韓国語
2年生から第二外国語の講義があります。でも、私は前の大学で取った単位を認定してもらったので、講義受けなくてもいいのです。
その単位とはフランス語でした。あまり成績悪いと恥ずかしいと思ったのですが、成績表を取り寄せたら、「優」が並んでいるではありませんか。びっくりです。だって、フランス語の記憶がもうどこにも破片も残っていないからです。これで認定はずうずうしいと思いましたが、認定してくれました。
でも、いろいろな語学の先生がいるのに何も習わないというのはもったいない気がします。他の学部の社会人学生さんは中国語を一生懸命やっていて、先生に個人特訓を受けて検定に挑戦しています。彼女が言うには、「普通、教室で中国語を習うなんて高いのよ。せっかく教えてくれるのだからやらないと損でしょ」。そうです。社会人は払った授業料のもとは取らないと気がすみません。自分のふところから出たお金です。社会人学生がよく勉強すると言われるのは、「もとはとらないと」という考えに基づいているんですね。
といいうわけで、韓国語の自由聴講をしています。もう一度フランス語と思いましたが、フランスに行くことはたぶんないです。韓国には一度行ったことがあります。九州の父の実家に遊びに行った帰り、博多からフェリーに乗って釜山に行きました。入国の書類には宿は高級ホテルの名を書きましたが、実際は何も予約もせず、行き当たりばったりで泊まるところを探していました。会話事典片手の旅でしたから、帰って来てから韓国語を勉強しようと『ハングルの初歩の初歩』という本を買いましたが、本棚に飾っているだけでした。今度こそは、少し読めたり話せたりしてみたいと願っています。4月からラジオのハングル講座も聞いていますが、ハングルの読み方というのがわかってきました。ただ、講義で発音を聞き取るとなると、違いのわからない日本人になっている状態です。同じ言葉もあるのに、中国、ハングル、日本語はこんなに発音が違うのでしょうか。言葉の成り立ちは不思議です。こういう分野をひたすら勉強するというのも面白いのかもしれません。
それにしても英語というのはすごい。なにがすごいっていうと、中・高・大で英語を勉強してきただけのものが残っているからです。だって、大学を出てから英語を真剣に勉強してきたわけではなく、ここ2年ぐらい勉強し直しただけなのに、なんとなくテキストぐらいなら読めます。論文も辞書を引きながら解読できます。息子の中学英語ぐらいは教えられます。60歳に近い夫でも「疑問形の時はsomeじゃなくてanyだろ」なんて直してあげています。他の言語はみな暗号でしかないのに、英語は文として目が追えます。中学英語は本当に大事だなと思いました。
しかし、おばさんが韓国後を習うと、若い学生さんが「韓国ドラマ好きなんでしょう」「韓国の映画よく観ますか」と言われる。もちろん韓国ドラマ好きだけど、あまり観ていない。なぜなら早寝だからです。大学の語学学習室には、『冬ソナ』などの韓国ドラマのDVDも揃っているので、いつかゆっくり観てみたいと思っています。