庭仕事はじめ
「寒い寒い」と文句を言っていても、春は来るのです。庭の雪が溶けてくると、秋に庭仕舞いしなかった汚れた庭が姿を表わしています。
外を見ると嫌になるので、萩を刈ったり、キーウィの蔓を切ったり、菊やなんやら花の残骸を片付けました。雪が溶けた地面にはミントやクローバーがしっかり緑の出番を待っています。
家を借りたときは、庭は野菜と花に囲まれていましたが、その他の地面は草がきれいに取られた庭でした。でも、私が山の家からミントとクローバーを持ってきてあちこちに植えたので、庭は草だらけです。クローバーが窓の外にないと落ち着かないのです。
庭は好きですが、時間が取られます。山の家でも庭仕事が待っているし、盛岡では本当はやりたくない雑用です。でも、汚い庭を見るのはストレスになるので、きれいにします。お年寄りも同じことをよく言います。それで、這いつくばって草取りして具合悪くしたりします。本当にできなくなると、お金を払って人を雇って草取りも頼むのです。頼めるお金がないと、荒れるに任せています。そういう姿を見ていると、高齢者だけで一軒家に住むのは大変だなと思うことが多いです。
そうはいっても、庭のあちこちに水仙の芽やふきのとうが顔を出すのを見るのは喜びです。画家の熊谷守一が晩年は家からほとんど出ず、庭にあるものを題材に絵を描いていたということです。今は記念館になっている場所は、そんなに広くはありません。その庭が彼の宇宙だったと何かに書いてありました。今日も庭を片づけていれば、死んだカマキリと枯草にあるカマキリのたまご、落葉の下にうごめく虫、花芽をつける木、木の実をめがけて毎日来る鳥が私がいるために近づけないでいます。庭は奥深いものがあります。だから、あまり関わりたくないないような気がするのかもしれません。
熊谷守一美術館 http://kumagai-morikazu.jp/
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