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2008年2月の投稿

2008年2月28日 (木)

小林カツ代

小林カツ代のおべんとう決まった! 小林カツ代のおべんとう決まった!

著者:小林 カツ代
販売元:講談社
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 中学に入った息子のおべんとうを作り続けて1年。どうにか手早く作れるようになってきた。だいたいが毎週同じことの繰り返し。ご飯とパンを交互にして、ご飯はの時は前の夜の残りものと何か入れるか親子どんぶりなどのどんぶり弁当になる。

 おべんとう作りの本はたくさんあるが、好きなのは小林カツ代の本。彼女のお弁当作りのポリシーが気に入っている。

「お弁当に果物を入れるのは反対」 昔からお弁当の中の果物が苦手だった。りんごとか持たせたいときは、別容器に入れる。息子は丸ごとでいいと言うので丸ごと持たせる時もある。

「飾りおかずは使わない」 こう言っていただけるとありがたい。私には、りんごのウサギも作れないし、たこウィンナーさえ失敗してやめた。どうせ食べるものをキャラクター弁当にする意味も見出せないし、息子が喜ぶはずもなく実質あるのみが好き。

「アルミカップはやたら使わない」 お弁当からごみが出ないようにと気をつける。よく買ったお弁当に入っている緑のキザキザ(何なんだろう)は嫌いなもののひとつ。ラップやアルミホイルもなるべく使わず、せめて紙ナプキンで包む。おにぎりは竹の籠に竹の皮を敷いて入れる。竹の皮は洗えば何回も使える。

「アクセサリー野菜は使わない」 たしかに見栄えを良くするためにレタスを最初に入れたこともあったが、昼にはシナ~ッとして気持ち悪い。必ず弁当箱の底に残している。気持悪いものは食べないよね。使うときはブロッコリーとかパセリなどのしんなりしないものにする。そうすると食べてくる。

 私のお弁当が小林カツ代のお弁当に到達するはずもないが、本を見てはお弁当作りのやる気を高めるのである。でも、忙しい時はもちろん手抜き弁当。御飯に冷凍の吉野家の牛丼をかけただけと野菜代わりにりんご1個などということもあるけれど、息子はその方が喜んだりする。

 ちなみに昨日のお弁当は、お稲荷さん、ほうれん草入りたまごやき、ごぼうのきんぴら。「あれ、緑が少し見えるけど全体が茶色のお弁当じゃない」。赤い色が欲しい。そこで息子があまり食べない赤カブの漬物を一切れのせた。これはただ見栄えを気にしてのことで、案の定息子は赤カブだけ残してきた。「赤カブは必要ないことだったかな、きんぴらに人参入れれば良かった」と、もったいないから弁当箱の赤カブを手でつまんで口に入れながら反省した。

 さて、今日は午前授業でお弁当がないそうだ。それはそれで昼は何しようかと考えないないといけない。まったく主婦というのは1日食べることばかり考えている。

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2008年2月27日 (水)

インドネシアから介護の担い手

 日本とインドネシアが経済連携協定(EPA)というものに合意してインドネシアから看護師や介護士の候補生として来日するらしい。http://www.asahi.com/health/news/TKY200802100149.html

 理由は介護の人材不足であるが、人材はまだまだあると思う。掘り起こさなくてもある。ヘルパーの資格を持っていて仕事をしていない主婦も多い。人並みの生活ができるくらい賃金が上がり、失業保険、健康保険、年金などの保障があれば希望者は多いだろう。それが望めないから、「まだレジを打っていたほうがお金になる」と人材は流れる。

 介護者の賃金をおさえたままでインドネシアの人を受け入れるというのはどういうことか。どう考えても安い人材を求めてのことでしかないような気がしている。

 しかし、インドネシアの人たちは高給を望んでいる。新聞では「日本へ行くなら手取りで月2千ドル以上もらいたい」と言うインドネシア人の言葉が載っていた。円にして21万円以上の手取りである。日本人さえ正職員以外は無理な金額だ。

 それに日本で生活するにはお金がかかる。宿舎や食費を無料で日本政府は提供してくれるのだろうか。インドネシアの人は仕送りが目的だろうから、手元にはわずかなお金しか残らなくて、文化的で健康的な生活ができるだろうか。福祉ではお金にならないと、他の業種に移動して不法滞在とならないだろうか。

 インドネシアの人だけを待遇良くしたら(それはないだろうが)、日本人の介護職離れは進むし、インドネシアの人を安く使えば日本の介護職の賃金は上がらない。安い人材は外から連れてくればいいからだ。そうして、その仕事を政府が責任を持ってやるのではなく人材派遣の会社が間に入ることになる。その会社は儲けることを考えるのが当たり前で、いつか問題が起こるのは目に見えている。

 また、日本語は難しい。日本の国家試験に研修期限内に合格できるだろうか。合格できなければ帰国させるとなると、資格を持たないインドネシア人を研修という名目で安く使うのではないかと疑いをもつ。

 インドネシアの人たちが日本に入ってくるのを反対という訳ではない。一緒に気持ち良く働ければいいのだが、日本人にも条件が悪くて敬遠されている仕事を安く押し付けるのではないかと心配なだけだ。よく「日本のお金は向こうでは何倍もの価値ががある」などというけれど、今はグローバル化の時代ではなかったか。インドネシアの人だって先進国の人がいくら稼ぐか敏感になる。お金の価値も差が小さくなっているのではないかと思う。簡単に日本人が時給800円なら外国人は最低賃金ぎりぎりでも喜ぶと考えたら間違いだ。でも、他の研修外国人は最低賃金さえもらえない時給200円とかで働かせられた例もあると聞くと、どんな扱いをされるのか心配だ。

 でもこれは、看護や介護にたずさわる福祉関係の人たちのお話ではない。介護を社会化していくのなら、国民が本当に考えないといけないことだ。誰でも最後はぴんぴんころりと死ねるわけではないのだから。

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2008年2月26日 (火)

耳をすませば

耳をすませば DVD 耳をすませば

販売元:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
発売日:2002/05/24
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 先週、テレビでジブリ映画『耳をすませば』を息子たちと観た。「なつかしいね」と話す。山の家ではテレビが映らなかったから、図書館からビデオを借りて見ていた。長男は低学年で次男は保育園だった。でも、内容はふたりともけっこう覚えている。ところどころの細かい場面、たとえばドアーフのぜんまい仕掛けの時計の話など忘れている場面も多かったが、主人公たちと同じ中学生になった息子はどんな思いで観ているのだろう。「かっこよすぎるよね」とは言いあったが、そろそろこんな恋でもしているといいのにね。

 私がこの映画をよく覚えているのは、なつかしい東京の京王線沿線の風景、聖蹟桜ヶ丘あたりを思い出すからだ。それから、主人公の家族。お母さんは大学院生か何かをしていて、お父さんは図書館に勤めている。住んでいるのは多摩の団地だ。山の家でこの映画を観たとき、立派な山の家があるのに、本だらけの団地の生活に戻りたいと憧れたのだった。

 そういえば、村の子供たちが修学旅行の感想作文には、「東京は人の住むところではないと思いました。あらためて村の自然の豊かさを感じました」と必ず書かれ、何かの会の時に発表される。その頃の私は「人の住むような場所でないゴミゴミした町」が恋しくてホーム・シックで、そんなおきまりの子供の作文に、「東京にも人の暮らしがあるのよ」とムカついていた。でも結局、そんな作文を書いて村の年寄りを喜ばしていた子供も村を出て、東京やら盛岡へ散らばってしまった。それはそれでどうなるのだろうかと心配で、山の家のある村は、いつでも気がかりだ。

 『耳をすませば』は、私に戻れない土地へのホーム・シックを募らせる映画である。

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それからスープのことばかり考えて暮らした

それからはスープのことばかり考えて暮らした Book それからはスープのことばかり考えて暮らした

著者:吉田 篤弘
販売元:暮しの手帖社
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 一応主婦だから台所に立つ時間が多い。でも、台所って「待ち時間」も多い。私の料理はたいてい煮込み料理だからかもしれないが、途中で味をみたり、煮込み過ぎたりしないようにそばにいないといけない。自分の部屋になど行ってしまうと、料理していたことを忘れて鍋を焦がし続けた経験から鍋から離れては駄目なのだ。

 でも、待っている間が手持ちぶさただったりする。だから、台所には軽く読める読みものや英語の単語ノートを置いておく。読まなくてはいけない本は、机の周りにどんどん積み上がっていくのに、そういう本はメモしたり、付箋を張ったりで忙しいので台所では読めない。台所で読むべき本というのを図書館で探すのはけっこう時間がかかる雑事でもある。

 この本は近所の図書館で目にとまった。「暮らしの手帳社」から出ている。前は『暮らしの手帳』を手にすることはなかったが、去年から愛読者になった。なぜなら、大学の図書館にこの雑誌があって、専門書に飽きたときに読むのにちょうどよく。隅から隅まで読んでいる。

 この本には、サンドイッチとスープが出てくる。主役は食べ物。台所で読む本には最適だ。こういう本を読んで、料理へのモチベーションをあげて質を保つよう努力しているというわけだ。

 私も毎日「スープのことばかり考えて」いるのだ。寒いから温かい食べ物が欲しい。長男はスープがないとがっかりする。もちろん味噌汁もスープのうちだが、味噌汁だってどんな味噌汁にするのかが問題だ。息子たちはスープに入れればどんな野菜(セロリとか)でも食べるので、スープがメインとなるような具だくさんスープを作ることが多い。

 ちなみに今日の夕食は、「タラとほうれん草のスープ」の予定。本当は菜の花にしたいのだが、冷蔵庫にほうれん草があるので代役してもらう。

 今回はサンドイッチに意欲がわく本だった。息子のお弁当はパンが多い。ホットサンドやナン、マフィン、ホットドック。私がパンが好きで、大学で忙しい合間に食べるのにちょうどいいから自分のためにも作っているからでもある。この間は、ライ麦パンで具だくさんサンドイッチを持たせたら、友達が「豪華」と言ってくれたそうだ。それは、たぶんサンドイッチを素朴なナプキンでひとつひとつ包み、竹の籠に入れたりするため、見栄えがいいからだと思う。内容はただのレタスとハムとか卵でしかない。でも、この本を読んだら、もう少しサンドイッチの内容も深めてみたい気になってきた。

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ライラの冒険

黄金の羅針盤〈上〉薀ぅ蕕遼糎 title= Book 黄金の羅針盤〈上〉薀ぅ蕕遼糎/strong>

著者:フィリップ プルマン
販売元:新潮社
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 日曜日は安比へスキーに行く予定だったが、吹雪になりそうだったので、出かけるのをやめたが、期末試験を終えた息子はどこかへ出かけたそうである。そこで、映画に行くことにする。ちょうど『ライラの冒険・黄金の羅針盤』の先行上映があるから観たいと言う。息子たちは、そのファンタジーをすでに読んでいるそうだ。私はタイトルも知らなかった。

 いつものように、息子たちが映画を見ている間、他の映画を観るか、読書しようかと調べていたら、『ライラの冒険』にニコール・キッドマンが出ていることを知って、一緒に観ることにする。

 長男が、「お母さんと映画観るの久しぶりだね」と喜んでくれる。まだ母と一緒に映画を観たいのかと、こちらが驚く。というか、映画を一緒に観てくれるなんて息子ぐらいだわ。そういえば夫とも映画は行ったことない。東京にいるときは、夫は舞台が好きで演劇とかライブは行ったものだった。私は映画が好きで、結婚したての頃は喧嘩するとアパートを出て、映画がのはしごをして家に帰らなかった。狭いアパートの中、ふたりが同じ部屋でワープロを打っていたから、息が詰まると私が出て行ったのだ。そんなことを思い出したりする。池袋の文芸坐とかなつかしい。オール・ナイト上映なんていうのも観ていた。

 『ライラの冒険』はどうかというと、それなりに面白かったが、原作読んでいないせいか分かりずらいことが多い。あまりに唐突な展開が多いと思う。しかし、まだ観ていない人も多いので、とやかく言いうのはやめよう。ついつい『ロード・オブ・ザ・リング』と比べてしまうが、子供たちはそれなりに楽しんだようだ。しかし、本のほうはまだまだ続くそうだ。この映画の後、ライラがどうなり、ニコール・キッドマン扮する夫人はどうするなどの物語を次男が帰りの車で聞かせてくれたので、続編は観なくてもいいかもしれない。

 映画観て、お昼食べて、「ジュンク堂」でついつい本を買った。買わないと思っていたのだが、欲しい本がそろっている。3人とも本を買ってお財布が空になってしまった。「駐車代残っているだろうか」と心配したら、映画と本屋の駐車サービスで無料だったのでほっとした。まったく安比で散財するぐらい使ってしまったじゃない。でも、なぜかお金を使いたい日というのがあるのだと思う。

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2008年2月24日 (日)

参観日に思ったこと

 先日、小学校の参観日に行って来た。前はいろいろ役員やボランティアをして学校に上がり込んでいたが、久しぶりの小学校がなつかしい。

 授業は、総合で勉強してきた「バリアフリー」の発表。盲導犬は、盛岡には6匹しかいなく、そのうち3匹はこのニュータウンにいる、というのも知りました。だからですね。バスの中でもよく見かけます。スーパーの入口で待っている盲導犬に「いい子だね」と話しかけていたら、年上の女性の方から、「盲導犬はね。仕事中だから構っちゃいけないんだよ」と注意されました。今回も、周りの人が盲導犬とどう接するかという発表もありました。

 それだけでなく、ヘルパーの仕事やアクセス法の話、アメリカのバリフリーの話まであって勉強になりました。

 小学4年生。まだ素直できらきらしている年頃なのか。なんだか子供たちが生き生きしている。子供らしい子どもたち。それに、先生がいい先生で2年間担任していただいたが、何の心配もなくお任せ状態だった。懇談会では、「来年もぜひ先生が担任で」(クラス変わるし無理)、「私が先生の生徒になりたかった。娘がうらやましい」などというお母さんたちの発言が続きました。

 去年、息子に「総合の授業で何をやっているのか」聞いたら、「アンケートを作って、みんなに答えてもらって、集計にして、グラフ作って、発表するの」と教えてくれました。今は、アンケートをパソコンで作って印刷して渡したところだと言います。「まさか、エクセルでグラフ作ったりするんじゃないよね」。「グラフは手書きだと思う」ということでしたが、その時の大学のコンピュータの授業の内容が、アンケートを作り、マックでデータベースを作り、エクセルの表にして、いろいろな統計結果を出し、グラフも作り、パワーポイントで発表するというものだった。小学4年生と同じ過程をやっているのね。少し高度ではあるけれど。

 日々、教育問題には頭をひねることが多いが、子供たちは学びたがっているというのが参観日の様子で伝わってくる。先週、大学でドキュメント映画『100人の子供たちが列車を待っている』(チリ、1988年、ベアトリス・ゴンザレス監督)を観ました。チリの映画など観たことのない貧しい子どもたちに映画の歴史や映画の作り方を教えて、自分たちでも作ってみる。そうして最後にバスに乗って映画館へ出発する。映画って、こんなにも手作りなものだったんだと思えるドキュメントでした。そのときの子供たちの真剣さは、ついつい豊かな日本には失われているものだという批評をしてしまいがちになりますが、貧しくても豊かでも子供たちの好奇心、学びたいという気持ち、外の世界を知りたい気持ちは、あのチリの子供たちもここにいる子供たちも変わらないと思った参観日でした。その子供たちの意欲を外に引き出すには、先生の力が必要なんだなと思いました。映画でもひとりの女性教師の熱意がたんたんと伝わってきました。 ただ、正直言って先生のあたりはずれが大きいのが日本の現状です。帰り道「5年生の先生誰になるかしら」とお母さんたちは心配していました。

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2008年2月22日 (金)

故郷を想う

 義母の九州の話で書きたくなった。ヘルパーで訪問する利用者さんの中にも、流れ流れて岩手に住んでいる方が何人かいらっしゃる。90歳も後半なのに元気で一人暮らしの利用者さんは、よく南の故郷の話をしては涙する。でも、ヘルパーステーションで、他のヘルパーさんが「20歳で岩手に来たら、岩手の暮らしの方が長いじゃない」と少しも同情的ではなかった。私は何も言わなかったけど、たぶん幾つになっても、岩手が好きでも故卿はなつかしいもので、美化されていくのかもしれない。私もときどき、ホームシックになるもの。たぶん、これからいくつになっても千葉や東京が恋しくなるだろう。でも、それをあまり岩手では言わない方がいいのだなと思った。

 義母も魚だけでなく、椎茸も九州のものが美味しいと言って親戚から送ってもらう。「岩手も椎茸の産地なのですが」と思うのだが、義母が岩手の物やお金を九州の親戚に送って、九州から何かを送ってもらうのは、九州の親戚との縁が切れないようにするためのかもしれない。それもあるが、九州の味、関西の味がなつかしいのだろう。孫たちに「これは九州の椎茸だよ。ここらへんのものとは違うでしょ」と食べさせようとするが、孫たちは椎茸をあまり食べない。なぜなら、山の家に住んでいた時、村中が椎茸栽培をしていたので、たくさんもらえた。子供たちに、春と秋には椎茸ばかり食べさせていたからかもしれない。違いのわからない孫たちだ。

 それはともかく、故郷は忘れられないものだ。私は、千葉より岩手のほうが好きである。山が好きだからだ。千葉には高い山がない。雪の岩手山を見るたびにいい所だと思う。でも、雪景色は好きだけど寒さには慣れない。特に春に入ってから鬱っぽくなる。ニュースでは花見の様子が映し出される。千鳥ヶ淵は職場で花見をする場所だった。そうして、その頃私の誕生日である。花の中で誕生日は祝われるものであった。しかし、岩手ではまだ雪が残っていたりする。

 たいてい春休みに子供たちを連れて千葉に帰ったが、帰ると母の菜園に小松菜やこちらでは二度豆というサヤエンドウがなっている。山の家の畑はまだ深い雪の中だ。本格的に畑仕事に入るのは5月の連休前ぐらいだった。千葉の庭にはローズマリーの花が咲いている。山の家では、ローズマリーを家の中に入れておいたのに、凍ってだめにしてしまった。(この冬はストーブのそばに置いて、もうすぐ花が咲きそう。) 春に千葉に帰るとめまいがしそうになる。千葉は南国だったのだ。それから、つくづく貧しく食べ物がなかったという山の人たちの昔話を思い出す。確かに雪に蔽われて畑で作物が取れる期間が短い。大変だっただろうな。

 息子たちは岩手産である。これからどこに住むかわからないが、岩手の山や川をいつも懐かしくなるだろう。

 春の陽射にはなってきたが、まだまだ寒い。これから春までが長いのだ。

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 久しぶりに千葉の母に電話する。元気そうだ。まだ、パートをして車を運転して飛び回っている。パートーナーの犬の散歩があるのであまり旅行へは行けないと言っていた。

 夫の実家のほうは、落着きを取り戻している。私が手配して義父はディ・ケアへ行き、義母は週に1回だけヘルパーさんに来てもらうことにした。そのために、ケア・マネージャさんやヘルパー・ステーションの方、またはデイ・ケアの方がたびたび家を訪ねてくるそうだ。

「お客が多くて、うっとうしいわよ」と義母。「まあ、そう言わずに。みんなお仕事なんだから。私たちだけでなく、いろいろな人が関わって見守ってくれているのだから」と言う。「うっとうしい」と言いながら、きっと義父への愚痴を言いまくっているだろう。

 ヘルパーさんはとはうまくいったかなと、電話する。膝が痛くて風呂掃除ができないので、大変なところをお願いするように言ってあるのだが、義母は「あれで、よく子供二人もいる主婦なんてしているわね」と文句を言う。私のこと言っているのでしょうか。掃除のやり方が気に入らなかったようだ。「まさか、そんなこと言ってないでしょうね」。「言わないわよ」と言うけれど、嫌みのひとつも言ったはずだ。「まったく」という溜息を私がついたら、「私は病気なんだよ! 仕方ないでしょ」と怒鳴っていた。病気とは、潔癖症のことである。

 確かにすごいきれい好きである。わたしには疑問もあるが、本人はそう思っている。私も義母の代わりにお風呂掃除をするが、必ず点検して水で流して調べているのを知っている。自分でなんでもやらないと気が済まないタイプである。「いつかは体が思うように動かない時も来るのだから、誰かに任すということも覚えないとね」と言う。「わかっているわよ」と義母。

 義母に私は言った。「嫁としての世話はしないから。友達として助けたい」と。義母はびっくりしたようだけど、それからわりとお互い本音で話せるようになってきたかもしれない。義母の嫌味も頭に来ない。「また、そんなこと言って。性格悪くなるよ」。「もう、悪いよ」と言い合っている。

 しかしね。義理の母には言いたいこと言っても実の母には、とても恐れ多くて言い返せないというのが私の困ったところだ。

 ケア・マネージャーさんも盛岡まで電話で様子を知らせてくれる。「ヘルパーさんに対して失礼なことをしているかもしれないけれど、根は悪い人ではないからお願いします」と伝える。ケアマネさんも何回か会ってわかっているようで、「厳しい方だけど大丈夫ですよ」と言ってくださる。

 でも、義母が気に入ったものがあった。この間、豆入りドライカレーを作り、ナンを買って実家に持って行った。家に着いてすぐに食事の支度をするのが面倒だからだ。そのナンを温めてだしたら、すごく美味しいという。カレーと食べるというのも気に入ったようだ。「あの塩味のパンをまた買ってきて」との注文だ。義母は食べ物がむずかしい。九州で生まれ神戸で青春を過ごしたので、東北のものが今でも口に合わないようだ。海辺の町に住んでいるのに、刺身は食べない。三陸の魚はだめなようだ。九州の魚を恋しがる。「やっぱり魚はブリだよね」と私も言う。ここらへんで売っているブリは養殖の小さな切り身だけだ。私の父親は佐賀の唐津の人だ。私も何回か行ったことがある。義母も玄界灘を見て育った人なので、私は少し気持がわかる。「太刀魚なんかも食べたいね」とふたりで言い合う。岩手出身の義父や夫は面白くない顔をするが、「玄界灘のイカは美味しいよ」とこの時ばかりは義母の見方をする。

 親というものは、これも出会いだったとしか言いようのないもだとつくづく思う。

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2008年2月20日 (水)

ペドロ・アルモドバル

死ぬまでにしたい10のこと (ヴィレッジブックス)

Book

 

『死ぬまでにしたい10のこと』。タイトルからしてお涙頂戴的な映画かと避けていたが、大学の語学学習室でつい観てしまったら、やはり泣けた。主人公役のサラ・ポリーがいい。なつかしいデボラ・カーが母親役で出ている。

 主人公は不治の病だけれど、最後まで誰にも打ち明けない。悲しいのは彼女が持っている力を誰も気がつかずにいること。いいお母さんとして皆に思い出を残した裏にあるものを映画は見せつつも言葉にしない。「10のこと」は気休めで、本当にしたかったことは隠されたままなのに伝わってくる。

 この映画から、なぜかペドロ・アルモドバル監督の映画が気になってきた。『死ぬまでに』の監督は、イザベル・コヘットだが・・・。アルモドバルは製作総指揮という肩書で名がある。

 それで下記の映画を続けて観た。設定が異様だけど面白い。映画らしい映画。映画を観たという気になる。最近の日本映画は好調らしいけれど、なんだかテレビのドラマの特別版を観ている感じがするのだ。

 

オール・アバウト・マイ・マザー DVD オール・アバウト・マイ・マザー

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2008年2月18日 (月)

山之口貘を読んで

 名前はよく見ていたのに、読んだことのない詩人、山之口貘の詩を図書館で読んでいた。貧乏な生活をユーモラスに描いて、笑えるしおもしろいと思って読み進めたけれど、次の詩で興醒めしてしまった。

    ある家庭

  またしても女房が言ったのだ
  ラジオもなければテレビもない
  電気ストーブも電話もない
  ミキサーもなければ電気冷蔵庫もない
  電気掃除機も電気洗濯機もない
  こんないえなんていまどきどこにも
  あるもんじゃないやと女房が言ったのだ
  亭主はそこで口をつぐみ
  あたりを見廻したりしているのだが
  こんな家でも女房が文化的なので
  ないものにかわって
  なにかと間に合っているのだ

 貧しい詩人の奥さんが、内職をしながらも「今夜は何を食べよう」と悩んでいる姿が思い浮かんでしまった。夫が詩を考え、散歩し、仲間と文学談義をしている間も奥さんは家事のやりくりと明日のお金のことを考えていた。貧乏詩人が、人並に文化的生活ができるのは奥さんがいたからだ。
 山之口貘は沖縄生まれ。貧しくてもどうにか平成の図書館に本を残している。奥さんは、名は知らないが茨城生まれらしい。彼女だって、意気地のない夫のことを詩にできたかもしれない。でも、取りあえずは今日の食べることと子供のことを考えなくてはいけない。着るものも手で縫ったのだろう。布団も作り、寒い中手で洗濯し、貧しいながらというか、貧しいからこそ、家事をこなすだけで1日が終わったのだ。今なら、スローライフとかエコ生活という価値もあるかもしれないが、その頃はただの貧乏生活でしかない。奥さんは、自分で働いたほうがましだと思っただろう。でも、すべて自分の手作業で家事をやるとなると、内職するぐらいの時間しか残されていない。

 山之内獏もずいぶん、いい気なものだ、と嫌気がさして本を閉じた。良妻に支えられた男文学者の色があせていく。

 詩を読む理由は、俳句作りに困ると、何か触発される言葉はないかと藁にでもすがりたい気持ちからだ。山之口獏の詩からできた1句は次のもの。

    貧乏の見えない景色桃の花

 また貧乏の句を作ってしまった。社会的な俳句はやめて、春からは、さわやか路線でいきたいと思っていたのに。さわやかに変身できるだろうか。

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道徳強化

義務教育で道徳が強化される。それにはこんな理由があると刈谷剛彦が書いていた。

「子ども個人や家庭ごとにふさわしい教育を選ぶことが推奨され、公教育を含め、教育サービスは、ますます個人にとって意味をもつかどうかが問われるようになる。こうして、選択の時代は、教育の個人化を進めることになる。
 ところが、これでは社会がバラバラになりかねない。そこで、教育の個人化を進める一方で、社会のまとまりを強めるための教育を求められるようになる。国や郷土を愛する態度の涵養や、規律意識を身につけさせようという動きは、教育の個人化とセットになった改革の動向である。意識の面でまとまりを強めることで、格差社会にも対応しようとする動きである。」
『欲ばり過ぎる日本の教育』2006年 刈谷剛彦・増田ユリヤ (講談社)

 だいたい、そういことだなというのは一般国民にも見える。なんで政財界がやっきになって「国を愛する」心を育てたいのか、少し考えれば子供だってわかる。
 ニュースで政治家や官僚の汚職や品のない言葉、企業の不正を見て、子どもたちは何を感じているだろうか。結局「お金儲けしたほうが勝ち」と思わないだろうか。大人の世界が汚いのに、子供たちに清く美しく生きよと言っても効果がないと思う。まず政財界の顔を品格のあるものにして欲しいなぁとテレビを観ていて思うこの頃である。

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2008年2月17日 (日)

学習指導要領 改定案

 いっぱい書いたのに、操作を誤って消えてしまいました。もう机を離れないといけない時間なので、もう一度書く時間もないです。

 こちらを読んでください。 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080216

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2008年2月16日 (土)

芭蕉

 俳句のことをすっかり忘れていた。春休みになったのに、仕事は入るし、昨日は4年生の知り合いの送別会をしたりでなんだか家にいない。そこで、俳句の世界に浸ろうと読んでいるのが、嵐山光三郎の『悪党芭蕉』。

 仙台の俳句関係の人たちに連句をする人がいる、今度、誌上連句遊びをすることになった。私も加わるらしい。でも、連句なんか知らない。どうしたらいいいかと聞いたら、ある人に「『芭蕉七部集』でも読んだら」と言われた。大学の図書館にあったので、ぺらぺら読んでみるが、何もわからないじゃないか。それで、嵐山さんの本ならわかりやすいかもと思ったが、連句はあまり足を突っ込めるような世界ではない、ということだけわかった。ルールなどが難しい上に、古典の素養が大事だ。歌とか源氏だとか漢文とかの古典である。奥が深すぎたのが、現代、連句が廃れた理由だという。そうして発句が俳句として残った。五七五だけなら誰でも作れる。でも、この誰でも作れることが俳句の良さと「第二文芸」という言われる理由だ。だいたいが俳句は文芸というより句会というものがある大いなる遊びであることがこの本でわかる。ときには命をかけた大ばくちであるのかもしれない。

悪党芭蕉 Book 悪党芭蕉

著者:嵐山 光三郎
販売元:新潮社
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2008年2月14日 (木)

学力低下

 前回、都会と地方の学力格差が開くと書いたが、地方の一公立学校の中での学力格差が大きくなっている。公立学校に頼れないなら塾に行かせられる家庭はいいが、塾に行かせたり、家庭教師を頼んだりできない家庭も多い。明らかに勉強のできは家庭の経済力に比例しているような気がする。経済力プラス家庭の文化水準の高さかもしれない。

 OECDが実施した国際学力調査(PISA)で、日本は順位が落ち、マスコミは「学力低下!」と騒ぎたて、子供たちの学力を向上のための対策が考えられる。そのPISAで1位を取るのはフィンランドである。フィンランドに学べとばかりに、フィンランドの教育方法を真似してもなかなか効果は上がらない。なぜなら、根幹にある国の理念が違うからである。

 フィンランドは、善意で子供たちに平等なスタートラインに立てるように教育しているわけではない。社会民主主義や人権の思想は強いにしても、北国の自然が厳しく人口も少ない国がグローバル時代に国が生き残る戦略として、「教育」に力を入れた。その予算のかけ方が違う。新自由主義にのっとって、規制緩和と地方分権をすすめる。教科書の検定はなくなり、学校や先生が自由に教科書を選べる。国はおおまかなアウトラインを示すだけで、授業内容は市町村に任せる。自治体は予算が余れば、まず教育に回すのがふつうだそうだ。日本も新自由主義路線だそうだが、教育に関する規制緩和の考え方が違う。

 フィンランドは、給食も無料だそうだ。福祉が充実しているのは税金が高いからだと言われるが、大学まで無料、医療費は無料、母子家庭になろうが、障害者になろが、老人になろうが、安心して暮らせる保障があるのなら、貯金をむやみにしたり、多額の保険をかけたりしなくていいだろう。そんな暮らしがあるのなら、たくさん税金を取られたっていい。これで、国の経済も伸び、国際的評価も高い国になっている。子供たちとフィンランドの特集をテレビで見ていたら、「ずるいじゃないか」と言った。同じ人間なのに、こんなにいい環境で学べるなんてということだが、ちょうどアジアの問題を議論する講義にもでていたので、同じ人間なのに、教育も受けられない子どもたちとこの北欧の差に愕然とする。アジアは別物なのか。あそこまで到達なんてできるのだろうか。できないだろうな。北欧なんて別に目標でもないのだから、政財界の人たちは。

 フィンランドの教育は国の要という意識が強い。だからといって、長時間勉強しているわけではなく、授業時間は日本より短く、塾はなく、家庭学習も日本と同じぐらいだ。先生も自分の授業が終われば、夕方家に帰る。部活や就職の面倒は見ない。それはそれで専門の人がいる。夏休みは2か月たっぷりとる。その間、学校へは来ない。(ただ、研修などには出ているようだ。)これで、世界一の学力なら、日本はどう真似したらいいのだろう。

 塾がないと驚くが、こんなに塾があるのは日本とか韓国ぐらいかと思う。なんでこんなに勉強しても英語は話せるようになれないし、ユーロに円は負けているし・・・。負けてもいいんだと思う。日本なんて、もとから小国だったのだ。もう一度謙虚に力をつけていかなくてはいけない時期なのではと思うのだ。

 学力をあげるために勉強時間だけはのび、学校や塾に拘束される時間は長くなり、「フィンランドのように読書習慣をつけましょう」といっても、ゆっくり読書する時間もなく、ゲームやバラエティ番組でストレス解消をするだけだ。

 日本ももう少し公立学校に力を入れ、国が自信を持って世界に示せるようにして欲しい。かつての日本は基礎教育が世界に誇っていたはずだ。それがどこからか転換した。

「学力低下」は、「ゆとり教育」のせいだと言われるが、そうだろうか。ゆとり教育のせいにしているだけで、各家庭の格差、そのための諦めや先生の質の悪さなどがあげられないだろうか。先生の質が悪くなっていくのは、良く言われるように先生の仕事がハードだからだとも考えられる。あと、教員資格が簡単とかもあるかもしれない。日本は世界の中でも先生は長時間労働だが、実際に教科に関わっている活動は他国より少ないという結果も見た。では、日本の先生は何に忙しいのだろう。部活や進学指導や問題ごとの対処やたくさんの書類いろいろあるんだろう。そこらへんを見直さなければまずいけないのではないか。

 これらの話題は、大学の講義を通していろいろな論文を読んでの考えさせられた。先生から一般的にわかりやすいとして紹介された本の最後に次の文書がある。

 日本とフィンランドの教育は、いまやまったく逆向きに動いているように見える。ならば、この差はどこからでてきたものだろうか。政財界が未来の変化を途中で読み変えたのか、教育界が詰め込み主義的考えを根本的に改めていないからなのか、子どもたちの教育環境が劣悪だったからなのか。

 ひとつだけ、忘れていけないことがある。「総合的な学習の時間」を特徴とするカリキュラムの作成責任者にあたる、当時の教育課程審議会会長だった三浦朱門のことばは衝撃的だ。

「学力低下は予想し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審はやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張って行きます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです」

 なかなか含蓄のあることばである。しかし、国際学力調査をしたOECD教育局の方は次のように言っている。

「教育の質が悪く、どういった家庭的な背景・出身かということが大きな影響を及ぼしているということでは困る」

 OECDが教育調査をしているのは、学力の競争をしているわけではない。これからのグローバル化の中で生き残れる力を一人一人にもってもらいたい。そういう国が生き残れるからだ。

 日本の子どもたちは、正直旧態依然の教育感の学校の中でよくやっている方だと思う。でも、いつまでもできない者は切り捨てるような感覚が政財界にあるのなら、日本の発展も危ういかもしれない。もういろいろな面で日本と言う国の資産が目減りしている。それは教育力という点からもいえるかもしれない。

 まだまだ、資料がたくさんあり言うべきこともあるのだが、これくらいにしておきます。

 引用した本は、下記のものです。

 

競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書) Book 競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書)

著者:福田 誠治
販売元:朝日新聞社
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 あらら、こんなことを書いていたら、仕事に行く時間だわ。先週土曜日に仕事が終わってから、「来週から春休み」と喜んだら、主任が「ちょうど人手が欲しかった」と喜ばれた。今日は新しく入ったヘルパーさんの同行訪問だ。訪問先はそれぞれやり方や人の癖があるから、一緒に行って伝授するというものだ。いつもは一人でやる作業も同行だと楽しい。私が教える立場なのに、他のヘルパーさんの料理の仕方を見ると、勉強になること多いのだ。

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教育現場は?

 私自身は変わり映えのないたんたんとした日常を送っているが、仕事や友人たちはドラマチックに動いていて、書きたいが他人の個人情報なので書けない。

 これも書いていいかどうか迷ったが、書こう。

 先日、中学の息子の保護者会へ行った。仕事で授業参観は出られなかったが、学校で今何が起こっているのか知りたかった。学校についたら、知り合いの耳の不自由なお母さんが帰るところだった。「通訳頼む親しい人もいないので、帰ろうと思った」と言うので、「私がするから」と二人で教室に戻る。

 ジャージの変更や子供たちの様子が話された後、「下駄箱の靴に画びょうが入れられるいじめ」についての話になる。その対策として、先生は「学校の張り紙の画びょうを取って、テープに代えている」と話される。保護者が教室の中の掲示物を見まわす。たしかにテープになっている。先生は「まだ1年生のところしか作業が進んでいない。じょじょに他の所の画びょうも取るが、私がこの学校に来た時から貼ってあるものもあって・・・」とお話が進む。

 私は、知人に筆記で通訳する。知人「画びょうを取っているの? 学校中の? 取ったって家からいくらでも持ってこられるじゃない」とノートに書いている。私「いやー冗談ではなく、本気みたい」。知人「おかしいね」。などとノートでぺちゃくちゃおしゃべりしていたら、前の席にいたお母さんににらまれた。たぶん知人が耳が聞こえないと知らない人もいると思う。中途障害なので、きれいな発音ではっきりしゃべるから。それにしても、画びょうを取って歩くとは、先生も御苦労さまだ。誰かが「ほかに対策はしていないのですか」と聞かれた。「休み時間などに、下駄箱付近を見回っている」とのことだった。私もひとこと言いたかったが、やめた。今までの学校の様子を聞いたり、先生の話を聞いた限りで、「この学校だめだ」と思ったから。息子に言わせれば「先生たち終わっているよ」であった。生徒たちが先生を信頼していないので、荒れはおさまらない。私もできるだけ、先生の悪口は言わない。「先生も大変なのよ」とは言うが、なんだかどうしてか先生たちが仕事できない人たちがたまたま集まった不運な学年としかいいようがない。なんたって、登校拒否になった先生が二人いて、理科などの主要科目が受けられないことにもなった。何か月も。親の対策は塾に行かせること。うちは塾には行かせていないが、知り合いの塾の先生から問題集をいただき、「学校なんて当てにしないで、自分で勉強するように」と言ってある。

 たまたま不運な1年だったのであろうか。それとも先生の質が変わってきたのか。

「教育原理」の授業で、先生が「フィンランドでは、先生は定年まで同じ学校にいるのが一般的だが、日本では先生が何年かごとに変わるのはなぜだろう」と問いかけた。私は言いました。「先生に当たりはずれが大きすぎるから、固定なんかされたらたまらない」。フィンランドのように先生の質を国の教育相が鼻高々に自慢するお国と違う。なんだか、都会での公立離れや塾に行かせる理由がよくわかった。とはいっても地方では、私立中学なんてないから、学校は選べない。教育サービスを選ぶなんて都会での話だ。公立の質を高めてもらわないと、都会と地方の格差は広がるばかりではないか。

 いじめ対策が「画びょうを生徒の目の前からなくすこと」と思っている先生。「最後は帳尻合わせるから、教科の先生がいないことを騒ぐな」と言う校長。もちろん教育委員会へ文句を言いに行った親とか、学校に抗議もあったらしいが変わりもしない。何がどうなっているのやら。大学の後期は授業で教育制度などの勉強をしていたが、理念と現場の格差は広がるばかりのような気がする。

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2008年2月13日 (水)

干し菜汁

Img_1388  大根の干し菜の粕汁です。高野豆腐と人参も入っています。とても体が温まります。自分で作ったのに、「こりゃ美味しい」と、昼御飯に2杯も食べてしまいました。

「干す菜はじっちゃんの好物だったな」と夫が言います。山の家の隣では小屋にびっしりと大根の葉が干してありました。残れば牛のえさになりました。でも、じっちゃんも牛ももういません。ばっちゃんは、あまり大根の葉を干さなくなりました。

 子供たちは食べないかと思ったら、この間何かのバラエティ番組で、大根の干し菜がとても栄養があると紹介されていたと言って、がつがつ食べました。バラエティ番組もたまにはいい影響があるようです。

 今日は花粉症の薬をもらいに病院へ行ってきます。去年は薬を飲まないで乗り切りましたが、何か今年ははじまりがひどい。昨日は久しぶりに奥様友達とお茶をしても鼻ばかりかんでいました。

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2008年2月12日 (火)

春の気配

 体調は良くなったようなのに、鼻水がとまらない。しつこい風邪だなと思っていたら、違いました。そうです花粉症がはじまっていました。

Img_1392 ダム湖だってまだこんなに凍っているし、雪景色なのに、春は確実にきているんですね。

Img_1389

散歩道に薪小屋もあります。

 ♪♪♪

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2008年2月 7日 (木)

試験太り

 ひさしぶりにブログに書き込みます。試験の山場が越えました。明日が最後の試験。明日締め切りのレポートもあるけれど、1行も書いていません。これから頑張ります。あとは来週締め切りのレポートを終えれば春休み・・・のはずです。

 試験中の一番の心配は、体調を崩すことでした。息子たちの学校もインフルエンザが流行っていました。自分が病気になるのも困りますが、子供たちが病気になると忙しくなって困ります。「お母さんの試験中は病気にならないで」と言っていたものの、自分がダウンしてしまいました。月曜日の試験3つの山場を越え、火曜日の午前に大学で水曜日提出のレポートを仕上げたていたら、寒気がしてくる、のどが渇く。「来た来た」という感じで風邪が駆け上ってきます。風邪のひきはじめって、なぜ突然来るのという感じです。明日大学に来られなくなるかもしれないと、さっさとレポートは完了して提出し、家路についてそのまま寝込みました。夫は山の家へ行っていたのですが、ちょうど帰宅したところでした。帰ってくると、妻と次男がダウンして帰ってきて、夫はさっそく炊事にはげみます。そうして、私と次男は水曜日は病欠です。今日も体はだるいのですが、何と言っても英語と統計のテストがあるので出かけました。すごく嫌々大学へ行ったのに、テストになると集中してしまいます。私はテストが好きなのかもしれません。けれど、いろいろ試験の失敗はあります。自分がよく知っているはずの言葉が急に出て来なくなる。「えっなんで」と思いますが、これも老化なのかしら。帰りのバスの中でいきなり思い出したりして悔しがります。図書館ですれ違った他学部の社会人学生さんにそれを話すと、「私も朝覚えたはずなのに、テストのときに出てこない」と言っていました。中年には一夜漬けというのは無理なようです。何回も脳に刷り込んでいかないと覚えられません。でも、「この歳で、よくやっているよ」と自分で自分をなぐさめて、次に進まないといけないのです。

 それで「試験太り」なんですが・・・。体調を崩したくないと食事だけはしっかりとっていました。しかし、机の前に座り続け、ほとんど大学内を歩くしか運動はしていないし、根をつめると甘いものが食べたくなるのです。特にチョコとかですが、机に向かいながらつまんでしまいます。「脳が疲れている」と言い訳しながら。それになぜか貰いもののお菓子もたくさんあって、ひと休みのたびに食べている。気がつけば、体がずっしり重いのでした。スカートがきつくなっています。試験が終わったら、やらなくてはいけないことはシェイプアップです。

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