偲ぶことと和解
Yさんへ
コメントありがとうございます。でも、コメントは載せませんね。
辻先生の名前を載せたために、私のブログを見つけてくれたそうで、恥ずかしいかぎりです。先日はお会いできなくて残念でした。雑誌の件は思い出しました。あれは友達に頼まれたのです。とにかく偶然ですね。実はときどきYさんやTさんのこと、辻先生のこと思い出していたのです。私にとっては楽しい日々でした。強烈なというか印象深い人たちが多かったせいでしょうか。忘れっぽい私も忘れられない日々です。美術の世界とは違うことをしているようですが、案外アートは役に立っています。文学や美術は自分の下敷きのようなものだと思っています。またお会いできると思います。お元気で。Kより
個人的お便りを書いてしまいましたが、東京から帰って来ました。協先生のお顔を見てお別れできて良かったです。
次の日の朝、死んだ友人Tのお墓参りに友達と行ってきました。Tが死ぬ日に病院を訪れたのでした。偶然でした。友人が「たしか、めめが用があって東京に来ているから、明日みんなでお見舞いに行こうと話していたら、具合が悪くなったと連絡あったんだよね」と言いました。そうだ、思い出しました。渋谷の東急ハンズにいたら、すぐ病院へ行くように電話が来たのです。私たちが最後の面会をした夜にTは死にました。「呼ばれたんだよ」と友人。「でも、かすれた声で、『遠くからわざわざ来なくても』と言っていたよ」と私。「えっ、そうだっけ、酸素マスクつけていたじゃない、しゃべったっけ」と友人。「酸素マスクを少しはずしたんだよ」と私。どれが本当かわからないけれど、Tは私の方を見て私が誰だかわかって、そう言ったのが私には聞こえたのです。「たぶん、私には話すのが聞こえた」と言いました。お墓を見たら、去年お父さんも亡くなっていたことがわかりました。お墓にはまだきれいなお花が飾られていました。
そうして帰ってきたら、母に「人のお参りばかりしていないで、お父さんのお墓参りに行ったらいいでしょう。何年も行っていないでしょう」と言われ、最高に暑い中、お墓に行きました。お墓は草ぼうぼうでした。草むしりをはじめましたが、具合が悪くなりそうなくらい暑くなり、途中でやめました。
いろいろありましたが、最後にあるところで母とランチを食べました。その午後にそこで、ある議員さんとの懇談会があり、母はそれに出席するからです。「お母さんは確か社会党ではなかったの。いつから民主党に・・・」。
レストランやロビーには母の知り合いがいっぱいいました。母が応援している議員さんも挨拶に来ました。私は、かぎりなく感じよく頭がいい大人の女風に皆さんに振る舞っていました。それが母は気にいったようです。着ているものもいつものジーンズではなくスーツでしたし、母の言う「ずた袋」ではなくブランド物のバックと靴を身につけアクセサリーまでつけていました。いつも母を怒らせる服装と人の話に入らないで本を読んでいることをしなかっただけです。(お悔やみに来たので、そんな服装で来たのです。いつもは東京ではいろいろ歩き回るのでスニーカーです。そうして本をたくさん入れたズタ袋すがたなのです。)
息子たちにたくさんお小遣いをもらったので、昨夜息子と夫が母にお礼の電話をしました。母は「今までで最高の娘だった」と夫に言ったそうです。みんなに娘のことを褒められたそうです。私は恥ずかしかったですよ。もう50も近いというのに、「娘です」「お嬢さんですか」などという会話をされて。でも、母のために母の喜ぶように振舞うことができるようになったのは大人になったということでしょうか。あまりしゃべらない私が、知らない人たちと感じよく話して喜んでいますが、母知らないけれどやればできるのです。政治の話だって、怒らないで感じよくできるのです。
友人ともお茶を飲みながら、「大人になったよね」と言い合いました。友人は病気をもった子を持ち悪戦苦闘したのですが、今はありがままの子どもを受け入れ、治らないまでも自分の人生を生きていけるようにサポートできるようになったそうです。「やっぱり大人になったよね。50にならないとわからないことがあるのだもの、子供に分かれと押し付けられないね」と言いました。私も母にもいいところはあると思い直しました。今回の東京、千葉行きは行って良かったです。
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