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2008年5月の投稿

2008年5月30日 (金)

どうでもいいことかもしれないけれど。

 昨日の新聞に、『沈黙入門』という本の広告が大きく出ていた。売れているらしい。その広告文が「意見あるところに欲あり  余計なことは言わない生き方のすすめ」とある。それから、「もう語らない。怒らない。求めない」とある。

 もちろんわかっていますとも、何を言いたいか。精神科医の斉藤環氏も推薦文を書いているし、心穏やかに過ごすための心構えが書かれているのだと思う。モンスター・ペアレントになったりせず、隣のクレイマーにもならず、言いたいことはぐっとこらえて沈黙する。

 でもね。どうも「もう語らない。怒らない。求めない。」にはひっかかる。私の気持ちは逆だ。今こそ一人ひとりが世界の中心で、「語り、怒り、求めよう」ではないかと思うこの頃である。こんな本で人のいい庶民たちを洗脳しないでよとケチをつけたくなる。

 この「ポップな仏教入門書」の手習い1は、「まったく何かにケチをつけずに1日を過ごしてみる」と書いてあった(広告に)。私などもう最初っから落ちこぼれのようだ。明日も明後日もケチをつけて歩くぞと決心して、おやすみなさい。

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ニキフォル

ニキフォル 知られざる天才画家の肖像

 DVDで『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』を観た。ニキフォルは、ポーランドのアウトサイダー・アートの画家として有名な人のようだ。何よりもすごいのが、主役の男性画家を演じているのが80歳になる女優だということだ。80歳になってもいい仕事ができるなんてうらやましい。うらやましいといえば、障がいを持ち、自分の仕事場に居座るニキフォルを、初めはうとましく思いながら、世話を焼いてしまう画家が「あんたがうらやましいな」とつぶやく場面がある。心底うらやましいことがわかる。彼には養わなければいけない家族がいるし、世間との付き合いがある。ただただ、絵を描いている。そして絵を惜しげなく売るニキフォル。人生の意味も生活を考えることも何もない。パンを食べて生きていく。ただただ描けばいい、それが凡人にはできない。

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2008年5月25日 (日)

クラッシュ

クラッシュ

 久しぶりに何も予定のない日曜日。次男は金曜日に2泊3日のキャンプから帰ってきて、喘息の発作を起こしたので、サッカーには行けないから朝からの練習はない。だから、今朝は7時半まで寝ていた。私には年に1回あるかないかの寝坊だ。昨日もサッカーはなかったけど、長男が練習試合でお弁当を作らないといけなかった。その長男も雨で練習中止。それではと、午前中から映画鑑賞をする。この間借りてあったのが『クラッシュ』。テーマは、思いっきり人種差別。警官が女性にセクハラする場面では、次男は「こいつ変態なの」と言うが、長男は「日本でもよくあるじゃないか、警察も公務員も先生も、ニュースでやっている」とコメント。でもその警官が自分の命を顧みず女性を助けたり、いろいろな物語が交差するのだけど、誰が悪人で誰が善人だなんて言えなくなる。気の抜けない映画だった。最後に救いは用意されているけど、父の身代りに銃に撃たれた少女の場面では、私たちは叫んでしまう。「なぜこうなるの」と叫んだけど・・・、そこには天使がいたんだ。天使は、小さな女の子でもあり、銃を撃った男の娘だった。もしかしたら、人間は少しづつでも気がついて変われるのかもしれない。でも、正義感のある若い警官が少しの恐れから銃を撃ってしまうのは悲しい。息子たちも彼がどうなっていくのかが気になったらしい。

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とりぱん5

とりぱん 5 (5) (ワイドKCモーニング) Book とりぱん 5 (5) (ワイドKCモーニング)

著者:とりの なん子
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

『とりぱん5』出ました。発売日に夫がニュータンにある現在ただひとつの本屋に買に行くと、飛ぶように売れていたとか。マンガの舞台ですからここだけ現象ですが、このブログを見て買ってくださった方もいらっしゃって、うれしいかぎりです。といっても作者と知りあいでもないのですが・・・。

 マンガに出てくる勝手にボランティア、早起きのじいさんの一人は近所の人です。元気高齢者の方々のおかげで、ニュータウンの美化が守られています。この後続く世代に、同じことができるだろうか、ニュータウンを誰が守ると心配です。こういう勝手連的なボランティアは好きです。

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2008年5月23日 (金)

鞍掛け山

Img_1446  

 遠い旅ではなく、ほんの近くの短い旅です。

 昨日、鞍掛け山に登りました。1時間ぐらいで登れて、高山植物もたくさん見られる人気の山です。山頂から見える山は、岩手山です。鞍掛け山は、宮澤賢治の詩集『春と修羅』の中に「くらかけの雪」とうたわれています。

 昨日の朝、急に山に行きたくなりました。大学の講義は午後だけです。その前に、ひとっ走り登ってこようと考えました。夫に「熊よけ鈴持って行った方がいいかな」と聞くと、「今どきは平日でも人がいっぱいいるよ。竹の子のシーズンだな」と言います。でも、一応持って行きましたが、着いてみると駐車場は車でいっぱいです。鈴は車の中に置いて行きました。

 登っていると、道の脇の笹やぶの中でゴソゴソ音がします。一瞬どきっとしますが、竹の子とりの人でした。竹の子は細くて美味しい曲がり竹の竹の子です。あちらこちらの笹の中に男性も女性ももぐり込んでいます。ビニールいっぱい取っている人もいます。純粋に登山に来た感じで登山服に身を包んだ夫婦が、「竹の子をいっぱいとっていますね」とびっくりしていました。

 軽いハイキングのつもりでも、汗をびっしょりかきました。温泉でも行きたくなります。まわりは温泉の多いところです。美味しいそば屋もあります。誘惑がもくもく湧きましたが、車の中で着替えて、大学へ向かいました。足が疲れていたのか、講義が終わり、大学の階段を下りるときつまずいて転び、ひざを打ちました。まったくです。

Img_1450  帰り道「春子谷地」から見た岩手山と鞍掛け山。手前の馬の背のよう形の山が鞍掛け山です。

「春子谷地」は展望のいい場所で、スキーの帰りなど必ず車を止めて写真を撮りたくなる場所です。この「春子」という名は、宮沢賢治に由来すると聞いたような覚えがあるのですが、どの作品に出てくるのかわかりません。夫が全集を持っているので、いつかこの名前をつきとめなくてはと思いつつ、できないでいます。

Img_1444  Img_1440

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 私の影。

 笹ゆりとシラネアオイだと思う。植物図鑑は山の家に置いてあるので確認していません。

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2008年5月19日 (月)

またまたお休み

 またまたブログを書く時間がなくなってきました。

 気になることはいっぱいあるけれど、またまた少しお休みします。

 夏休みなったら、復活できると思います。今から夏休みだけが楽しみです。

 それから、ちょっと遠くへ旅する予定です。

 それも報告できたらと思います。

 それではまた。

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2008年5月14日 (水)

介護保険「軽度」見直し

 介護保険をまた見直ししたいらしい。「軽度」見直しもあるけれど、本当は利用料の1割負担を2割負担にしたいという話はずいぶん前から聞いていた。

 http://www.asahi.com/politics/update/0513/TKY200805130370.html

 http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080513/fnc0805132026015-n1.htm

 制度を設計するときに財源が厳しくなることはわからなかったのだろうか。障害者自立支援法や後期高齢者医療制度でも、ほころびがすぐに見え、修正修正だ。日本のトップにいる人たちの頭脳がどうなっているのだろう。

 ラウンジでお昼を食べていたら、若い学生さん達が話していた。

「介護保険ってよくわかんないよね」「私たちが年取ったときにはないんじゃない」「それよか、うちらの親も使えないかも」「でも、保険料って40歳すぎの人が払っているんでしょう」「それは返してくれるよね」「でも、年金だってわからないじゃない」「年金払うくらいなら、貯金して投資したほうがいいかも」「よくわからないよね」

 若い人たちにも政府のやることに信用がない。しかし実際、保険料払っているのに、高齢者や障害者になったとき、「まだまだ介護度低いから」「家族と住んでいるから」と介護保険が使えないまま、取られ損ならないか心配にもなる。

 高齢者の「自立」や「予防」も廃れてしまったのかしら。無駄な事業にお金使ってパンフレットばらまいて、肝心の中身はおそまつくんで、失敗したのなら責任をとって欲しい。ちゃんと今までやってきたことを検証し、無駄金を計算して欲しい。誰も責任を取らないで、つけは国民に、それも手所得者層にやってくる。

 高齢者が金食い虫のように言うが、本当に無駄使いしているのは誰なんだろうか。

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2008年5月12日 (月)

人のぬくもり

Book

癒しのセクシー・トリップ―わたしは車イスの私が好き!

著者:安積 遊歩
販売元:太郎次郎社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

車イスからの宣戦布告―私がしあわせであるために私は政治的になる Book 車イスからの宣戦布告―私がしあわせであるために私は政治的になる

著者:安積 遊歩
販売元:太郎次郎社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 安積遊歩さんのことを聞いたのは大学の先生からだった。それで本を読んでみようと思っていたのだが、ちょうど中古で安かったので2冊まとめて買う。そうしたら、本の中にところどころ文に蛍光ペンで線が引いてある。こういうのってうっとうしいのだけど、その線がひかれた文書を読むと、本の持ち主だった人の琴線に触れたことがわかってくる。一生懸命読んだことがわかる。古本に出したけれど、後悔しているかもしれない。私も引っ越しのたびに本を処分して、あとから「あれは取っておけばよかった」と後悔する本が出てくる。だから今ではなかなか捨てられない。ほこほこ温かい気持ちになった古本だった。

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姿かたち

 母の日でした。長男が夕食にキムチ鍋を作ってくれました。部屋で机に向っていて、「お母さんごはんだよ」と呼ばれるのはいい気持です。でも、年に1回のことなのね。

 ラジオを聴いていたら、生活費を節約するときにまずすることは、美容院へ行くのを2回に1回にするとか、外食をやめるということだと話していました。それで、サービス業の売り上げが落ちるとか。

 そうなんです。私も去年の夏ぐらいから美容院へ行っていません。超ショートカットだった髪も今ではしばれるまでのびてしまいました。やはり、稼ぎが少ないので毎月美容院へ行けなくなったのです。本当はショートカットが好きです。ヨガを一緒に習っている美容師さんに切ってもらっていました。知っている人だと「もっと切って」と言いやすいからですが、彼女に美容院へ行かない理由を「お金ないから」とは言えず、「のばしてまとめることにした」と言い訳を言っています。

 それから髪を染めるのもやめました。まだらのグレーにあこがれています。はやく白くなっても欲しいです。白髪でひっつめ髪、おばあさんですね。ヘルパーの事務所でも「白髪にするのだったら、背筋をまっすぐにしておしゃれしないとね」と注意されました。それから、近くのスーパーで皆が、「若いけれど白髪で、それがおしゃれで素敵な人を見ている」と言います。私は見たことないです。会ってお手本にしたい。

 洋服というのもなかなか困りものです。大学に入るまで洋服をあまり買ったことがありませんでした。しかし、大学へ着ていくものがない。そこらへんの店で買ったものを来て行ったら、なんだか今の流行りの若い人の服で、もっとミセスの落ち着いた服をと探したら、なかなか気に入ったものはなく、気に入ったと思ったら馬鹿高くて普段着には使えません。そんなんで、なんとか手持ちの服で1年過ごしました。その服が懐かしいものばかり。山の家では、モンペ姿が当たり前。普段はくのは夏も冬も長靴です。去年はじめてブーツなるものを買いました。

 大学に着て行って、「素敵ですね」と褒められたベネトンのコートは東京で結婚した時に一目ぼれして買ったもの。でも着ることもなく仕舞われたままだった。アニエス・ベーのワンピースは、弟の結婚式に行く時買ったもの。この靴は、美しいSさんと飯田橋の駅で待ち合わせて、彼女に見てもらい買ったもの。このジャケットは、山形の祖父の家に行った帰り、仙台で乗り換えたとき駅前の西武で気に入って買ったもの。今では西武もなくなっていました。全部子供が産まれていない時の話です。物もちがいいというか、ぜんぜん使っていなかったのです。千葉のそごうで買ったアニエス・べーのバックやらなにやらもあります。全部ライターをしていて羽振りが良かったときに買ったものです。

 それらを着ながら、夫にいちいち思い出話を話します。買ったときの記憶が懐かしく思い出とともに蘇ります。「やっぱり少し高くても気に入ったもの買うといいね。いつか役に立つんだね」と感心していました。

 しかし、それらの品物に頼っていないで、白髪あたまに似合うファッションを考えないといけません。頭は白髪、化粧もしません、となったら着るもので自分を出したいのだけれど、なかなかこれといったもの盛岡で見つけられないでいます。だいたいが私の買い物が、ふらふらしているときに一目ぼれして買ったものです。いざ「買うぞ」と出かけると、ぜんぜん好きなものがないのです。困りました。

 昨日も母の日なので千葉の母に電話したときに、「親族のお葬式に着物など着ることない。上質の黒のスーツがあればいい。皇室だって洋装じゃない」と話します。母はもと呉服屋さんに勤めたひとです。「でも、お金ないし、まだ誰も死なないからいいよ」と私。「お金ないなら送るから買いなさい」と母。「ちょっと待って、盛岡じゃ買うものないのよ。東京行ったとき買ってください」とおさまりました。自分のお葬式のためにも用意をさせたいようですが、まだまだ元気です。

 姿かたちは大事です。安ものでも自分が気に入ったものだと気分がいいです。気に入った物は、自分に似合って私らしいものだと思うのです。

 最近、ワンピースやスカートばかり着ているのは、実は太ってジーンズがぴちぴちだからです。十何年と同じサイズだったのに、このきつさは不愉快です。食べないと体が持たないような気がして食べてしまうのがいけないのでしょう。サイズを元に戻すか、中年なのだからもう少し太ってもいいのではと諦めてワンサイズ上のものを買うかも迷いどころです。

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2008年5月 9日 (金)

流されないように

  「勉強すればするほど、自分の無知が思い知らされて、

   もっと勉強したくなる」

 たぶんアインシュタインの言葉だったと思いますが、自信はありません。

 今はこんな感じで、ジタバタしています。

 連休ですか。ひたすら主婦の細切れ時間の合間に読書していました。子どもたちのスポーツの試合にあまり関心はないのですが、この時間を一緒に過ごせるのもあと何年かしかありませんから、子どもと楽しもうと思って動いていました。

 いろいろな行事ごと、役員の仕事、家の仕事、大学の勉強をこなしていくだけで、日々は充実しているように過ぎていきます。それはそれでいいのですが、さて自分が何をしているのか時々点検しないと時間に流されていくばかりだと思うこの頃です。

 昨日は、大好きだけど、油断すると訳がわからなくなる統計や心理学研究法の講義を欠席して、ある会議に出ていました。そこで、子どもたちの施設でボランティアして25年という奥さま方に出会いました。自然体で明るくて、悩んで育って元気な女性たちに、私のボランティアに対する見方が変わりました。続けるってすごい。人間って面白いし、年取るのも捨てたものではないという女性たちに元気をもらって、行ってよかったと思える集まりでした。そしてまた、もっと勉強しなくちゃと思うのでした。

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2008年5月 3日 (土)

春の庭

Img_1427 庭は花盛りです。でも、花が終われば草ぼうぼうとなり、草とりしなければいけません。今がいい季節。大家さんが植えたウドやウルイも食べごろなので、食べてしまいましょう。

 今日から連休。子供たちはそれぞれの大会に出かけ、私はこれから仕事です。夕方は遅い花見と称して宴会もあるので、それを楽しみにひと汗かいてきます。

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2008年5月 2日 (金)

在宅福祉とは何だろう

 「後期高齢者医療制度」の説明や記事を読むと「在宅福祉」や「在宅介護」という言葉が出てくる。誰もが自分の家で死にたいのだという話なのだが、「在宅福祉」の中身を真剣に論じられてはいないような気がする。「家で死ぬことを望んでいる」。でも、今の介護保険でどこまで家族を支えられるのか、家族の所得の差によっても在宅の意味合いが違ってくる。あまり真剣に論じれば本当の国の意図がわかるとまずいのかな。

 ずいぶん前の本だが、図書館で読んだ『介護問題の社会学』(春日キスヨ著 岩波書店)に次のような文書があった。

家族の負担削減とノーマライゼーションの理念を掲げて推進されつつある「在宅福祉政策」をとってみても、従来の、家族と女性への介護負担の偏りを解消するきざしはみえない。それは、形を変えながら、むしろ、強化される側面すらもっている。宮島は「コミュニティにおける(in)福祉」という社会的地域福祉を意味したノーマライゼーションの概念が、介護費用の抑制という政治目的の前に、「地域による(by)福祉」に変質し、結局は「地域=家庭=女性による福祉」となっていく事実に触れ、次のように言う。「日本に限らず、欧米の先進高齢諸国でも、その(在宅福祉政策の)実態は、私的な個別的な福祉、つまり、家族による介護を意味し、ほとんどの場合、女性の家族成員(妻・娘・嫁など)を暗黙の主介護者としていること、換言すれば伝統的性別役割分担に依存している」(宮島、1992、52頁)

※宮島洋、1992、『高齢化時代の社会経済学』、岩波書店

「家族が介護するの当たり前じゃない。私だって主人の両親を介護してきたのよ」という、どこかの民生委員さんの言葉が思い出させる。国はこういう女性をおおいに活用していく。「地域福祉」が今の流行りなのだと大学の先生が話していられたけれど、民間活力、ボランティアの活用などなど、国の思うつぼだという感じがするのは私がへそ曲がりだからだろうか。まわりが「家族が一番」とうたわれると、大学でもだんだん自信がなくなってくる。

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