耳をすませば
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耳をすませば 販売元:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント |
先週、テレビでジブリ映画『耳をすませば』を息子たちと観た。「なつかしいね」と話す。山の家ではテレビが映らなかったから、図書館からビデオを借りて見ていた。長男は低学年で次男は保育園だった。でも、内容はふたりともけっこう覚えている。ところどころの細かい場面、たとえばドアーフのぜんまい仕掛けの時計の話など忘れている場面も多かったが、主人公たちと同じ中学生になった息子はどんな思いで観ているのだろう。「かっこよすぎるよね」とは言いあったが、そろそろこんな恋でもしているといいのにね。
私がこの映画をよく覚えているのは、なつかしい東京の京王線沿線の風景、聖蹟桜ヶ丘あたりを思い出すからだ。それから、主人公の家族。お母さんは大学院生か何かをしていて、お父さんは図書館に勤めている。住んでいるのは多摩の団地だ。山の家でこの映画を観たとき、立派な山の家があるのに、本だらけの団地の生活に戻りたいと憧れたのだった。
そういえば、村の子供たちが修学旅行の感想作文には、「東京は人の住むところではないと思いました。あらためて村の自然の豊かさを感じました」と必ず書かれ、何かの会の時に発表される。その頃の私は「人の住むような場所でないゴミゴミした町」が恋しくてホーム・シックで、そんなおきまりの子供の作文に、「東京にも人の暮らしがあるのよ」とムカついていた。でも結局、そんな作文を書いて村の年寄りを喜ばしていた子供も村を出て、東京やら盛岡へ散らばってしまった。それはそれでどうなるのだろうかと心配で、山の家のある村は、いつでも気がかりだ。
『耳をすませば』は、私に戻れない土地へのホーム・シックを募らせる映画である。
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