« 熊が森を守る | トップページ | 大雪 »

2008年1月22日 (火)

気になる人

 何だか身辺忙しくしていたら、今週から試験がはじまります。もう諦めたい気分です。今回はやる気が出ない。困ったことだ。暗記しなくてはいけないことが多すぎて中年にはつらい。

 土日は久しぶりに子どもサービス。といっても、土曜日は長男のテニスの送迎。冬場は遠い所にある屋内テニス場を借りて部活をする。いつもはコーチやお友達の車で行っていたのだが、私が息子と友達を連れて行くことにした。体育館がある施設には暖かいラウンジがあるというので、そこで待っている3時間勉強することにした。デカルトの『方法序説』をまとめないといけないのに逃げまくっていた。家だと逃げる口実が多いので、そういうときはなぜか喫茶店など、コーヒーとざわめきがあるところのほうが集中できる。

 コーヒーとお菓子を置いて集中して書きまくっていたら、隣に初老の男性がテーブルについた。テーブルに買ってきた牛丼弁当とお惣菜を置く。もう一つのビニールにカップ酒が何本か入っている。嫌な予感がした。ところがその男性おもむろにズボンを下げる。そうして腹に注射のようなものをする。インシュリンの注射かしら。糖尿病なのかしら。ズボンをあげ、溜息をつくとカップ酒を手に取る。でも、手が震えている。手の震えで口までカップ酒を持って行くのが大変だ。唇にカップが触れたとき、カップからお酒が滴り落ちる。そんなふうにつらそうに飲んで、まず1本空けてしまった。それから弁当を食べる。手が震えて箸がよく持てない。次に2本目のカップ酒。よほど、「あまり飲まないほうがいのでは」と止めたかったけれど、こういう場合、他人がどうのこうの言えない。アル中でもあるかも。家で飲めないので、こんなところでお酒を飲み、糖尿病に悪そうなものを食べているのかも。しかし、こんなにもつらそうにお酒を飲む人、まずそうに物を食べる人をはじめて見た。3本目もいくかと見守っていたら、息子が練習が終わり「腹減った」と呼びに来た。デカルトは、「すべてのひとに良識は公平に分け与えられているもの」というけれど、その良識をデカルトのように「よく用いることが出来ない」のが人間というものでもある。

 日曜日はスキー場。息子2人とその友達を連れて行く。もちろん私は滑らずにレストランでお勉強。テーマは「児童福祉」。スキー場は混んでいてたくさんの家族が来ている。それぞれ微笑ましい光景がまわりでざわめいていた。そのざわめきの少し前、お昼前の空いている時間に、女の子の泣く声がした。幼児だろう。「子供ってよく泣いたな。今では泣きもしない」と懐かしく聞いていたら、なかなか泣きやまない。そうして、その泣いている女ん子の母親が私の座っているテーブルの端に腰掛け、女の子が追いかけてきた。そうして訴える。「お母さん許して、許して。私がお母さんの気持ちを考えなかった」と何度も言う。お母さんはただ窓の外を見ている。髪の長いきれいなひとだ。ときどき何か言っているようだけど、聞こえない。子供をなぐさめているわけではないようだ。女の子はいつまでも「許して、もうしないから」と言い続けているから。短い時間ならよくあることと思ったが、1時間近くその様子が続く。私だけではない、他のテーブルに座っている人たちもちらちら視線を向けているのがわかった。その時読んでいる本がそうだったので、家で虐待してないだろうか、と不安になってくる光景だった。だんだんレストランが混んできて、息子たちが「腹減った」と戻ってきた。まだしくしく泣いている女の子をひっぱってお母さんはどこかへ行ってしまった。それからも気になる気になる。ぜんぜん教科書が読み進まなかった。

 ざわめきの中の勉強は集中できるけれど、この間は隣の男女の別れ話に耳がダンボになり集中できなかった。そうして図書館で勉強すると眠くなる。コーヒーと適度のざわめきが欲しいのに、最近ドラマチックな人間模様が多くて勉強できない。という言い訳はやめてお勉強しなくては。

|

« 熊が森を守る | トップページ | 大雪 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 熊が森を守る | トップページ | 大雪 »