2008年7月20日 (日)

ブログ引っ越し

 下記に引っ越ししました。

   http://d.hatena.ne.jp/meme2008/

 ところが、やっぱり投稿がうまくいきません。なぜ? コンピューターのせい?  ぼちぼち不具合を直したら再開できるかもしれません。

| | コメント (0)

2008年7月13日 (日)

偲ぶことと和解

 Yさんへ

 コメントありがとうございます。でも、コメントは載せませんね。

 辻先生の名前を載せたために、私のブログを見つけてくれたそうで、恥ずかしいかぎりです。先日はお会いできなくて残念でした。雑誌の件は思い出しました。あれは友達に頼まれたのです。とにかく偶然ですね。実はときどきYさんやTさんのこと、辻先生のこと思い出していたのです。私にとっては楽しい日々でした。強烈なというか印象深い人たちが多かったせいでしょうか。忘れっぽい私も忘れられない日々です。美術の世界とは違うことをしているようですが、案外アートは役に立っています。文学や美術は自分の下敷きのようなものだと思っています。またお会いできると思います。お元気で。Kより

 

 個人的お便りを書いてしまいましたが、東京から帰って来ました。協先生のお顔を見てお別れできて良かったです。

 次の日の朝、死んだ友人Tのお墓参りに友達と行ってきました。Tが死ぬ日に病院を訪れたのでした。偶然でした。友人が「たしか、めめが用があって東京に来ているから、明日みんなでお見舞いに行こうと話していたら、具合が悪くなったと連絡あったんだよね」と言いました。そうだ、思い出しました。渋谷の東急ハンズにいたら、すぐ病院へ行くように電話が来たのです。私たちが最後の面会をした夜にTは死にました。「呼ばれたんだよ」と友人。「でも、かすれた声で、『遠くからわざわざ来なくても』と言っていたよ」と私。「えっ、そうだっけ、酸素マスクつけていたじゃない、しゃべったっけ」と友人。「酸素マスクを少しはずしたんだよ」と私。どれが本当かわからないけれど、Tは私の方を見て私が誰だかわかって、そう言ったのが私には聞こえたのです。「たぶん、私には話すのが聞こえた」と言いました。お墓を見たら、去年お父さんも亡くなっていたことがわかりました。お墓にはまだきれいなお花が飾られていました。

 そうして帰ってきたら、母に「人のお参りばかりしていないで、お父さんのお墓参りに行ったらいいでしょう。何年も行っていないでしょう」と言われ、最高に暑い中、お墓に行きました。お墓は草ぼうぼうでした。草むしりをはじめましたが、具合が悪くなりそうなくらい暑くなり、途中でやめました。

 いろいろありましたが、最後にあるところで母とランチを食べました。その午後にそこで、ある議員さんとの懇談会があり、母はそれに出席するからです。「お母さんは確か社会党ではなかったの。いつから民主党に・・・」。

 レストランやロビーには母の知り合いがいっぱいいました。母が応援している議員さんも挨拶に来ました。私は、かぎりなく感じよく頭がいい大人の女風に皆さんに振る舞っていました。それが母は気にいったようです。着ているものもいつものジーンズではなくスーツでしたし、母の言う「ずた袋」ではなくブランド物のバックと靴を身につけアクセサリーまでつけていました。いつも母を怒らせる服装と人の話に入らないで本を読んでいることをしなかっただけです。(お悔やみに来たので、そんな服装で来たのです。いつもは東京ではいろいろ歩き回るのでスニーカーです。そうして本をたくさん入れたズタ袋すがたなのです。)

 息子たちにたくさんお小遣いをもらったので、昨夜息子と夫が母にお礼の電話をしました。母は「今までで最高の娘だった」と夫に言ったそうです。みんなに娘のことを褒められたそうです。私は恥ずかしかったですよ。もう50も近いというのに、「娘です」「お嬢さんですか」などという会話をされて。でも、母のために母の喜ぶように振舞うことができるようになったのは大人になったということでしょうか。あまりしゃべらない私が、知らない人たちと感じよく話して喜んでいますが、母知らないけれどやればできるのです。政治の話だって、怒らないで感じよくできるのです。

 友人ともお茶を飲みながら、「大人になったよね」と言い合いました。友人は病気をもった子を持ち悪戦苦闘したのですが、今はありがままの子どもを受け入れ、治らないまでも自分の人生を生きていけるようにサポートできるようになったそうです。「やっぱり大人になったよね。50にならないとわからないことがあるのだもの、子供に分かれと押し付けられないね」と言いました。私も母にもいいところはあると思い直しました。今回の東京、千葉行きは行って良かったです。

| | コメント (0)

2008年7月11日 (金)

辻 協

辻 協さん(つじ・きょう=陶芸家、本名辻協子〈つじ・きょうこ〉)が8日、肝臓がんで死去、77歳。通夜は13日午後6時、葬儀は14日午前11時から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は長女の美術家辻けいさん。

 女性で初めて日本陶磁協会賞を受賞した。夫は4月15日に死去した陶芸家辻清明さん。 辻 協さん(つじ・きょう=陶芸家、本名辻協子〈つじ・きょうこ〉)が8日、肝臓がんで死去、77歳。通夜は13日午後6時、葬儀は14日午前11時から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は長女の美術家辻けいさん。

 女性で初めて日本陶磁協会賞を受賞した。夫は4月15日に死去した陶芸家辻清明さん。

 実は、私の恩師なのです。少し前に清明先生が亡くなったときはあまり涙はでませんでした。でも、今回は急すぎてお弟子さんと電話しながら、泣けて来て電話を切りました。私が東京にいたらたぶん、工房に通っていてお茶をたてて暮らしていたのかな。なんで、岩手で大学へ行っているのかよくわからなくなってきました。理由はあるのですが、協先生には説明できなかった。清明先生のことでお忙しいし、この夏休みに会いに行き、ちゃんと今何をしているか話すつもりだった。手紙が書けなかった。お盆に行くとお弟子さんに伝えてもらっていました。さっさと会いに行けば良かったのだ。

 14日の葬儀の日は試験があって出かけられないので、今日東京へ行ってお別れしてきます。なつかしい多摩の家。はじめて多摩の家を訪れた日のことを覚えています。3月3日でした。協先生が「ちらし寿司を作るから手伝って、夕食食べていって」と言われるので、軽く手伝うつもりでいたら、その量の多いことにびっくりしました。人参、椎茸などいろいろなものを細かく切って、その頃料理などしない私は腱鞘炎になるかと思いました。でも、辻家でいただく物は、いつもおいしかった。私が結婚すると、協先生はよく貰い物の食べ物やお酒を「だんなさんに」ともたせてくれました。バタバタと元気で明るい人だった。

 昨日は講義が「統計」と「心理学研究法」。t検定やら因子分析などとやっていながら、多摩の緑の家と土の感触を思いました。そうして、たぶん自分の人生の中で一番の日々だった長野の辻家の工房の日々。安曇野の道を自転車で走りながら、世界はすごく輝いていた。岩手に来てから、あの感覚がなくなっていき、自分は鬱だからかと思っていましたが、最近たんに年とっただけだとわかりました。東京に帰りたくなっていました。でも、もう帰るところはありません。協先生亡くなってみてそう思いました。

 協先生にお別れし、久しぶりに母の家に泊まってきます。

| | コメント (0)

2008年7月 7日 (月)

初めての鍼治療

 土曜日あたりから、肩や首が痛くなって動かなくなりました。日曜日も朝から小田原での知人の句会に遠距離投句をするために俳句をひねり出し、FAXで送り、久しぶりで電話で話して、「小田原行きたいな」と立ち上がったら、左首の付け根にするどい痛みがきました。これはいかん、これからが正念場なのにと思い、夫の友人のK氏が「効いた」という先生を紹介してもらい、電話したら「今診てくれる」というので飛んで行きました。

 鍼灸医院は、普通の家でした。表札が出ているだけです。お話によると、「年だから看板をはずして、常連さんだけ治療をしている」ということです。目の不自由な方でした。そうして料金が安いのです。2200円。なぜかというと、自宅で場所代もいらないし、障害者年金も貰っているし、奥さんと二人でのんびり暮らしていけるだけのお金があればいいということでした。「5時以降は来てもだめだよ。5時になったら、風呂に入って一杯やりたくなる」。働き盛りの時に失明して、盲学校で技術を習い30年治療してきたそうです。「これしかできないからね」と言い、沖縄に行った時の話などを聞かせてもらいながら、マッサージも受け、あっという間に1時間は過ぎてしまいました。

 おかげで、肩はまだ痛いけれど動くようになりました。ギクッとした痛みも消えました。不思議ですね。鍼とはどういうものなのかという話もしました。中国での鍼麻酔の方法も教えてもらいました。いいところを紹介してくれたK氏に感謝です。女性の患者さんの話では、肩こりには水泳がいいらしいよ、と教えてくれました。でも、週に2,3回行くといいらしいとのことです。そんな時間はないので、どうにか運動するように心がけないといけないです。

 

| | コメント (2)

2008年6月28日 (土)

偶然の出会い いろいろ

ユー・ガット・メール(トム・ハンクス/メグ・ライアン) 映画ポスター [ADV-DS] 英語の講義の中で「you've got Mail」を観ました。先生がビデオの安売りで買ったとのこと。メグ・ライアンは知っていますが(私の幼馴染が似ていると言われていたので知っていた。)、映画は観たことありませんでした。でも、チャーミングな表情がいい女優さんです。結末はもう少し何か欲しいところですが、おしゃれなニューヨークの街を楽しみました。

次の講義では、映画に出てくる表現などのディスカッションがありますが、私がひっかかったのは「a kind of jeffersonian purity」。「字幕ではジェファーソン的」と訳していました。ジェファーソン大統領、独立宣言、清教徒と連想していくと解るような気がしてきますが、これは来週先生に聞いてみましょう。

 映画のお話は、インターネットで知り合い、メールを続けているうちに恋愛感情を持ちますが、お互いを知りません。実際はそばにいるのだけれど・・・という話です。

 私も先週、数年前からブログを読んでいて、何回かコメントでやり取りしていた人と偶然会っていたことがわかりました。ある集まりで隣に座っていた人がそうだったのです。彼女のブログを昨日久しぶりに開いたら、そのときのことが書いてあって、「キャッ!!」です。知らないで言葉を交わしていたのね。彼女は私のイメージと違っていたけど、正直言って横顔をちらっと見ただけなのです。さっそく彼女に知らせたら、私もイメージ違っていたとのことでした。ブログでは怒っているけれど、実際は誰かに「日本のお母さん」という感じがすると言われる、人のいいおばさんであります。

 しかしね。先週はこのほかにも大学で知り合いに2人に会いました。なんと春から大学に勤めているとのことで(4月から大学内でもひきこもって隠れていたので会わなかったのかも。最近まあいいやと気分上向きでうろうろしているから会ったようだ。) 一人は近所の人で、昨日も廊下で「子供会のドッチボールの当番いつ?」「陸上記録会行く?」などの子供の話題をしゃべっていて、大学でこんな会話をするなんて思いませんでした。(でも、講師や教授に、息子のクラスメイトの親やスポ少の親やコーチがいます。学内メールで研究室に呼び出されたと思ったら、「サッカーの日程表4年生に配って」という指示だったりします。なぜなら、近くに大学の職員アパートがあるからです。) しかしまあ、孤独の大学の中で知り合いが増えるのは楽しいことです。

 それからもうひとつ。先週の夜にあった職場の合同研修会。私なんか、土曜日だけ少し働くアルバイトで、登録ヘルパー以下の存在だから行かなくてもいいのだけど、なかなかみんなに会えないので、たまには施設長のお話でも聞くかとショボショボ出かけました。研修会では、施設長からその施設でやる新しい試みの話がありました。その中に、びっくりすることが・・・。「それは私がやることではないか」というか、「その宝の持ち腐れ的資格を持っているのは私だけですたい!」 とびっくりして、研修が終わると企画の中心人物と施設長のところに飛んで行き、「私にもやらせて欲しい」と訴えました。見たこともないないヘルパーのおばさんがいきなり、自己アピールしてびっくりしたことかと思います。でも、よく考えれば大学があるので任せられても困るのですが、手伝わせて欲しいと久しぶりに早池峰の神様に祈ってしまいました。

 こういうふうにいろいろ出会いがあったのです。その前は当てにしていたことが不採用になりがっかりしていました。そうしたら、別の面で先週手助けがあり、少し希望とプライドが救われ、モチベーション回復しました。この1週間は盛りだくさんにうれしかった週でした。本当に落ち込んだり、喜んだり、ドキドキしたり、人間って面白いと思うこの頃です。

| | コメント (0)

2008年6月19日 (木)

頭ぶつける

 今日は、大学の創立記念日とやらで1日お休み。午前中は用があって紫波町というところへ行って来た。帰りに産直によって、野菜をたくさん買う。美味しそうな団子も買う。今日は、小学校、中学校ともに午前授業だから、団子好きの息子たちとお茶しようと思ったのだ。

 ところが帰ってくると、むさくるしい中学生の息子とクラスメイト6人も居間に座り込んでいる。みんなで映画鑑賞会をしている最中。エッチな映画ではない。ホラーらしい。みんな怖い映画を一人で観れないので、皆で騒ぎながら鑑賞しているという訳だ。せっかくの団子も子供たちに食べられてしまうだろう。どうやら、誰かの家に集まりたくても他の子の家は親は仕事でいないので、上がり込めない。うちは夫がたいていいるので頼まれて、我が家に集合してしまったらしい。下の子はさっさと友達の家に逃げ出した。私も部屋に籠もるが、時々叫び声が聞こえてきて集中できない。

 それで、頭をぶつけた話である。月曜日の夜に町内の集まりで出かけた。車を駐車場にとめ、建物に入るとき、「Aさんに5百円借りていたのを返さないと」と思いだし、お財布を確認しようと下を向いて歩いたら、建物に取り付けてあったポストに頭をガ~ンとぶつける。しばらく動けなくて、這うようにしてロビーに行き、椅子に座ると、何かへんな感触が・・・血が流れてきた。なんだか、それだけでびっくりして気持ち悪くなる。人が集まりだしたので、訳を行って帰らせてもらう。みんな、びっくり。「だんなさん、呼ぼうか」とも言われたが、もうお酒飲んでいるので車の運転もできないから役立たずだ。とにかく車で帰って寝てしまうことにする。血はすぐにとまったけれど、まだ傷が痛い。これで余計頭が悪くなるかもしれない。

 また話は違うが、昨日「ソーシャルワーク演習」という講義のときに、テレビの取材が入った。レポーターは、有名な地元タレント「ふじぽん」ということで学生さん達は大喜びだったけど、私は知らない。隣の子が「知らないんですか!」と言うけれど、テレビあまり観ないもの。説明を聞いて、私は男の子だと思い込んでいたら、来たのはかわいい女の子だった。それにしても、若い学生さんは、「何でこの大学に入ったの」とか「将来の夢」とか質問され、すごく立派に語って感心する。私は逃げていたので映らないと思う。「ふじぽん」も「この人は何だろう」と、わからないでいたみたいだ。

| | コメント (0)

2008年6月13日 (金)

給食

 息子たちが朝練がはじまって、5時に起きる。私はその前にお弁当や朝食を用意するので、4時過ぎには台所に立つことになる。何も朝練習なんてやらなくてもいいのにと思っているが、スポーツ好きの子を持つと仕方ない。それに、コーチからどういう食品を食べたらいいかのアドバイスもある。お弁当のほかに夕方の練習前に食べるおにぎりも持たせる。世の中のお母さんたちの大変さがよくわかってきた。

 せめて、中学校が給食だったらと思う。県内でも給食の出る市町村はあるが、盛岡市はお弁当だ。アメリカでは高校まで給食が出るとか聞いた。ドラマなどでもカフェテリアで食べている場面を観る。アメリカに見習っているのなら、高校まで給食サービスをしてもらいたいものだ。

 と考えて、世界の給食事情を探していたら、アメリカの給食サービスの動画があった。給食サービスにもいろいろな企業が参入するだろう。きちんとした方針がなければ健康に悪くもなるが、きちんとした業者を選べば楽しい給食にもなる。地元農業、産業の支援にもなるという理由も給食サービスにあるとのことだ。

 息子は冬は、暖かいスープが欲しいと言う。動画に出てくる「ナチュラル・オーブン」の給食がうらやましい。

 ●アメリカの学校給食 http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=576761

<script language="JavaScript" type="text/JavaScript" src="http://visionmovie.ameba.jp/mcj.php?id=cZs52qg75nW:bhac:Np:cf:x95s73tf41CNPf7/xmLeogcVOrEKPL:4BxF:36:6S:ecGIyLPHJWKO/sWlJUdA7x&width=320&height=240&skin=gray"></script>

| | コメント (0)

2008年6月 9日 (月)

桑の実

Img_1456  土日は、運動会や子どもののイベントで動いているはずなんだけど、体が凝っている感じがして、夕方に散歩に出ました。

 ニュータウンの奥にある自然公園には、まだヤマボウシやホウの花が咲いていました。それから、いつの間にか桑の実も熟していて食べごろです。

 

| | コメント (0)

2008年6月 8日 (日)

春子谷地

 ローカルな話題です。鞍掛山に近い「春子谷地」の名が宮沢賢治由来かと思いこんでいましたが、昔話由来だということが『もりおか広報 6月1日号』に書いてありました。メモのため記します。

鞍掛山は、盛岡から見ると岩手山のすそ野のところにあるなだらかな山です。昔、その鞍掛山の南口という場所に、春子という名前の娘が両親と仲良く暮らしていました。

 春子が18歳になったときのことです。ある日、いつも家のまわりにいるはずの春子が突然いなくなりました。お母さんは心配して探しまわりましたが、どこを探しても見つかりません。しかし夕方になると、いつのまにか春子は帰ってきました。どこに行ってきたのか聞いても春子はうつむいてこたえなかったので、そのあとは何も聞きませんでした。

 その日から十日ほどたつと、また春子がいなくなりました。両親はまた心配しましたが、夕方まで待つことにしました。すると夕方になって春子がようやく帰ってきました。今度は春子の腰から足までがびっしょりぬれていたので、お母さんが理由を聞くと、春子は「逢の沢に行って来た」とだけ言いました。逢の沢は鞍掛山の近くにある場所で、そこには沼がありました。

 それ以来、春子はよく家を抜け出すようになりました。また夜には、寝ながら「吉さん、吉さん」と大声で叫ぶこともありました。お母さんはそんな春子が心配で、どうか家を抜け出さないようにと泣きながら話しましたが、春子は言うことをききません。

 じつは「吉さん」というのは逢の沢にある春子谷地の主で、春子はいつの間にか恋をしていたのでした。

 そのうち岩手山に雪が降り、冬が近づいてきました。その晩は空がまっくらになるほどの大嵐でしたが、春子は真夜中に両親のもとをはなれ、恋人の吉さんにさそわれるままに春子谷地のぬまに入ってしまいました。そして春子は、春子谷地の主になってしまったのです。今の春子谷地は、さまざまな植物や動物がくらす、美しい湿原として知られています。(参考:滝沢村教育委員会「たきざわの昔ばなし」)

 なんだかよくある話でした。人間とは違う者や動物に恋する娘の話のもとには何があるのだろうか。昔は、どこの誰とも知らない人に恋して、家を捨て姿を消した娘がいて、お話ができていったのかな。

 春子谷地は、雪の季節に一度クロカンでまわるツァーに参加してみたいと思っていました。そう思って、山の家からクロカンの板も持ってきていたのだけど、なかなか都合があいませんでした。身体を鍛えて、今度の冬には参加しようと考えています。

| | コメント (0)

2008年5月30日 (金)

どうでもいいことかもしれないけれど。

 昨日の新聞に、『沈黙入門』という本の広告が大きく出ていた。売れているらしい。その広告文が「意見あるところに欲あり  余計なことは言わない生き方のすすめ」とある。それから、「もう語らない。怒らない。求めない」とある。

 もちろんわかっていますとも、何を言いたいか。精神科医の斉藤環氏も推薦文を書いているし、心穏やかに過ごすための心構えが書かれているのだと思う。モンスター・ペアレントになったりせず、隣のクレイマーにもならず、言いたいことはぐっとこらえて沈黙する。

 でもね。どうも「もう語らない。怒らない。求めない。」にはひっかかる。私の気持ちは逆だ。今こそ一人ひとりが世界の中心で、「語り、怒り、求めよう」ではないかと思うこの頃である。こんな本で人のいい庶民たちを洗脳しないでよとケチをつけたくなる。

 この「ポップな仏教入門書」の手習い1は、「まったく何かにケチをつけずに1日を過ごしてみる」と書いてあった(広告に)。私などもう最初っから落ちこぼれのようだ。明日も明後日もケチをつけて歩くぞと決心して、おやすみなさい。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧