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2008年2月18日 (月)

山之口貘を読んで

 名前はよく見ていたのに、読んだことのない詩人、山之口貘の詩を図書館で読んでいた。貧乏な生活をユーモラスに描いて、笑えるしおもしろいと思って読み進めたけれど、次の詩で興醒めしてしまった。

    ある家庭

  またしても女房が言ったのだ
  ラジオもなければテレビもない
  電気ストーブも電話もない
  ミキサーもなければ電気冷蔵庫もない
  電気掃除機も電気洗濯機もない
  こんないえなんていまどきどこにも
  あるもんじゃないやと女房が言ったのだ
  亭主はそこで口をつぐみ
  あたりを見廻したりしているのだが
  こんな家でも女房が文化的なので
  ないものにかわって
  なにかと間に合っているのだ

 貧しい詩人の奥さんが、内職をしながらも「今夜は何を食べよう」と悩んでいる姿が思い浮かんでしまった。夫が詩を考え、散歩し、仲間と文学談義をしている間も奥さんは家事のやりくりと明日のお金のことを考えていた。貧乏詩人が、人並に文化的生活ができるのは奥さんがいたからだ。
 山之口貘は沖縄生まれ。貧しくてもどうにか平成の図書館に本を残している。奥さんは、名は知らないが茨城生まれらしい。彼女だって、意気地のない夫のことを詩にできたかもしれない。でも、取りあえずは今日の食べることと子供のことを考えなくてはいけない。着るものも手で縫ったのだろう。布団も作り、寒い中手で洗濯し、貧しいながらというか、貧しいからこそ、家事をこなすだけで1日が終わったのだ。今なら、スローライフとかエコ生活という価値もあるかもしれないが、その頃はただの貧乏生活でしかない。奥さんは、自分で働いたほうがましだと思っただろう。でも、すべて自分の手作業で家事をやるとなると、内職するぐらいの時間しか残されていない。

 山之内獏もずいぶん、いい気なものだ、と嫌気がさして本を閉じた。良妻に支えられた男文学者の色があせていく。

 詩を読む理由は、俳句作りに困ると、何か触発される言葉はないかと藁にでもすがりたい気持ちからだ。山之口獏の詩からできた1句は次のもの。

    貧乏の見えない景色桃の花

 また貧乏の句を作ってしまった。社会的な俳句はやめて、春からは、さわやか路線でいきたいと思っていたのに。さわやかに変身できるだろうか。

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