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2008年2月14日 (木)

教育現場は?

 私自身は変わり映えのないたんたんとした日常を送っているが、仕事や友人たちはドラマチックに動いていて、書きたいが他人の個人情報なので書けない。

 これも書いていいかどうか迷ったが、書こう。

 先日、中学の息子の保護者会へ行った。仕事で授業参観は出られなかったが、学校で今何が起こっているのか知りたかった。学校についたら、知り合いの耳の不自由なお母さんが帰るところだった。「通訳頼む親しい人もいないので、帰ろうと思った」と言うので、「私がするから」と二人で教室に戻る。

 ジャージの変更や子供たちの様子が話された後、「下駄箱の靴に画びょうが入れられるいじめ」についての話になる。その対策として、先生は「学校の張り紙の画びょうを取って、テープに代えている」と話される。保護者が教室の中の掲示物を見まわす。たしかにテープになっている。先生は「まだ1年生のところしか作業が進んでいない。じょじょに他の所の画びょうも取るが、私がこの学校に来た時から貼ってあるものもあって・・・」とお話が進む。

 私は、知人に筆記で通訳する。知人「画びょうを取っているの? 学校中の? 取ったって家からいくらでも持ってこられるじゃない」とノートに書いている。私「いやー冗談ではなく、本気みたい」。知人「おかしいね」。などとノートでぺちゃくちゃおしゃべりしていたら、前の席にいたお母さんににらまれた。たぶん知人が耳が聞こえないと知らない人もいると思う。中途障害なので、きれいな発音ではっきりしゃべるから。それにしても、画びょうを取って歩くとは、先生も御苦労さまだ。誰かが「ほかに対策はしていないのですか」と聞かれた。「休み時間などに、下駄箱付近を見回っている」とのことだった。私もひとこと言いたかったが、やめた。今までの学校の様子を聞いたり、先生の話を聞いた限りで、「この学校だめだ」と思ったから。息子に言わせれば「先生たち終わっているよ」であった。生徒たちが先生を信頼していないので、荒れはおさまらない。私もできるだけ、先生の悪口は言わない。「先生も大変なのよ」とは言うが、なんだかどうしてか先生たちが仕事できない人たちがたまたま集まった不運な学年としかいいようがない。なんたって、登校拒否になった先生が二人いて、理科などの主要科目が受けられないことにもなった。何か月も。親の対策は塾に行かせること。うちは塾には行かせていないが、知り合いの塾の先生から問題集をいただき、「学校なんて当てにしないで、自分で勉強するように」と言ってある。

 たまたま不運な1年だったのであろうか。それとも先生の質が変わってきたのか。

「教育原理」の授業で、先生が「フィンランドでは、先生は定年まで同じ学校にいるのが一般的だが、日本では先生が何年かごとに変わるのはなぜだろう」と問いかけた。私は言いました。「先生に当たりはずれが大きすぎるから、固定なんかされたらたまらない」。フィンランドのように先生の質を国の教育相が鼻高々に自慢するお国と違う。なんだか、都会での公立離れや塾に行かせる理由がよくわかった。とはいっても地方では、私立中学なんてないから、学校は選べない。教育サービスを選ぶなんて都会での話だ。公立の質を高めてもらわないと、都会と地方の格差は広がるばかりではないか。

 いじめ対策が「画びょうを生徒の目の前からなくすこと」と思っている先生。「最後は帳尻合わせるから、教科の先生がいないことを騒ぐな」と言う校長。もちろん教育委員会へ文句を言いに行った親とか、学校に抗議もあったらしいが変わりもしない。何がどうなっているのやら。大学の後期は授業で教育制度などの勉強をしていたが、理念と現場の格差は広がるばかりのような気がする。

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