った」と呼びに来た。デカルトは、「すべてのひとに良識は公平に分け与えられているもの」というけれど、その良識をデカルトのように「よく用いることが出来ない」のが人間というものでもある。

 日曜日はスキー場。息子2人とその友達を連れて行く。もちろん私は滑らずにレストランでお勉強。テーマは「児童福祉」。スキー場は混んでいてたくさんの家族が来ている。それぞれ微笑ましい光景がまわりでざわめいていた。そのざわめきの少し前、お昼前の空いている時間に、女の子の泣く声がした。幼児だろう。「子供ってよく泣いたな。今では泣きもしない」と懐かしく聞いていたら、なかなか泣きやまない。そうして、その泣いている女ん子の母親が私の座っているテーブルの端に腰掛け、女の子が追いかけてきた。そうして訴える。「お母さん許して、許して。私がお母さんの気持ちを考えなかった」と何度も言う。お母さんはただ窓の外を見ている。髪の長いきれいなひとだ。ときどき何か言っているようだけど、聞こえない。子供をなぐさめているわけではないようだ。女の子はいつまでも「許して、もうしないから」と言い続けているから。短い時間ならよくあることと思ったが、1時間近くその様子が続く。私だけではない、他のテーブルに座っている人たちもちらちら視線を向けているのがわかった。その時読んでいる本がそうだったので、家で虐待してないだろうか、と不安になってくる光景だった。だんだんレストランが混んできて、息子たちが「腹減った」と戻ってきた。まだしくしく泣いている女の子をひっぱってお母さんはどこかへ行ってしまった。それからも気になる気になる。ぜんぜん教科書が読み進まなかった。

 ざわめきの中の勉強は集中できるけれど、この間は隣の男女の別れ話に耳がダンボになり集中できなかった。そうして図書館で勉強すると眠くなる。コーヒーと適度のざわめきが欲しいのに、最近ドラマチックな人間模様が多くて勉強できない。という言い訳はやめてお勉強しなくては。

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2008年1月16日 (水)

熊が森を守る

 去年の熊の捕獲数が減ったとテレビのニュースでやっていた。去年の秋はドングリが豊作で、熊が里に下りてくる数が少なかったのではと解説していた。

 それを観ていた夫が「今まで捕獲し過ぎたのではないか」と言う。「でも、ほら捕獲しても麻酔銃でしょ。山に帰してあげているいるよ」と、ニュースの映像は熊を山に置いてくるところだった。「いや、けっこう殺しているよ」

 夫は「熊がいなくなったら、東北の山はおしまいだ」と言う。北東北にはイノシシはいないので、山で人間が恐いのは熊だけだ。その熊がいなくなったら、茸も山菜も取り放題で山に入って行くし、山は荒れるよということらしい。

 山の家は、まわりに熊がうろうろしている。庭にうんこをしていく熊もいる。それでもちゃんと気をつければ出会うことはない。遠くでは見かけるけれど。確かに歩くときに怖いこともある。ただの散歩なのに声を出して歩くとか、「私は今お散歩中だよ」と森の熊に合図しなくてはいけない。どっかで熊は見ているのかもしれない。

 熊がいなければ山が荒れる。「もののけ姫」を思い出した。熊は山の最後の守り神なのだ。私たちがいない山の家の庭ではかもしかが遊んでいるそうだ。

   米を食う熊のせつなさ雲になる

 ずいぶん前の句だが、熊が田んぼの米を食いに来たと話を聞いて作った句。どんぐりが不作なのは山奥で木を切っているからだ。山の家の奥の山も切られるだけ切った。けっこうやりたい放題だ。しかし、それで食べている人が村には多い。ドングリが不作ではなく、ブナや楢の木がなくなってきているといったほうがいいのかもしれない。

  http://www.geocities.jp/biodiversitynetniigata/topics/kuma-gensyou.htm

  http://scienceportal.jp/news/daily/0704/0704241.html

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2008年1月13日 (日)

呪縛

 読んではいないけれど、『話を聴かない男、地図を読めない男』という本があったが、私は地図が好きだ。道もすぐに覚える。夫は道を覚えない。町へ行く時、車の運転をしていても私に「どっちに曲がるんだ」と聞くので、私は「何回も通った道じゃない」とぶすっとしてけんかになることはたびたびだ。自分で運転したほうがいいと思うこともたびたびだ。

 夫が地図を読めないはずもない。冬山に登っていた人だ。ただ、私がわかっていること、興味のないことは覚えないのかもしれない。男と女が一緒にいれば、得意な方についつい依存してしまう場面は多い。それに、町でのどこに何があるかという勘は私の方が確かにあり、山の中での勘は夫にある。

 何を言いたいかというと、男と女で得意なことはあまりあてはまらないことも多いということだ。知り合いだった陶芸をする女性の家庭では、料理をするのはお勤め人の夫だった。お正月に遊びに来る時も、だんな特製の煮込み料理を持ってきた。なんて・・・うらやましいんだと思ったものだ。

 桐島洋子の『聡明な女は料理が上手い』という本も読んでいないが、息子たちに料理で女に騙されてはいけないと言ってある。「お母さんは男の子に、手作りのチョコとかお弁当を作ったことないよね」。「自慢じゃないけど、ありません。マフラーとかも」「何あげたの」「何もあげない。だからお父さんからも指輪ももらっていない」。自分の欲しいものは自分で買う。 それでも、私だって家事が下手なのはダメ人間だと落ち込むこともあるが、「どうせ聡明じゃないし、もう反省しても手遅れだし」と開き直る。それでも、良き主婦、母であるべきだという呪縛はなかなか抜けるものではなく難しい。

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死に方本

 荒俣宏監修の『知識人99人の死に方』を夫が貸してくれた。私が老後の見本としいている森茉莉の死に方も紹介されているからだ。その中で井伏鱒二が印象に残る。

 新友の太宰治がパピナール中毒で苦しんでいた時に、「僕の一生のお願いだから、どうか入院してくれ、命がなくなると、小説が書けなくなるぞ。怖ろしいことだぞ」と言ったというエピソードや90歳過ぎても「練習、練習」と原稿用紙に向かっていたという話など、井伏鱒二にはユーモラスさと真剣さが絡み合っている。

 そこで一句。  書くことはありがたきこと山椒魚

Book 知識人99人の死に方 (角川ソフィア文庫)

著者:荒俣 宏
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

夫に言わせると、この本は山田風太郎の本を真似したとかで、山田風太郎の『人間臨終図鑑』3巻(徳間文庫)も貸してくれる。目次は年齢別に死んだ人が集められている。二〇代で死んだ人では伊藤野枝と夏目雅子が並んでいた。百代で死んだ人の中には、107歳で死んだ彫刻家の平櫛田中もいる。結婚して最初に住んだのが玉川上水近くのアパートで、ほんの近くに平櫛田中の小さな記念館があった。そのときまでその彫刻家のことは知らなかったが、歌舞伎座ロビーに飾られている鏡獅子はよく目にしていたので、それから親しみをもった作家だ。あの辺はほんとうに良い場所だった。毎日のようにふたりで玉川上水を散歩した。今はふたりで散歩などしないなぁ。

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真冬日

 とうとう冬本番です。日中もマイナス気温。寝る前に水止めをしなくてはいけないどころか、洗面所は外に配管がむき出しになっているので、昼間も水止めをしています。

 朝食の後で、大根でも煮ようと廊下に置いてあった山の家の近所の人から頂いた大根を取りに行ったら、全部凍っていました。一応家の中です。入るだけ冷蔵庫に入れておけば良かったと後悔です。北国での冷蔵庫の役割は、マンガ『とりぱん』2巻の第37羽に書いてあります。といっても、最近の家は断熱もしっかりしていますから、家の中でマイナスになることもなく、水止めをする必要はないようです。次男が新築した友達の家にお泊まりへ行って、「家が暖かいんだよ。靴下はかなくてもいいんだ」と言っていました。床暖房とのことです。私は今3枚靴下はいています。すごく厚着しています。このまま友達の家へお茶飲みにいくと、1枚ずつ脱がなくてはいけなくなります。この間は失礼して、ズボン下をトイレで脱ぎました。よその家は暖かい。我が家は寒い。でも、「1か月の辛抱」を合言葉に乗り越えるのです。

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2008年1月12日 (土)

裁縫と、料理と

 長男が、冬休みに仕上げなくてはいけない家庭科の宿題のよさこい音頭?に着るはっぴを友達の家で午後いっぱいかかって仕上げたと話してくれた。その子の家にはミシンがあって、借りたそうだ。(うちにはミシンはない。)

 私にはまったく、そんな宿題があることもしらず、相談もなかった。無駄だと思ったのだろう。私は裁縫ができない。特にこの頃は、ボタンつけなどで仕方なく針を持つとめまいがする。

「針を持つと目がくらくらする。更年期かも。F商店の奥さんは更年期で電気製品に触れなくなったし、Mちゃんは夕食だけが作れなくなった」と夫に言うと、「めめさんの場合は、今に始まったことではないだろ」と言われた。

 思い起こせば、小学校ではじめて運針ということをやったとき、その下手な縫い目を見て隣の男子が「それでも女かよ」と言った。高校生の時は、家庭科が2だった。課題も出たが、自分でやったことがなかった。母が和裁も洋裁もプロ並みだった。私がもたもた針を動かしていると、イライラして「ちょっと貸して御覧なさい」と奪う。そうして全部やってくれるのだ。「さすが、お母さん」と私はこの時ばかりは持ち上げておしまい。夫は「そうやって、千葉のお母さんは子供をダメにしたのだな」と、納得する。

 その血を受け継いで長男も裁縫は苦手だが、友達に手伝ってもらいながらも縫い上げて、「こんなものを自分で作れるなんて」と感動していた。親がだめだと子供はできるようになるのかもしれない。私も裁縫にきちんと向き合えばできるようになったのかもしれない。しかし、今さら遅い、というか向き合う暇もない。

 家事が苦手でヘルパーさんの仕事ができるかというと、本当はだめですね。ある時、カーテンの裾のほつれの直しを頼まれたとき、きれいにできなくて、覗いてみていた利用者さんから「あなた何年、女やっているの」と言われた。あるヘルパーさんはズボンのすそ上げを頼まれたという。私にはできない。

 裁縫だけではない料理の失敗談も数多し。私は料理上手だと思っていた。食通で有名な陶芸家のもとで料理の基礎を習ったのだし、山の家ではお客に料理をふるまっていた。今年の年賀状にも「また、めめさんの手料理が食べたいです」と書いてあったし・・・。でも、本当の家庭料理は少し違うようだ。ちまちまとはどうも作れない。私が作っていたものとよその家庭料理はなんだか違うことがわかってきた。そんな私のために、料理教室をヘルパーさんで開いたこともあった。茶碗蒸しなど教えてもらった。

 それでも、私は料理にうるさいところに派遣はされない。健康観察とか、身体介護とか、簡単な料理のところへいく。ヘルパーさんというのはやはり料理が好きなんだと思える人が多い。いろいろ作って事務所に持ってきてくれる。私もこの間、ひさしぶりに「がん月」という蒸しパンを作っておやつに差し入れた。ベテランのヘルパーさんから「食べられたわよ」と言われた。んーまだまだということか。そういうわけで、ヘルパーという仕事が女だからできるわけではありません。利用者さんに合わせて何でも作ってしまう魔法の手を持っている人たちがいるのだ。

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介護職の賃金引き上げ?

 民主党が、介護職の賃金引き上げのための法案を衆院に出したそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080110-00000000-cbn-soci

 通るかどうかはわからない。通ったら本当に賃金が上がるのかどうかもわからない。

 昼食後、新聞に入っていた折込広告の派遣の募集記事を見ていた。正看護師とケア・マネージャーが時給1500円、介護福祉士は時給1050円などが書いてある。これは東北相場なのか。看護士安くないかと思う。看護士も派遣が増えているのだろうか。

 賃金が上がるのうれしいことかもしれないが、あまり喜ぶ気持ちになれない。なぜだろう。記事でも「これは緊急措置で、介護保険の抜本的見直しはしていかなくてはいけない」と言っている。少しの賃金引き上げは、いつもの政治的対処療法でしかないように思う。介護保険の見直しだけでなく、この国が福祉国家としてやっていく気があるのかどうか、問い直さないといけないのではないだろうか。人手不足だから賃金を上げようということらしいが、何も保障もなく1,2万給料が上がっても良い人材が殺到するようにも思えない。なんだか、こんなことでごまかさないで欲しいという感じがするのだ。

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2008年1月10日 (木)

学ぶこと

 子どもたちは、まだ冬休みですが、大学は8日から始まりました。初日から「t分布と母平均の推定」です。ミニテストもありました。「t分布」なんて何のことやらと思っていましたが、段階を踏んでいけばわかるのです。ミニテストもどうにかクリア。教科書をはじめて見たときに「こんなことわかるのかな」と思いましたが、それがわかる。それは身もだえするほど、けっこう面白い。もう一度生まれ変わったら、理科系の道に進みたいと思う今日この頃です。

 正月にヘルパーの仕事で久しぶりに会う利用者さんは、私に会えて喜んでくれました。「大学はどう」と聞いてくれます。利用者さんの中には私を待っていてくれる人もいて、「なぜ、めめさんが来ないんだ」と主任に言うので、主任が「大学で勉強している」と話していたそうです。高齢者は教育を受けるということをありがたいことだと思っていますから、大学へ行っていることを感心してくれます。90歳から見れば私なんてまだまだこれからに見えますから、大いに励ましてくれます。

 でもね。冬休みには少し後ろ向きになっていました。大学へ行く理由は、「いろいろ資格を取る」というのが対外的な理由です。その方が理解がしやすいからです。本当は、社会福祉士や精神保健福祉士を取ることが目的に入ったわけではありません。ではなんで。単に学びたいから。しかし、この歳で社会人学生しているのは恥ずかしくなるときもあります。みんな働いているのにこんなことしてていいのか。大学へ行かないで、親の介護をし、働いて子供にスキーをやらせたり、塾に行かせたりした方がいいのではないか。畑でもやって食べる物を作っていたほうが家族のためじゃないか。私が世界平和のために役に立つわけでもないし・・・。ぐちぐちと思うことも多々あります。

 そうしてどうやってまた自分に言い訳を言うかというと、「やり始めたんだから、やるしかない」です。大いなる暇つぶしかもしれませんが、勉強が趣味ですからとごめんなさい、という感じです。本当に大きな時間つぶしです。

 でも、自分の中に物がたまっていくのは面白いです。山の家での素敵な生活と焼き物の道具一式捨てて町に出たのは、物に囲まれる生活に嫌気がさしたからです。「素敵な田舎生活をしている」と見られたため雑誌や新聞の取材も受けました。テレビ取材もお願いされたけれど、断りました。夫が田舎に移住するときに、ある作家の人に「田舎の文化人になるなよ」と言われたとか。でも、実際Ⅰターンで田舎に住み、自由業なんて目立ちました。なんだか、そういうの嫌になったのです。町に住むと私たちが何をしているか誰も気にしません。誰も取材にもきません。焼き物仲間がニュータウンの古い普通の家に遊びに来た時、同情するような表情で家を見渡しました。きっと、落ちぶれたとか思われるかもしれません。飾らない本しかない家。山の家で人に褒められた大きな一枚板のテーブルも骨董の器もないし、絵も花もかざっていない。安物の世界です。もちろん器の良さは知っています。山の家へ置いてきました。大切にしまっています。でも、100円ショップの食器でも十分だという思いもあります。

 大学のバイトでエクセルの表を作っています。私も夫もパソコンはワードしか使っていませんでした。大学でホームページ作成やエクセルを習い、それがバイトで即使えてありがたいです。夫に「エクセルって頭いいんだよ」と教えます。本当にね。人間覚えることってすごいねとエクセルで感心しています。世の中頭のいい人がいっぱいいるんだね。

 学ぶっていうのは、この体一本で生きていけるようにすることだと思います。役に立つか、お金になるかはわかりませんが、余計なものは持たなくても楽しんで行けるのかもしれません。しかし、大学っていうのが大いなる時間とお金のかかる暇つぶしであることは言い訳できませんが、確かに恵まれているだけですが、大学が逃避なのかもしれませんが、今はやるしかないと思っています。実はこれは私が後ろ向きになると夫に言われる言葉です。「でも、やるしかないだろ」。

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2008年1月 4日 (金)

正月つぶし

 ★ 年末年始に読んだ本

   

小説尾形亀之助―窮死詩人伝 小説尾形亀之助―窮死詩人伝

著者:正津 勉
販売元:河出書房新社
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 尾形亀之助の名は、愛する辻まことの著作によく出てくるので知っていたが、詩を読むことがなかった。辻まことが中国の戦地に唯一持って行った本が、尾形亀之助の詩集。自分が兵隊ではなく盗賊の仲間であったと気がついた辻まことが正気を保つために読んだ詩人は、なんと情けない男だった。その情けなさが救いなのがわかるような気がした。

 注) 辻まこと 伊藤野枝と辻潤の長男。画家でイラストレイター、詩人。また、登山、山スキーのアウトドア派と知られる。

 ★正月に観た映画

カポーティ コレクターズ・エディション DVD カポーティ コレクターズ・エディション

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売日:2007/11/28
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 『冷血』を読んでいないので、春休みに読みたい本のリストに入れた。お正月に見るべきテレビがないので、家族でレンタル屋へ行きDVDを借りてくる。息子たちが借りたのは『ダイハード4』やアクション系が多かった。夫は『七人の侍』ほか時代劇。「お母さん、何借りたの?」「一家4人を殺して死刑になった男の話を書く作家の話」と言ったら、「正月から暗いね」と言われた。あなたたちのDVDだって、たくさん人が死ぬのばかりじゃない。

 ★正月に聞いていたCD

Feels Like Home Music Feels Like Home

アーティスト:Norah Jones
販売元:EMI
発売日:2004/02/10
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 女性の声が聴きたくて、家族が山の家へ行った後、音量をあげて聴いている。

 ☆★☆★☆★☆★

 だいぶやるべきことが進んだので、今夜のお楽しみはドラマ『のだめカンタービレ』。さっき、山の家から電話があり「昨夜はおんちゃんたちと盛り上がった」そうだ。「来年は丑年だからみんなで大宴会するべし」と言っていたとか。そうだった来年は年女ではないか。忘れていた。年女って何歳になるのだ。隣のおんちゃんも丑年。夫も次男も義母も丑年。「べこ仲間」なのだ。「べこは人当たりが良さそうで、ごんぼほり(強情)だ」とおんちゃんは言っていた。

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2008年1月 3日 (木)

やめること

 昨日は息子たちを連れて初スキーに行ってきました。といっても私はレストランで本を読んでいたのですが、スキーはいいな。スキーに連れて行くのは母の役目です。

 小学生の間、長男はスキークラブに入っていました。だから、土日ともなると朝早くから練習に送って行きます。大会ともなると暗いうちから家を出ます。それをこの冬やらなくていいのはうれしいです。というか、親が忙しくてもうこれ以上出来ないというのが、息子がクラブをやめた理由の1つです。あと、お金がとてもかかること。楽しみでやるとしてもお金がかかるのに、レースとなると道具が高い! レース用のスーツなど衣装も高い! 回転と大回転では板を変えるなど、一人が大会用や練習用の板を持っている。息子は1本の板で全部こなしていました。着るものもお下がりだったりします。それでも、なぜか大会で1位など取ったこともあるので、親もできることはしてあげたいと思っていましたが、中学になれば道具が勝負のスキーの世界です。たぶん金銭的に我が家には無理です。それを息子と話し合ってレースはやめることにしました。

 スキーは趣味で続けることにしました。夢はカナダやスイスの山を滑ることだそうです。そういう山スキーをしている知人の影響だと思います。「自分で稼いで自分で行ってください」とお願いしました。昨日も帰りの車で、「すげー楽しかった。早く働いてカナダ行きてぇー」と叫んでいました。息子にスキーをやらせていた理由は、スキーの時はすごくいい顔になるのです。自信があるからでしょう。他は、あまり目立たない普通の子です。

 スキークラブに入ってる子は、親がスキーが好きで上手です。親がコーチをしています。しかし、うちは夫はスキーは歩くスキーしかしません。私は、保育園の子供たちを雪山に放しておけないだろうと、一生懸命スキーを覚えましたが、彼らについて行けるはずもなく、最初から雪山に一人置いてきぼりでした。息子がスキーを始めたのもいろいろな人の出会いと指導があったからです。その方々や「また、きたね」と声をかけてくれるリフトのおばさんや食堂の人たち。お下がりをくれた人、本当に感謝です。スキーのレースをやめたこと、やめさせたこと、心に重かったけれど、まあこれだけの技術がついたのだから、あとは自分でやってくれと思うことができるようになりました。

 さて、今日は初仕事が朝からあります。そうして夫と子供たち、犬は山の家へ出発します。私は年末に夫の実家へ行ったため仕事をずっとキャンセルしてしまったつぐないに仕事にでます。それに冬休みに入ってから、台所に立ちっぱなしです。料理、料理、料理。山の家へ行けば、お客が来ます。夜も飲みに来る人もいます。だから、私は休まらないし、今度は私が義母のように「ごはん作るの嫌だ!」とヒステリーになると困ると思って夫が、「仕事終わっても来なくていいよ」と言ってくれました。雪の山の家へ行きたいのはやまやまです。近所の人と飲むのも好きです。でも、来週大学がはじまるではないか。レポートも書いていない。そのための本もやっとスキー場で読み始めました。時間がありません。ひとりにしてしてもらってありがたいのです。

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2008年1月 2日 (水)

人身売買問題

 人身売買問題について高校生が書いたいい論文があったので紹介します。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/kyomu/koudai/kikaku/kensho04/kensho_j/2002/ronbun07.html

 

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それが問題よ

 義父を盛岡に連れてきたとき、「おばあちゃん、具合悪いからゆっくり休ましてあげるの」と説明しました。「かあさん、入院するのか」と聞きます。やっぱりお義母さんのこと心配しているのね、と思ったら、「おれのごはんは誰が作るんだ」と聞きました。「入院はしないけど、疲れているの。家事を休みたいの」と言ったら、「ごはんを作るのがかあさんの仕事だろ」と不思議そうに言います。心の中で「女はごはん作るために生きているんじゃないのよ」と思ったけれど、85歳の人に言っても仕方ありません。でも、かあさんがとうさんに食べさせられなかったら、子供たち(主に嫁とか娘)が食べさせる。それができないと、ヘルパーさん、そして食事つきの施設というように、食べること、清潔に暮らすことを女から女へ、家庭から社会へと転嫁していく。義父と会話していて、生活ということをどうやって組み立てていくか、老いに向かう前に考えておかないといけないと思った。まだまだ台所に立てると思っても、立てなくなる日が来るのだ。

 それから、介護サービスやデイ・サービスの話をする。介護保険を払っていることも。義父は、「それらは、役所がやれと言ってきてくれるのか」と聞く。「役所は言わないの。自分で申請しなくてはいけないの」「お願いに行かなくては何もやってはくれないの」「どうすればいいんだ」「私が全部やるから」などという会話も何回も繰り返したが、「おじいちゃん、なかなかいい質問なのよ。今福祉は、措置制度から自分がサービスを選ぶ時代になったの。ケアプランだって専門家ではなく家族が作ってもいいの。だから、知らない人は損をするのよ」と私がほめる。ここのところが高齢者にはよくわからないから説明する。では申請してくれる人がいないと、そのお年寄りはなんのサービスもないのか、とも聞かれた。どうなんだろうね。民生委員さんとか訪ねるとか、生活保護の人なら役所の人がアドバイスしてくれるとは思うけど、利用できないまま孤立している人がいるかもしれないね。介護保険もすごく上手に利用している人と利用できない人とにわかれているのだと思う。お金は一律取られているのだけどね。

「でも、そうやって人に頼めばお金がかかるだろう」「だから、介護保険払っているから大丈夫よ」 でも、夫の実家はだまされてお金がない状態だ。介護サービスを頼むにしても1割負担をすることが義母はわかっていて、「そんなお金は出せない」という。なので夫が負担してあげるということになった。利用者さんの中にもお金持ちと国民年金できつきつで暮らしている人、いろいろな人がいる。お金がある人は、毎日ヘルパーに来てもらっても請求書を見て「安いわね」と言う。お金がない人は、デイサービスを2回行っていたのを1回にしたり、ヘルパーは週1回にする。同じ介護度であっても個人の経済状態によってサービスに差が出てくる。それが自己責任というものなのか。それでいいのだろうか。

 認知症の義父に何度も説明しながら、だんだん矛盾点が見えてきたりする。「それが問題なのよ」。生活を誰がみるのかとか、介護保険とはとか、義父とぼけた会話をしながら、なかなか私たちは介護の核心点を話しているのだなと思っていた。

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元旦

Img_1383_2  年末年始は荒れるという予報だったけど、夜のうちに雪が降り、昼間は晴れわたる。

 どこにも行かないで盛岡にいる。家族でダム湖へ散歩。歩いている人など誰もいなかった。

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2008年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます!

 あけましておめでとうございます。気分を変えて春のイメージに衣替えです。少し早いですか。外は雪です。でも、冬至が過ぎると気分は春です。一昨日、いつも5時に夕食を作りに行く利用者さんの家についたら、薄明るいことに気がつきました。このところ5時だと暗かったのです。日脚が伸びたことは正月頃に感じられます。日が伸びるのはとてもうれしいです。

 さて、あまり書き込みもできないブログですが、訪問していただきありがとうございます。今年はどんな年になるのでしょうか。インターネットを開けば、ケニアでも暴動が起きて100人以上の人が死亡したという記事が飛び込んできます。ケニアは、私が初めて行った外国の国です。キクユ族のガイドさんに嫁に来いと言われました。(すでに彼には2人の妻がいましたが。)彼らは元気に暮らしているかしら。パキスタンの地震の時、パキスタンの知り合いの救援活動の募金に次男が全財産1万円を募金しました。魂胆は、パキスタンの彼の実家はとてもいいところで、いつか連れて行きたいと言われたからです。息子は「いつパキスタンに連れて行ってくれるだろう」と言うので、ニュースを見ながら「当分無理だね」と答えます。

 毎日、海外で何十人、何百人死んだというニュースに麻痺します。もし国内で起こったら大変なことでしょう。もちろん日本国内も問題はたくさんあるのだけれど、世界の平和ということを考えたい。私が考えてどうにもならないだろうけど、東北の片隅で祈るような気持です。正当な生き方ができますように。

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