2008年7月10日 (木)

うんち

う・ん・ち う・ん・ち

著者:ふくだ とよふみ,なかの ひろみ
販売元:福音館書店
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 肩の調子は良くなりました。といってもまだ少し重い感じがしますが、動いてくれています。

 病気でもないけれど、調子が悪いというもののひとつに便秘があります。

 先週、低学年の子に絵本を読みました。その中のひとりが「おなら」にこだわりがあるので、『うんち』という絵本を持って行きました。息子たちにも見せた懐かしい絵本です。いろいろな動物の「うんち」が迫力があります。ゾウの「うんち」にはのけぞって、ゴリラの気張る顔に笑って、子どもたちは受けてくれました。最後に「みんなは毎日いいうんち出ているかな」と聞いたら、「ばっちり」という答えです。思わず、「いいねぇ」と言ってしまいました。「えー、めめおばさんでないの?」「そう、しんちゃんのおかあさんのみさえのように便秘なのよ」と、子どもに相談してどうすると思うのだけど、なぜか子どもたちは同情してくれて、バナナ食べるといいよと教えてくれました。それから、気を取り直して紙芝居を読みました。題は『へっこきよめ』。みんなで、ブッーと「へっこきよめ」の真似をしました。先生がお部屋をのぞいたら、眉をしかめるかしら。

 それはともかく、去年あたりから便秘で、この冬にひどくなり、いろいろな整腸剤を飲みました。下剤はだめです。お腹が痛くなり、よけい調子が悪くなります。漢方がいいかと思い、漢方のお店で相談してもらった薬もあいませんでした。玄米ごはん食べ、納豆食べ、わかめ食べても駄目。運動不足に決まっているのですが、運動が長続きしません。

「そうだ、大学には看護科もあるから、何か便秘の本がないかな」と今頃気がつて探しました。でも、あるのは大腸癌とか正当な病気の本ばかりです。がっかりしていると、立派な本にはさまれて小さな文庫本がありました。田中美津著の『ぼっーとしようよ養生法』(三笠書房)です。田中美津といえば、あの田中美津で、今は鍼灸師をなさっています。本の中に便秘のことが少しだけ触れられていました。そして、なんといっても便秘には、「オリゴのおかげ」と「和アンズ」がいいと強く勧めています。販売元の電話番号も書いてあります。さっそく「オリゴのおかげ」に電話すると、「スーパーに置いてありますよ。近くのスーパーの名を教えてください」と言う。「Uバース」と答えると、「置いてあります。500いくらです」と教えてくれました。電話を切るとさっそく買いに行きました。安売りで500円切っています。そのオリゴ糖をヨーグルトにかけて食べてみました。

 結論は、絶好調ではないけれど、少しづつ便意がもどってきました。私に足りなかったのはオリゴ糖だったのか。今まで、さんざん高い薬を買っていたのに、安くて甘くておいしいオリゴ糖で調子よくなるなんて、本を早く読めば良かったです。「和アンズ」のほうは買っていません。今のところプルーンで代用しています。

 しかし、他の家族の男たちは「世の中に便秘があるのが不思議」の人たちです。夫は、「女は貯め込む癖があるんだな」と笑います。でもね、原因はあなたたちでもあるのよ。女は朝忙しい。お弁当作って、ご飯作って、洗濯して、集金袋にお金入れて、今日の予定を把握して、そうしてトイレに行こうとすると、トイレに長々誰かが入っているではないか。というわけで、夢はトイレが2つ以上ある家を持つことか、一人暮らしをすることです。

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2008年5月25日 (日)

とりぱん5

とりぱん 5 (5) (ワイドKCモーニング) Book とりぱん 5 (5) (ワイドKCモーニング)

著者:とりの なん子
販売元:講談社
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『とりぱん5』出ました。発売日に夫がニュータンにある現在ただひとつの本屋に買に行くと、飛ぶように売れていたとか。マンガの舞台ですからここだけ現象ですが、このブログを見て買ってくださった方もいらっしゃって、うれしいかぎりです。といっても作者と知りあいでもないのですが・・・。

 マンガに出てくる勝手にボランティア、早起きのじいさんの一人は近所の人です。元気高齢者の方々のおかげで、ニュータウンの美化が守られています。この後続く世代に、同じことができるだろうか、ニュータウンを誰が守ると心配です。こういう勝手連的なボランティアは好きです。

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2008年5月12日 (月)

人のぬくもり

Book

癒しのセクシー・トリップ―わたしは車イスの私が好き!

著者:安積 遊歩
販売元:太郎次郎社
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車イスからの宣戦布告―私がしあわせであるために私は政治的になる Book 車イスからの宣戦布告―私がしあわせであるために私は政治的になる

著者:安積 遊歩
販売元:太郎次郎社
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 安積遊歩さんのことを聞いたのは大学の先生からだった。それで本を読んでみようと思っていたのだが、ちょうど中古で安かったので2冊まとめて買う。そうしたら、本の中にところどころ文に蛍光ペンで線が引いてある。こういうのってうっとうしいのだけど、その線がひかれた文書を読むと、本の持ち主だった人の琴線に触れたことがわかってくる。一生懸命読んだことがわかる。古本に出したけれど、後悔しているかもしれない。私も引っ越しのたびに本を処分して、あとから「あれは取っておけばよかった」と後悔する本が出てくる。だから今ではなかなか捨てられない。ほこほこ温かい気持ちになった古本だった。

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2008年4月 2日 (水)

あれは自分ではなかったか

あれは自分ではなかったか―グループホーム虐待致死事件を考える Book あれは自分ではなかったか―グループホーム虐待致死事件を考える

著者:下村 恵美子,高口 光子,三好 春樹
販売元:ブリコラージュ
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 大学の図書館の新刊コーナーにあった本。気になって図書館で一気に読んでしまいました。

 2005年2月11日に、石川県のグループホームで起きた利用者への虐待致死事件について、介護界のカリスマと言われる3人がセミナーを開いたときの記録。最後に参加者の感想もあります。

 夜勤がほとんど一人で行われている事実(グループホームだけではなく特養などでも)に驚きます。11時間一人で20数名の対応に追われるなんて聞いただけで、「私にはできません」とお断りするしかないです。そんな体力ありません。石川県も加害者は若い介護志望の若い男性でした。昼間の仕事は従事せず、夜勤だけ専門だったそうです。若くて体力あって、志もあったところを利用されたのだと思います。その事業所が問題があり、嫌になったら逃げれば良かったのに、逃げられなく追い詰められたところに問題があるようです。

 多くの介護従事者が、夜勤での格闘の中、自分にも起こるかもと話します。家族もつらく、そうしてやっと施設に入れたら、ケア・ワーカーがつらくてしんどい。家族の苦労をケア・ワーカーに安い賃金で押しつけているだけなのではないだろうか。もっと人的ゆとりのある介護ができるような予算にして欲しいと思いました。夜勤を一人で勤めるのはつらいと思います。どうしたらいいか相談できる人がいて、1時間でも交替で仮眠するとかしないとイライラはつのるばかりで、ミスをしそうです。あらためて、施設のケア・ワーカー、病院の看護士の夜勤があって成り立つ世界があったのだということを思いだしました。その世界は、女性が多いと思いますが、今はどうなのでしょうか。

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2008年3月28日 (金)

障害者福祉シリーズ

Book 女性障害者とジェンダー (障害者福祉シリーズ 第6巻)

著者:伊藤 智佳子
販売元:一橋出版
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このシリーズは、初学の者にはとてもわかりやすく、読みやすく、勉強になると思いました。

障害者福祉シリーズ

第1巻 障害をもつということ

第2巻 障害をもつ人たちの権利

第3巻 障害をもつ人たちのエンパワーメント

第4巻 障害をもつ人たちの居住環境

第5巻 支援・援助者をめざす人たちの基本姿勢

第7巻 障害を持つ人たちと教育

第8巻 障害を持つ人の家族の心理

ところで、とにかく本を読んでばかりでした。勉強しても中年の頭にはなかなかはいらないのですが、いろいろ知りたいときにはまずは本です。しかし、この1年ですっかり目が悪くなりました。眼鏡をはずすとぼんやりとしか見えません。眼鏡も合わなくなりました。眼鏡を変えなくてはいけませんが、それより目をいたわらないといけないですね。老眼もあるし、花粉症もあるのです。よく高齢者の利用者さんが「年を取ってゆっくり本を読もうと思っても、目が悪くなってだめだ」というのを聞いていましたが、わかるような気がします。虫眼鏡でゆっくり読んでいる人もいます。未来の私もそんな感じかしら。

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2008年3月 9日 (日)

どんぐりの家

Photo 『どんぐりの家 それから』(小学館)

『どんぐりの家』の続編である。前半は、聴覚障害者のための老人ホームを作る話。後半は、障害者自立支援法で苦しめられる作業所の話である。

聴覚障害のある知人が前に、心配なのは老後のことだと言っていた。病院や施設などで手話が使える人がいない場合、不利益をこうむるだけでなく、孤独だろうという話だった。

前に仕事で障害者の方の介護をした時に、「元気なあんたに何がわかる!」と言われたことがある。そんなんです。いくら想像力を働かせてもわからないこともある。当事者しかわからないことがある。

そんなとき、昔は「障害者ではないけれど、父の自殺や病気に苦しんできた私をあなたは知らないじゃない。苦しんでいるのは自分だけではない」と心の中で思ってしまいました。健常者といっても、すさまじいい人生を送っている人を見ているので、健常者といって片付けないでほしい。でも、問題のある人間同士が傷をなめあっても仕方ないので、健常者の問題点を主張してもしかたがない。

 現在は健康で幸せな奥様でしかない私が、障害のある人を理解するなんてできるかと言われえば、できないかもしれないけれど、そんなこと言っていたら、いつまでも健常者と障害者の壁ができてしまうので、違う相手と分かり合えるという気持ちでいなければいけないかなとか思ったりする。健常者は健常者で生活に余裕のない人は、「障害者ばかり優遇される」と怒る。そういうところを抜け出さないとだめだと思うこの頃だ。

 

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2008年3月 8日 (土)

リゴベルタ・メンチュウ

『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』を読み終わった。読み進めるうちに年代をみると、リゴベルタ・メンチュウは私と同じ歳ぐらいなのではないかとわかった。グアテマラでのインディオへの迫害、拷問、虐殺がそんなに昔のことではないことに驚くとともに、まだまだ現在でもあることだと思い返す。

 長編ドキュメンタリー部門でアカデミー賞をとった『闇へ』のテレビ版の放映を先日観た。米兵がアフガニスタン人に対して行った拷問を追っていくドキュメント。拷問した兵士も登場して語る。末端の兵士は裁きを受けるが、おおもとの原因を作った者には何の裁きもない。反省もしていない。いつものことである。普通の市民がなぜ残酷になれるのだろう。上からの命令で兵士は倫理観もなくなるのか。もともと残酷な素質があるから兵士になるのか。上に気に入られないと生きていけないのが軍隊なのか。やはり肌の違う人間を人間以下に感じるのだろうか。未だ世界は、虐殺も拷問もなくなる世界を実現できない。

 本を読んでから調べて、リゴベルタ・メンチュウは1992年のノーベル平和賞を受賞していることを知った。また、彼女が語る自伝に改変があることの批判(実家はインディオの中でも裕福だったとか、教育も受けていたとか)や、一部本人も認めたとかという記事もあったが、リゴベルタ・メンチュウ自身のことは些細なことだ思う。グアテマラで起きていたことは事実なのだから。

 「あとがき」にグアテマラに住んでいた日本人の紹介があった。1846年、岩手県藤沢町に生まれた屋須弘平。蘭学医の息子として生まれ、若くして医学、フランス語、スペイン語を身につけた明治時代のエリートだったが、いろいろな経緯でグアテマラに渡り、その地で写真館を開いて成功したということだ。なぜ、彼がグアテマラにとどまることになったのか、知りたい。

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2008年3月 3日 (月)

やっぱり本が好き

 いろいろ用があって町に出かけた。用と用の間に空き時間がある。何か本を持って行こうかと、机のまわりを見渡したら、だいぶ前に「面白いから」と、ある人が貸してくれた本が目についた。春休みになったら読もうと思っていた。その本は、『私の名はリゴベルタ・メンチュウ マヤ・キチェ族インディオ女性の記録』(新潮社)。あるインディオの女性の語りを人類学者のエリザベス・ブルゴスが編纂したものである。

 まだ3分の1しか読んでいないので、本の感想はまた今度にする。びっくりしたのは、この本の中でこの間観た映画『ライラの冒険』と似た話が語られていたことだ。

 映画『ライラの冒険』は、本を読まずに観たせいか、その世界の成り立ちが掴み切れなかった。映画の冒頭に分身であるダイモンやキー・ワードとなるダストの説明はあるが、よくわからない。ダイモンは、日本の背後霊とも違うし、その存在意味がわからない。原作を読めばいいことなのだが、今読む気にならない・・・と思っていたら、『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』の第3章「ナウァル」の記述がまさにダイモンだった。

子供はみんなナウァルをもって生まれます。ナウァルは人に添う影のようなものです。たいてい動物の姿をしていて、子どもとそのナウァルは並行して生きていくことになります。(本文より)

※ナウァル  分身霊。霊の一方がきずついたり抜け落ちたりすると、他方も病んだり死滅するという。(解説より)

 語り手の女性は、ナウァルの説明をするが、自分のナウァルが何かだとかは教えられないと言う。深いところまでは明かせられない大事なものなのだ。 

『ライラの冒険』の作者は、このインディオのナウァルからアイディアを得たのであろうか。マヤ=キチュ族だけでなく広く動物の分身霊を持つ文化は知られていることなのだろうか。『ロード・オブ・ザ・リング』も古来からの伝説上の者たちが物語を彩る。ファンタジーには古くから私たちが持っていた物語が語り直されているのかもしれない。インディオの女性の本で、『ライラの冒険』を少しだけ理解した。

 本のこういう出会いはときどきある。何気なく読んだ本に、今まさに考えていたことのヒントが書いてあったり、関連する言葉があって、本から本へと連鎖していく。1冊読むと、興味はついつい広がっていく。読まなくてはいけないものが増えていって大変なのだが、やっぱり本が一番好き。

 ちなみに、自分のダイモンを知るというサイトhttp://daemon.gyao.jp/blogseal/がある。20問の質問に答えて自分のダイモンを教えてくれる。長男はカラス、次男はオオワシ、私はチンパンジーだった。

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2008年2月28日 (木)

小林カツ代

小林カツ代のおべんとう決まった! 小林カツ代のおべんとう決まった!

著者:小林 カツ代
販売元:講談社
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 中学に入った息子のおべんとうを作り続けて1年。どうにか手早く作れるようになってきた。だいたいが毎週同じことの繰り返し。ご飯とパンを交互にして、ご飯はの時は前の夜の残りものと何か入れるか親子どんぶりなどのどんぶり弁当になる。

 おべんとう作りの本はたくさんあるが、好きなのは小林カツ代の本。彼女のお弁当作りのポリシーが気に入っている。

「お弁当に果物を入れるのは反対」 昔からお弁当の中の果物が苦手だった。りんごとか持たせたいときは、別容器に入れる。息子は丸ごとでいいと言うので丸ごと持たせる時もある。

「飾りおかずは使わない」 こう言っていただけるとありがたい。私には、りんごのウサギも作れないし、たこウィンナーさえ失敗してやめた。どうせ食べるものをキャラクター弁当にする意味も見出せないし、息子が喜ぶはずもなく実質あるのみが好き。

「アルミカップはやたら使わない」 お弁当からごみが出ないようにと気をつける。よく買ったお弁当に入っている緑のキザキザ(何なんだろう)は嫌いなもののひとつ。ラップやアルミホイルもなるべく使わず、せめて紙ナプキンで包む。おにぎりは竹の籠に竹の皮を敷いて入れる。竹の皮は洗えば何回も使える。

「アクセサリー野菜は使わない」 たしかに見栄えを良くするためにレタスを最初に入れたこともあったが、昼にはシナ~ッとして気持ち悪い。必ず弁当箱の底に残している。気持悪いものは食べないよね。使うときはブロッコリーとかパセリなどのしんなりしないものにする。そうすると食べてくる。

 私のお弁当が小林カツ代のお弁当に到達するはずもないが、本を見てはお弁当作りのやる気を高めるのである。でも、忙しい時はもちろん手抜き弁当。御飯に冷凍の吉野家の牛丼をかけただけと野菜代わりにりんご1個などということもあるけれど、息子はその方が喜んだりする。

 ちなみに昨日のお弁当は、お稲荷さん、ほうれん草入りたまごやき、ごぼうのきんぴら。「あれ、緑が少し見えるけど全体が茶色のお弁当じゃない」。赤い色が欲しい。そこで息子があまり食べない赤カブの漬物を一切れのせた。これはただ見栄えを気にしてのことで、案の定息子は赤カブだけ残してきた。「赤カブは必要ないことだったかな、きんぴらに人参入れれば良かった」と、もったいないから弁当箱の赤カブを手でつまんで口に入れながら反省した。

 さて、今日は午前授業でお弁当がないそうだ。それはそれで昼は何しようかと考えないないといけない。まったく主婦というのは1日食べることばかり考えている。

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2008年2月26日 (火)

それからスープのことばかり考えて暮らした

それからはスープのことばかり考えて暮らした Book それからはスープのことばかり考えて暮らした

著者:吉田 篤弘
販売元:暮しの手帖社
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 一応主婦だから台所に立つ時間が多い。でも、台所って「待ち時間」も多い。私の料理はたいてい煮込み料理だからかもしれないが、途中で味をみたり、煮込み過ぎたりしないようにそばにいないといけない。自分の部屋になど行ってしまうと、料理していたことを忘れて鍋を焦がし続けた経験から鍋から離れては駄目なのだ。

 でも、待っている間が手持ちぶさただったりする。だから、台所には軽く読める読みものや英語の単語ノートを置いておく。読まなくてはいけない本は、机の周りにどんどん積み上がっていくのに、そういう本はメモしたり、付箋を張ったりで忙しいので台所では読めない。台所で読むべき本というのを図書館で探すのはけっこう時間がかかる雑事でもある。

 この本は近所の図書館で目にとまった。「暮らしの手帳社」から出ている。前は『暮らしの手帳』を手にすることはなかったが、去年から愛読者になった。なぜなら、大学の図書館にこの雑誌があって、専門書に飽きたときに読むのにちょうどよく。隅から隅まで読んでいる。

 この本には、サンドイッチとスープが出てくる。主役は食べ物。台所で読む本には最適だ。こういう本を読んで、料理へのモチベーションをあげて質を保つよう努力しているというわけだ。

 私も毎日「スープのことばかり考えて」いるのだ。寒いから温かい食べ物が欲しい。長男はスープがないとがっかりする。もちろん味噌汁もスープのうちだが、味噌汁だってどんな味噌汁にするのかが問題だ。息子たちはスープに入れればどんな野菜(セロリとか)でも食べるので、スープがメインとなるような具だくさんスープを作ることが多い。

 ちなみに今日の夕食は、「タラとほうれん草のスープ」の予定。本当は菜の花にしたいのだが、冷蔵庫にほうれん草があるので代役してもらう。

 今回はサンドイッチに意欲がわく本だった。息子のお弁当はパンが多い。ホットサンドやナン、マフィン、ホットドック。私がパンが好きで、大学で忙しい合間に食べるのにちょうどいいから自分のためにも作っているからでもある。この間は、ライ麦パンで具だくさんサンドイッチを持たせたら、友達が「豪華」と言ってくれたそうだ。それは、たぶんサンドイッチを素朴なナプキンでひとつひとつ包み、竹の籠に入れたりするため、見栄えがいいからだと思う。内容はただのレタスとハムとか卵でしかない。でも、この本を読んだら、もう少しサンドイッチの内容も深めてみたい気になってきた。

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