2008年4月23日 (水)

韓国語

 2年生から第二外国語の講義があります。でも、私は前の大学で取った単位を認定してもらったので、講義受けなくてもいいのです。

 その単位とはフランス語でした。あまり成績悪いと恥ずかしいと思ったのですが、成績表を取り寄せたら、「優」が並んでいるではありませんか。びっくりです。だって、フランス語の記憶がもうどこにも破片も残っていないからです。これで認定はずうずうしいと思いましたが、認定してくれました。

 でも、いろいろな語学の先生がいるのに何も習わないというのはもったいない気がします。他の学部の社会人学生さんは中国語を一生懸命やっていて、先生に個人特訓を受けて検定に挑戦しています。彼女が言うには、「普通、教室で中国語を習うなんて高いのよ。せっかく教えてくれるのだからやらないと損でしょ」。そうです。社会人は払った授業料のもとは取らないと気がすみません。自分のふところから出たお金です。社会人学生がよく勉強すると言われるのは、「もとはとらないと」という考えに基づいているんですね。

 といいうわけで、韓国語の自由聴講をしています。もう一度フランス語と思いましたが、フランスに行くことはたぶんないです。韓国には一度行ったことがあります。九州の父の実家に遊びに行った帰り、博多からフェリーに乗って釜山に行きました。入国の書類には宿は高級ホテルの名を書きましたが、実際は何も予約もせず、行き当たりばったりで泊まるところを探していました。会話事典片手の旅でしたから、帰って来てから韓国語を勉強しようと『ハングルの初歩の初歩』という本を買いましたが、本棚に飾っているだけでした。今度こそは、少し読めたり話せたりしてみたいと願っています。4月からラジオのハングル講座も聞いていますが、ハングルの読み方というのがわかってきました。ただ、講義で発音を聞き取るとなると、違いのわからない日本人になっている状態です。同じ言葉もあるのに、中国、ハングル、日本語はこんなに発音が違うのでしょうか。言葉の成り立ちは不思議です。こういう分野をひたすら勉強するというのも面白いのかもしれません。

 それにしても英語というのはすごい。なにがすごいっていうと、中・高・大で英語を勉強してきただけのものが残っているからです。だって、大学を出てから英語を真剣に勉強してきたわけではなく、ここ2年ぐらい勉強し直しただけなのに、なんとなくテキストぐらいなら読めます。論文も辞書を引きながら解読できます。息子の中学英語ぐらいは教えられます。60歳に近い夫でも「疑問形の時はsomeじゃなくてanyだろ」なんて直してあげています。他の言語はみな暗号でしかないのに、英語は文として目が追えます。中学英語は本当に大事だなと思いました。

 しかし、おばさんが韓国後を習うと、若い学生さんが「韓国ドラマ好きなんでしょう」「韓国の映画よく観ますか」と言われる。もちろん韓国ドラマ好きだけど、あまり観ていない。なぜなら早寝だからです。大学の語学学習室には、『冬ソナ』などの韓国ドラマのDVDも揃っているので、いつかゆっくり観てみたいと思っています。

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2008年4月10日 (木)

新学期

 今週は月曜が小・中学校の始業式で、いきなりお弁当作りも再開して、バタバタする。息子は二人ともクラス替え。それぞれ小学高学年と中学の2年と3年を過ごすクラスだからドキドキしていたらしいが、兄の方は「奇跡だよ」と喜んで帰ってくる。一緒になりたいと思っていた友達とほぼ同じクラスだった。「お母さん的にもいいクラスだよ」と言う。息子の友達のお母さんは知っているし、これは頼りになるという人たちばかりでうれしい。弟の方は、近所の仲のいい子と離れて少しがっかり。でも、先生がいいからまずはご機嫌よく帰ってくる。それぞれの春だな、子供がうれしと親もうれしいよ。

 母の方も月曜日から大学がはじまる。講義は金曜からスタートなのだけど、ガイダンスなどがあり、昨日は健康診断だった。昔、大学に行っていた時は健康診断などあったかしら。ぜんぜん記憶にない。「麻疹などの調査票」も渡され、母子手帳を持ってきて、麻疹やおたふく、風疹にかかっているか、報告せよとある。母子手帳など残っているはずもなく、千葉の母は覚えているだろうか。私たちは実習に行くから厳しいようだが、抗体を調べるための採血もしたから、お金のかかることだなと思った。

 去年の健康診断を思い出す。実に淋しいものだった。話す人は誰もいないし、それどころか、はじめて人からぎょっとした顔で見られる、蔑んだ目で見られるということを体験した。若い子や事務の人たちには私の姿が異様だったのかもしれない。高校出たばかりの若い子の中にいる中年のおばさん。冷たい視線、「この人なあに」という視線というのはあるのだとはじめて身を持ってわかった。錯覚ではない。今まで人からは親切にされるか、一目おかれるかという世界にいたので、私を見ないようにする視線にはこたえた。最後の内科検診で、若いお医者さんから「健康に気をつけてがんばってください」と言われ、横にいた年配の看護婦さんから「私も応援するわ。がんばってね」と、優しい言葉をかけられた時は涙が出てきたものだ。

 それも昔の話になってしまった。

 今では若い子たちも私という存在に慣れてしまったようだ。待っている間も男の子が、「めめさん国際福祉Ⅱ取りますか」と聞いてくる。「国際福祉Ⅰ」で一緒に発表した子だ。「無理かもしれない」などと履修計画の話もできる。事務の人も自然な対応をしてくれるようになった。異質なものも慣れてしまえば平気なのだ。

 今日は4年生や3年生と英語論文読みの自主トレをやる。英語の先生が時間をあけて教えてくれるのだが、皆の時間の調整役をやっているのが少し面倒ではあるけれど、この自主トレで長い文も目に慣れてきたかもしれない。ときどき、働かないで勉強していることに後ろめたくなるけれど、ここまできたら卒業するしかない。楽しんでやるのだ。

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2008年2月 7日 (木)

試験太り

 ひさしぶりにブログに書き込みます。試験の山場が越えました。明日が最後の試験。明日締め切りのレポートもあるけれど、1行も書いていません。これから頑張ります。あとは来週締め切りのレポートを終えれば春休み・・・のはずです。

 試験中の一番の心配は、体調を崩すことでした。息子たちの学校もインフルエンザが流行っていました。自分が病気になるのも困りますが、子供たちが病気になると忙しくなって困ります。「お母さんの試験中は病気にならないで」と言っていたものの、自分がダウンしてしまいました。月曜日の試験3つの山場を越え、火曜日の午前に大学で水曜日提出のレポートを仕上げたていたら、寒気がしてくる、のどが渇く。「来た来た」という感じで風邪が駆け上ってきます。風邪のひきはじめって、なぜ突然来るのという感じです。明日大学に来られなくなるかもしれないと、さっさとレポートは完了して提出し、家路についてそのまま寝込みました。夫は山の家へ行っていたのですが、ちょうど帰宅したところでした。帰ってくると、妻と次男がダウンして帰ってきて、夫はさっそく炊事にはげみます。そうして、私と次男は水曜日は病欠です。今日も体はだるいのですが、何と言っても英語と統計のテストがあるので出かけました。すごく嫌々大学へ行ったのに、テストになると集中してしまいます。私はテストが好きなのかもしれません。けれど、いろいろ試験の失敗はあります。自分がよく知っているはずの言葉が急に出て来なくなる。「えっなんで」と思いますが、これも老化なのかしら。帰りのバスの中でいきなり思い出したりして悔しがります。図書館ですれ違った他学部の社会人学生さんにそれを話すと、「私も朝覚えたはずなのに、テストのときに出てこない」と言っていました。中年には一夜漬けというのは無理なようです。何回も脳に刷り込んでいかないと覚えられません。でも、「この歳で、よくやっているよ」と自分で自分をなぐさめて、次に進まないといけないのです。

 それで「試験太り」なんですが・・・。体調を崩したくないと食事だけはしっかりとっていました。しかし、机の前に座り続け、ほとんど大学内を歩くしか運動はしていないし、根をつめると甘いものが食べたくなるのです。特にチョコとかですが、机に向かいながらつまんでしまいます。「脳が疲れている」と言い訳しながら。それになぜか貰いもののお菓子もたくさんあって、ひと休みのたびに食べている。気がつけば、体がずっしり重いのでした。スカートがきつくなっています。試験が終わったら、やらなくてはいけないことはシェイプアップです。

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2008年1月10日 (木)

学ぶこと

 子どもたちは、まだ冬休みですが、大学は8日から始まりました。初日から「t分布と母平均の推定」です。ミニテストもありました。「t分布」なんて何のことやらと思っていましたが、段階を踏んでいけばわかるのです。ミニテストもどうにかクリア。教科書をはじめて見たときに「こんなことわかるのかな」と思いましたが、それがわかる。それは身もだえするほど、けっこう面白い。もう一度生まれ変わったら、理科系の道に進みたいと思う今日この頃です。

 正月にヘルパーの仕事で久しぶりに会う利用者さんは、私に会えて喜んでくれました。「大学はどう」と聞いてくれます。利用者さんの中には私を待っていてくれる人もいて、「なぜ、めめさんが来ないんだ」と主任に言うので、主任が「大学で勉強している」と話していたそうです。高齢者は教育を受けるということをありがたいことだと思っていますから、大学へ行っていることを感心してくれます。90歳から見れば私なんてまだまだこれからに見えますから、大いに励ましてくれます。

 でもね。冬休みには少し後ろ向きになっていました。大学へ行く理由は、「いろいろ資格を取る」というのが対外的な理由です。その方が理解がしやすいからです。本当は、社会福祉士や精神保健福祉士を取ることが目的に入ったわけではありません。ではなんで。単に学びたいから。しかし、この歳で社会人学生しているのは恥ずかしくなるときもあります。みんな働いているのにこんなことしてていいのか。大学へ行かないで、親の介護をし、働いて子供にスキーをやらせたり、塾に行かせたりした方がいいのではないか。畑でもやって食べる物を作っていたほうが家族のためじゃないか。私が世界平和のために役に立つわけでもないし・・・。ぐちぐちと思うことも多々あります。

 そうしてどうやってまた自分に言い訳を言うかというと、「やり始めたんだから、やるしかない」です。大いなる暇つぶしかもしれませんが、勉強が趣味ですからとごめんなさい、という感じです。本当に大きな時間つぶしです。

 でも、自分の中に物がたまっていくのは面白いです。山の家での素敵な生活と焼き物の道具一式捨てて町に出たのは、物に囲まれる生活に嫌気がさしたからです。「素敵な田舎生活をしている」と見られたため雑誌や新聞の取材も受けました。テレビ取材もお願いされたけれど、断りました。夫が田舎に移住するときに、ある作家の人に「田舎の文化人になるなよ」と言われたとか。でも、実際Ⅰターンで田舎に住み、自由業なんて目立ちました。なんだか、そういうの嫌になったのです。町に住むと私たちが何をしているか誰も気にしません。誰も取材にもきません。焼き物仲間がニュータウンの古い普通の家に遊びに来た時、同情するような表情で家を見渡しました。きっと、落ちぶれたとか思われるかもしれません。飾らない本しかない家。山の家で人に褒められた大きな一枚板のテーブルも骨董の器もないし、絵も花もかざっていない。安物の世界です。もちろん器の良さは知っています。山の家へ置いてきました。大切にしまっています。でも、100円ショップの食器でも十分だという思いもあります。

 大学のバイトでエクセルの表を作っています。私も夫もパソコンはワードしか使っていませんでした。大学でホームページ作成やエクセルを習い、それがバイトで即使えてありがたいです。夫に「エクセルって頭いいんだよ」と教えます。本当にね。人間覚えることってすごいねとエクセルで感心しています。世の中頭のいい人がいっぱいいるんだね。

 学ぶっていうのは、この体一本で生きていけるようにすることだと思います。役に立つか、お金になるかはわかりませんが、余計なものは持たなくても楽しんで行けるのかもしれません。しかし、大学っていうのが大いなる時間とお金のかかる暇つぶしであることは言い訳できませんが、確かに恵まれているだけですが、大学が逃避なのかもしれませんが、今はやるしかないと思っています。実はこれは私が後ろ向きになると夫に言われる言葉です。「でも、やるしかないだろ」。

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2007年12月20日 (木)

satisfaction

寝坊した。今日は1コマめの英語が休講だからと気が緩んだのかもしれない。1コマ目からの英語はつらい。講義形式ではなく、どんどん発言しないといけないから。それも英語で。日本語は禁止。若い学生さんも眠そうに「だるー」とやってくるが、少人数だから居眠りもできない。でも、最後は先生が「Good Job!」と言う通り、よくやったよという充実感がある。その分次の授業ですぐにお腹が空いてくるのが困るのだが。

 つらいけれど楽しい英語の授業をするのはアメリカ出身の30代の男性で、私から見たら育ちのいいハンサムボーイ。先日、英語の本に「satisfaction」というタイトルが出てきたとき、先生はギターを弾く真似をして歌いだした。ローリングストーンズの「satisufaction」だ。しかし、クラスの学生はシーンと静まり返る。先生も戸惑って、「ローリングストーン知っていないか。ミック・ジャガーは?」と聞くが、みんな首を傾げる。そこで先生は私を見る。「もちろん、知っていますとも」 ファンでなくてもサビの部分は歌えますよ。

 若い学生さんたちは、遠慮したわけではなく本当に知らないようだ。私は、レッド・ツェペリンのファンだったが、レッド・ツェペリンも知らないだろう。復活コンサートに喜んでるのは中年なのだ。いったい、どこの年齢層までが「satisfaction」やミック・ジャガーを知っているのだろうか。

 しかし、大学でこういう場面はよくある。この間は、資料の文書に伊丹十三の名が出てきた。みんな知らないそうだ。私は隣の子に「『マルサの女』とか『お葬式』という映画知らない? 朝ドラの『どんと晴れ』の女将役の宮本信子のだんなよ」と言っても、首を振られる。本当に知らないのね。今年度入学の子には平成元年生まれもいる。うちの息子だってミック・ジャガー知らないし、あたり前のことなんだ。

 私が昔学生の頃どうだったか。先生たちの話が世代断絶していただろうか。わからない言葉はあったかもしれないが、先生が口に出すからには知っていたほうがいいと思って、その作家を読んでみたり、映画を観たりして知ろうとしたような気がする。でも、今の学生さんは課題と出されれば調べるけれど、先生の雑談ごときに出てきたものは「知らないものは知らない」。興味はわかない。東北の大学で文学部でもないから仕方がないのかもしれないが、村上春樹や吉本ばななも読まない。一度皆が何を読んでいるのか調査しようと思っている。

 それにしても、そんな自分の子供のような学生さんと日々過ごしている。昨日、ある授業のグループ発表が終わった。私は男の子3人と発表した。「グループに好きに分かれなさい」と先生が言ったとき、男の子達が「一緒にやりましょう」と声をかけてくれた。優しい子達だ。でもね。発表が終わってから客観的に観たら、保護者と子ども3人という感じだなと思う。最近まわりの学生さんは私に慣れたようだが、おかしいかも。本当に自分でもよくやるなとは思うが、冬休み前の発表や課題を終えて取りあえずは満足だ。しかし冬休みは2週間しかないのに、レポート2つもある他、試験に向けて復習しておかないとね。心配したが、結構楽しい大学生活である。せっかくだから無邪気に楽しもうと思っている。

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2007年10月16日 (火)

放送大学

 盛岡に住んでから岩手大学の中にある放送大学で科目をとって勉強していた。大学に入って思うことは、放送大学の教材は良くできていると思った。教科書も分かりやすい。もちろん退屈な放送もあったが、今の大学の講義より良いと思うものもあるし、レベルは高いと思う。

 今、受けている講義は高校を出たばかりの学生さんを相手にしているので、正直言って物足りない講義もある。1年生の講義だから仕方ないかもしれないが・・・。こんなところで時間つぶししていいのかなと、考えたりする。ある先生から院へ行けば良かったのにと言われ、それを考えてもみる。でも、学部で必修をとらないと社会福祉士他の国家試験受けられないし、来週あたり何か手はないかと教授に相談するつもりだ。ただ、つまらない講義の間は思索の時間とすることにした。

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2007年10月10日 (水)

かりん

かりん
今日は、学部の1年生と先生で芋煮会がある。班に分かれて、それぞれの鍋を作る。わが班は「ひっつみ汁」を作ることにした。荷物があったので、いつもと違う所に車を止めたら、まわりにカリンの木にがたくさんあり、実もいっぱいつけている。もちろん何個か頂く。栗も落ちていた。拾いたかったけど、何しに来たのか思い出した。

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2007年10月 4日 (木)

ノート

 大学の前期の講義では、普通のノートに「コーネル式ノート」 http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0610/23/news006.html にするため自分で線を引いて使っていた。

 後期では、A4のルーズリーフを使うことにして、それに線を引いてみたりしたが面倒くさくなった。書式をダウンロードして印刷してみたが気に入らない。私は綴じたノートが好きなようだ。ルーズリーフは便利だが、なんでも捨ててしまう私はうっかり整理しないで捨ててしまいそうだし、バインダーにとじるのも面倒だ。便利なものはないかなと思ったら、学研でコーネル式に分割されたノートが商品としてあることを知った。http://www.gakkensf.co.jp/lineup/notememo/index.html

「これだわ」と、休みに町に探しに行こうかネットで買おうかと考え、大学の帰りに家の近くのスーパーにある小さな文具店をのぞいたら、ちゃんとその「The Note-Taking System」が各種棚に並んでいた。普通に中学生も使っているのかな。すぐ欲しくなって、持っていた3,500円でノートを買いこんだら3千円超えてしまう。あと400円しか残っていない。冷蔵庫にはキャベツがあったからと、380円の豚肉こま切れを買って、野菜炒めにすることにする。

 この「The Note-Taking System」はB5なので、「使いづらい、A4にして欲しい」という意見もあるようだが、1回に数ページ書けばいいし、コンパクトで保存する場合も邪魔にならないと思う。これで線引き作業はなくなったが、あとはしっかりノートを取れるかだ。

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2007年10月 2日 (火)

後期授業はじまる

 10月から大学の後期授業がはじまる。朝早く大学へ行きパソコンに向かい履修登録してから、1時限目から講義開始。社会福祉部以外の講義で先生に「聴講生の方ですか」と聞かれる。「すみません、学部の学生です」と、ついあやまってしまう。

 後記、履修する科目は以下のもの。この大学は半期単位で講義が行われる。

 コンピューター入門(前期はホームペイジ作りをし、後期はエクセルやパワーポイント)、 教育心理学、ジェンダーと文化、障害者福祉論Ⅰ、国際社会福祉論(アジアを中心に)、児童福祉論、統計B、教育原理、哲学、介護概論、精神保健Ⅰ、老人福祉Ⅰ、ユニバーサル社会開発論、学の世界(グループ形式で、本を読んでいく入門クラス)、そして英語。

 ため息が出る。前期より科目が多い。一番心配なのは体力だ。最近、肩が重くて背中に肉がついたのだな、やせなくてはと思っていたが、太ったのではなく肩こりだとわかった。今まで肩がこったことはなかった。「なんだか、肩が重い」と夫に言うと、「いつもおもりが入っているようだろ。おれなんかいつもだ」と言う。夫もパソコンに向かう仕事なので、ひどい時は首が動かせなくなる。50歳も近くなると、体をいたわりながら行動しなくては、運動しなくてはとと反省する。

 第2外国語は中国語にしようなんて思っていたが、だんだん時間が苦しくなり、第2外国語をはじめ体育など何科目かは、前の大学での単位を認定してもらう申請を出し、OKとなった。前にやった第2外国語はフランス語だった。成績表を取り寄せたら、「優」が並んでいるではないか。ぜんぜん身に覚えがないというか、すべて忘れているが免除してもらうことにした。人生の中で一度がんばったのだからいいでしょう。今は英語だけいっぱいだ。

土曜日はヘルパーのバイトして、日曜日は息子たちのサッカーやテニスの送り迎えをして、日々は確実にすぎていく。

 あと自慢したいこと。前期の成績が医学と社会学が「良」だった他、10科目全部「優」だった。医学は落とすかもしれないと思ったのに「良」だった。年寄りに優しいのかな。それにしても、試験範囲も教えてくれた親切な科目でも落とす子供たちがいる。勉強する気がないのよね。親が学費を出しているんだから、もう少し勉強しろと言いたくなる。ついつい親の目線になってしまう。

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2007年8月 4日 (土)

試験終わる

 昨日金曜日で最後の試験が終わる。論述問題の2科目だったから、書いて書いて書きまくり手が痛くなった。

 5時間目の「社会学」がラスト。試験問題が配られて問題を見てから、隣のK君が「終わったな」とつぶやいた。私もはじめ「何に書けばいいか」迷ったけど、とにかく書いたぞ。彼は時間になると教室を出てしまったけど、「諦めるな、なにか書け」と言いたかった。

しかし論述問題の前に出た穴埋め式の問題はできなかった。細かい数字を覚えていない。それに、世界で最も人口の多いのは中国、さて2位と3位を書けときた。アメリカとブラジルと書いてしまった。家に帰ってから、息子に世界の人口の2位と3位はと聞けば、「インドとアメリカ。ブラジルは5位でしょう。ちなみに4位はアルゼンチン。ブラジルは5位だけど1億8千ぐらいでたいして多くないよ」と教えられた。母の弱点は常識的なことを知らないことだ。

さすがの東北の片隅も猛暑である。経費節減で教室に冷房はかけていない。汗だくで答案用紙に向かう。家に帰ってもへろへろだったので、近くの居酒屋に夕食を食べに行って、とりあえずはお疲れ様だ。

反省は木曜日が1日空いていたので、退屈していた息子達を連れて「ハリーポッター」を観に行き、夜は夫と合流して「さんさ」踊りのパレードを観て、ビールを飲んでいた。なんだか緊張の糸が切れて、試験なんてどうにかなると思ってきた。やはり、教科書や資料の細かいところに目を通しておくべきだったと後悔する。

「医学」以外は落とすことはないだろう。「医学」はぎりぎりなところで、追試を受けなくてはいけないかもしれない。

夏休みは計画的に大事に過ごそう。

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