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2008年3月 8日 (土)

怒らない

 昨日の夕方、次男を床屋に連れて行った。半年ぐらい行かなかったので、だいぶ伸びている。「切りに行こう」と言うと、「今日は予定がある」と抵抗するので、私も怒って「勝手にしなさい」とほったらかしていたが、あまりに伸びて女の子のようなので行くことになった。

 床屋に行く途中、息子が、「今日、4年生を振り返って、できたことを書いたんだ」と言う。「なんて書いたの」と聞くと、「感情を高ぶらせなかったこと」だと言う。「なんじゃそれ」と聞くと、怒らない、キレないことらしい。「いやー、たまに怒ったほうがいいんじゃないの。ストレスたまるよ」と私。「できる男は怒らないんだよ。○○君も何されても怒らない」と言う。男の美学でしょうか。これは学校の中でのことで、家では兄によく怒っている。

 学校で嫌なことはあるようだ。でも、次男は長男と違ってスポーツ万能だし、なんでも良くできて、いじめられないと思っていた。ただ、冗談とかは下手である。我が家の特徴だ。まじめ過ぎるのだ。テレビも見ないので今風の話題についていけなくてバカにされる。でも大丈夫だと思っていた。

「でも、お母さん。俺が本当に辛かったらわかる?」と前に聞いた。「本当につらい時の合図を決めようか」「どうな合図にしよう」。「次郎が学校から帰ってきて、おやつも食べず、遊びにも行かず、布団にもぐっていたら、大変だと思うよ」ということにした。これは私のことだから。落ち込むと寝る。とにかく寝れば朝が来る。起きていると八つ当たりしそうだから寝るのだ。

「怒らない」こと。また息子に教えられる。床屋に行かないからと怒ってごめんね。話し合えば良かったね。

 私の今年の課題は、会議や討論などで「怒らない」で話し合いができるようにすることだ。

 今、読んでいた『条例のある街』のこんな文書が響いてくる。(千葉県が「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」を作っていく過程が書かれている。考えただけで大変な仕事だと思った。)

反発もせず、かといって泣き寝入りもせず、「理解を求めていく」ということは忍耐のいる難しい行為だ

 今日は、その息子のフットサルの大会がある。去年は優勝したのだったが、私は観に行けなかった。どうやら観に来て欲しいようなので、ディ・サービスは休みをもらって観に行くことにする。久しぶりの試合。それからサッカー世話人の最後の仕事でもある。今日もいい日でありますように。

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