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2008年5月 2日 (金)

在宅福祉とは何だろう

 「後期高齢者医療制度」の説明や記事を読むと「在宅福祉」や「在宅介護」という言葉が出てくる。誰もが自分の家で死にたいのだという話なのだが、「在宅福祉」の中身を真剣に論じられてはいないような気がする。「家で死ぬことを望んでいる」。でも、今の介護保険でどこまで家族を支えられるのか、家族の所得の差によっても在宅の意味合いが違ってくる。あまり真剣に論じれば本当の国の意図がわかるとまずいのかな。

 ずいぶん前の本だが、図書館で読んだ『介護問題の社会学』(春日キスヨ著 岩波書店)に次のような文書があった。

家族の負担削減とノーマライゼーションの理念を掲げて推進されつつある「在宅福祉政策」をとってみても、従来の、家族と女性への介護負担の偏りを解消するきざしはみえない。それは、形を変えながら、むしろ、強化される側面すらもっている。宮島は「コミュニティにおける(in)福祉」という社会的地域福祉を意味したノーマライゼーションの概念が、介護費用の抑制という政治目的の前に、「地域による(by)福祉」に変質し、結局は「地域=家庭=女性による福祉」となっていく事実に触れ、次のように言う。「日本に限らず、欧米の先進高齢諸国でも、その(在宅福祉政策の)実態は、私的な個別的な福祉、つまり、家族による介護を意味し、ほとんどの場合、女性の家族成員(妻・娘・嫁など)を暗黙の主介護者としていること、換言すれば伝統的性別役割分担に依存している」(宮島、1992、52頁)

※宮島洋、1992、『高齢化時代の社会経済学』、岩波書店

「家族が介護するの当たり前じゃない。私だって主人の両親を介護してきたのよ」という、どこかの民生委員さんの言葉が思い出させる。国はこういう女性をおおいに活用していく。「地域福祉」が今の流行りなのだと大学の先生が話していられたけれど、民間活力、ボランティアの活用などなど、国の思うつぼだという感じがするのは私がへそ曲がりだからだろうか。まわりが「家族が一番」とうたわれると、大学でもだんだん自信がなくなってくる。

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