2008年3月30日 (日)

桜うつですが・・・。

 東京は桜満開だそうで、うらやましかぎりです。盛岡も暖かい日があったのですが、また寒さがぶりかえしています。というか、このぐらいの寒さが3月としては普通なのです。この時期、どうやら鬱になるのがお決まりです。うつらうつらしていました。でも、仕事に出かければ元気が出るタイプなのです。家の人には「外面がいい」と言われています。外で元気に振る舞って、家で「もうだめ」と寝込むのですから。でも、いつものことだと思われて誰も心配はしてくれません。寝ればなおるのです。

 昨日の朝、雨が降りそうだからとレインコートを羽織り、自転車でパートに出かけようとして走り出したら、寒くて震えて戻って来ました。まだ、レインコートの季節ではありませんでした。山用の防寒ズボンにダウンの上着を着込み、毛糸の帽子をかぶり、でかけました。

 それで俳句の話です。

 この前、

   絵筆洗う水仙の色空の色

 という俳句を作りました。春の俳句として出したのです。そうしたら、「水仙」は冬の季語だと教えられました。

 そうなのか・・・。千葉に育った私にはわかる気がしますが、でも、ここでは水仙はやっと芽というか葉が3cmぐらいみえるぐらいです。これさえにも「春」を感じるのです。「水仙の花」とくれば、春も盛りのときです。

 岩手に暮らし始めて、「歳時記」に時々違和感あります。連休前にやっと桜の句を作る頃に、関東では新緑や躑躅だったりするのでしょう。春は遅く、秋は駆け足で過ぎます。

 東北らしい春の花の句といえば、金子兜太の句を思い出します。

  人体冷えて東北白い花盛り

 水仙やタンポポなどの黄色い世界のあとに桜が咲き、そのあとにどっと白い花の世界がやってきます。その頃が東北の本当の春から初夏に向かいます。でもまだ肌寒かったりします。コデマリ、オデマリ、ウワズミ桜、朴の花、蔓あじさい、その他いろいろ。この時期東北を旅すると息を飲む風景に出会えるのです。

 その頃、うつ状態が抜けて元気になるのです。

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2007年11月 6日 (火)

締め切り

 気がついたら、今月は俳句の締め切りが4つもあった。まず神奈川の「森の会」さんに俳句を送る。仙台の句会にも行く予定だ。同じ俳句は提出しないというのが自分の約束だが、「海程」にはそれぞれの句会で評判の良かったものを出す。しかし、評判のいいものがなかったら、一から考えないといけないから時間がかかる。昔むかし俳句が気持よく生まれていたのに、言葉が生まれてこないでもがく。

 日曜日にある精神の障害を持つ人とその家族の方が中心に行っている絵を描く会に出て絵を描いた。通っている大学の学生さんもボランティアに来ているのだけど、私は講師の画家の方に誘われてただ絵を描きに行っただけ。色を塗る作業が好きだ。そうして話があう青年達がいた。前の席の青年が楽器を描いて文字を入れている。なんだろうと質問したら、「短歌だ」という。結社にも入っているという。それで、短歌や俳句の話をしていたら、詩を書いている青年が詩を見せてくれた。楽器の話から「実はギターが好きなのよ」というと、山崎まさよしの新曲が出たことを教えてくれたり、クラシックのギターも詳しくて楽しかった。絵を描きながらしゃべったり、集中したりのリズムが心地よかった。足りないのはこういう時間だったのかもしれない。大学ではほとんど人と話さない。話さないというのも緊張していて肩がこるのだ。

 朝は料理をしながらラジオで基礎英語などを聞いているが、「 I have meny irons in the fire.」という言葉が耳に入った。「一度に多くの仕事に手を出す」という意味だそうだ。その裏には、「ひとつでも当たりがあればいい」という思いもあるとか。私のことのようだ。下手な俳句も数作れば一つぐらいあたるだろうか。

 俳句だけではない、「遠野物語」の世界を英語で発表するなんてことも引き受けてしまったり、まだまだ先のこととタカをくくっていた締め切りが確実にやってくる。英訳しなければいけないものもあった。大学の講義とは関係のないことばかりだ。講義にもでないといけないし、とにかくひとつひとつ片づけていくしかない。ついこの間夏休みだったのに、年末が近づいている。昨日の帰りのバスから、もうクリスマスの電飾を華々しく飾っている家を観た。なんだか気持が焦るではないか。もう! クリスマス。

 というわけで、ブログの更新はますますできなくなりそうです。

 来てくれた方ありがとうございます。冬休みまでひきこもりになります。

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2007年9月14日 (金)

俳句ができない

 怖い夢を見て冷汗をかいて起きた。なんの夢かというと、句会に出て、ぜんぜん句ができない、集中できないというものだ。そんなことが怖いかと思うだろうが、前にどっしり金子兜太先生が座ってにらんでいた。

 こんな夢を見るのは、明日、句会に出るため仙台に行くからだ。起きてから、「仙台の句会に金子兜太先生いないじゃない」とほっとしたが、久しぶりの知らない人ばかりの中での句会が楽しみより、不安がまさっている。

『海程』という俳句結社がある。そこに俳句を投句している。主宰者は金子兜太氏だ。俳句界の巨匠と言っても、俳句に興味のない人は知らない。その昔、俳句したいなと思った時、夫の本棚に金子兜太の本があって、読んだら面白かったので『海程』に投句するようになった。

 初めのころは、東京の句会に行ってみたりした。秋田の「海程」全国大会で金子兜太氏に初めてお会いした。「新人賞とれ」と言われた。金子氏が岩手に来た時、中尊寺にお供したこともある。それに現代俳句協会の会員でもある。

 ところが山の家から盛岡へ来てから、あまり俳句が書けなくなった。ヘルパーの仕事と勉強をはじめたので忙しくなったせいもあるし、今まで書いていた山の動物たちのことが書けなくなったせいかもしれない。半年以上投句しなかったこともあった。それでも「老後の楽しみのためにも、俳句は続けていこう」と投句を再開した。この春、1年間の句を対象に新人賞を選ぶのだが、新人賞候補10位に入っていることを知った。そのときは、うれしいも不安もあまりなかったのだが、この夏の『海程』の紙面に選考した俳人の方々の批評を読み青くなった。私の名がいっぱい書かれていた。金子兜太氏には、「覚悟がいる」と書かれた。

 実際、去年の句に対しての評価だが、去年が山の家にいた時ほどいい句ができたとは思っていなかった。そうしてまずいことに、この4月に大学に入ってからは、頭が俳句モードにならない。締め切り前に5句をひねり出して投句していた。見たくもないまずい句だ。それは金子先生にもわかるので、とってはくれない。しかし、いろいろな人が「期待する」と書いてくれた以上、あまり下手くそな句ばかり作ってもいられない。自分の俳句思考を少しでも取り戻すために、仙台での「海程」の句会に出ることにした。「海程」には、各県に支部があって、句会や勉強会が行われているが、岩手にはない。「海程」に入っている人がほんの4人で、遠く離れて住んでいたり、高齢だったりするため、顔を合わせることもない。俳句なんて、どこの町でもグループや結社があり、句会も行われているのだが、「海程」は、現代俳句というジャンルで、普通は伝統的俳句をやっている方が多い。千葉にいる母が、俳句サークルに入ったら、そこの先生が金子兜太氏の批判をしていた、と言っていた。伝統的俳句をしている人は、金子兜太のグループが嫌いなのである。

 それはともかく、俳句である。ただ五七五と言葉を並べるだけでできる。それが明日持って行く俳句もできなくて苦しんでいる。それで夢まで見たから、そうとうのプレッシャーだな。俳句に興味ない人は、何が怖いのかわからないと思うが・・・。

 <2006年4月~2007年3月の俳句から>

    真冬日に命こんなに晴れるとは

    深き闇ふくろう飛ばず鳴くばかり

    イルカ鳴く深くもぐれば泣けるかな

    梨花の家テーブルクロスは白がいい

    牛蛙飢えた子だった老博士

    山椒魚無口な自分に慣れている

    胃が痛む毛虫一心に葉を食べる

    オニヤンマ森の時間は濯ぎやすい

    米を食う熊のせつなさ雲となる

    グミ食べるこれは記憶の種火です

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2006年11月20日 (月)

渡辺白泉

  戦争が廊下の奥に立っていた   渡辺白泉

 昭和15年と16年に「京大俳句事件」とい新興俳句への弾圧があった。渡辺白泉は、そのとき検挙され投獄された俳人のひとり。今思えば、「なんで俳人が捕まるの」と思うのだが、反軍国主義や愛国心のない思想を治安維持法を使って反思想結社ということで検挙されたようだ。

「反思想」。なんだかこれからまた流行るような気がする。共謀罪なんかできたら、「反思想」的句会なんかもできなくなるだろう。でも、今どきの俳人で国が恐れる人が出てくるかどうかはわからない。

 鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ

 まんじゅしゃげ昔おいらん泣きました

 玉音を理解せしもの前に出よ         白泉

 現代では、戦争は廊下の奥に立っているなんてものではなく、広場に堂々と立っているようだ。

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