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2008年7月11日 (金)

辻 協

辻 協さん(つじ・きょう=陶芸家、本名辻協子〈つじ・きょうこ〉)が8日、肝臓がんで死去、77歳。通夜は13日午後6時、葬儀は14日午前11時から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は長女の美術家辻けいさん。

 女性で初めて日本陶磁協会賞を受賞した。夫は4月15日に死去した陶芸家辻清明さん。 辻 協さん(つじ・きょう=陶芸家、本名辻協子〈つじ・きょうこ〉)が8日、肝臓がんで死去、77歳。通夜は13日午後6時、葬儀は14日午前11時から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は長女の美術家辻けいさん。

 女性で初めて日本陶磁協会賞を受賞した。夫は4月15日に死去した陶芸家辻清明さん。

 実は、私の恩師なのです。少し前に清明先生が亡くなったときはあまり涙はでませんでした。でも、今回は急すぎてお弟子さんと電話しながら、泣けて来て電話を切りました。私が東京にいたらたぶん、工房に通っていてお茶をたてて暮らしていたのかな。なんで、岩手で大学へ行っているのかよくわからなくなってきました。理由はあるのですが、協先生には説明できなかった。清明先生のことでお忙しいし、この夏休みに会いに行き、ちゃんと今何をしているか話すつもりだった。手紙が書けなかった。お盆に行くとお弟子さんに伝えてもらっていました。さっさと会いに行けば良かったのだ。

 14日の葬儀の日は試験があって出かけられないので、今日東京へ行ってお別れしてきます。なつかしい多摩の家。はじめて多摩の家を訪れた日のことを覚えています。3月3日でした。協先生が「ちらし寿司を作るから手伝って、夕食食べていって」と言われるので、軽く手伝うつもりでいたら、その量の多いことにびっくりしました。人参、椎茸などいろいろなものを細かく切って、その頃料理などしない私は腱鞘炎になるかと思いました。でも、辻家でいただく物は、いつもおいしかった。私が結婚すると、協先生はよく貰い物の食べ物やお酒を「だんなさんに」ともたせてくれました。バタバタと元気で明るい人だった。

 昨日は講義が「統計」と「心理学研究法」。t検定やら因子分析などとやっていながら、多摩の緑の家と土の感触を思いました。そうして、たぶん自分の人生の中で一番の日々だった長野の辻家の工房の日々。安曇野の道を自転車で走りながら、世界はすごく輝いていた。岩手に来てから、あの感覚がなくなっていき、自分は鬱だからかと思っていましたが、最近たんに年とっただけだとわかりました。東京に帰りたくなっていました。でも、もう帰るところはありません。協先生亡くなってみてそう思いました。

 協先生にお別れし、久しぶりに母の家に泊まってきます。

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